見出し画像

孤高

「孤高の人」は1969年に出版された新田次郎の山岳小説です。主人公の加藤文太郎は会社員ですが、登山家として腕をあげ有名になってゆきます。山行に際し数名のパーティを組むことが一般の登山者の間では通例ですが、加藤はめずらしい単独行の人です。「なぜ山に登るのか」と自問しながら、行動の積み重ねから答えを見出そうとしています。物語では主人公を取り巻く人間模様と心情が描かれます。加藤はちょうど単独行のような仕事スタイル、対人関係で過ごしていますが、個人の信念というよりも単なる不器用という面も少なからずあります。あるとき、友人の宮村の誘いに乗り、初めてザイルパーティを組んで一緒に冬の北アルプスに向かいます。そこで遭難して、帰らぬ人となってしまいました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4101122032

作者は小説のタイトルに「孤高」というワードをいれ、主人公加藤の心情、それに人生を表現しようとしたように見受けられます。孤高(Solitary)と孤独(Loneliness)はどう違うのでしょうか。どちらも、周囲の人と物理的もしくは心理的距離をとっている状態は共通かもしれません。ですが、孤高は我が身を律し意志と計画をもって世俗から距離をとり、持てる力をふりしぼって前人未踏の困難に挑み、高みを目指す修行者のイメージです。そこには凛とした精神があります。人は一人で生まれ、一人で死んでゆきますので、どう取り繕ってみたところで、本質的に孤独な存在です。ですが、仕事のスタイル、対人関係、あるいは山登りであれば、それに対する考え方や登山のタイプはいかようにも選択することができます。そこにはバラエティがあります。気の合う仲間と楽しい時間を共有することができ、それが過去の記憶、良い思い出になって積み重なり、それをも共有することにより、精神的な絆が生まれ、強まります。ですから、人の一生が本質的に孤独なものであったとしても、その過程、生きている間の過ごし方は、程度の差はあれ、あるいはその時々の感じ方の差はあっても、孤独ではありません。時に、寂しさを感じることがあるのは、背後にある本質に気づいたり、感じたりするためと思いますが、そこには、孤高の人のような強い意志や精神ではなく、人がいかんともしがたい現実を前にしての感じ方としての孤独感があります。だから、人にあなたは孤独ではないよ、一人じゃないよ、私たちがここにいるよ、というメッセージはとても意味があります。その通りで、時にひどい孤独感を感じたとしても、厳密に一人で生きている人はほぼいないようなものですから、それを確かめる言葉は重要です。もちろん、主人公の加藤も孤独ではないのです。この小説では、「孤独ではないよ」という代わりに、加藤へのふさわしい言葉として「あなたは孤高の人だ」と言っているように思えます。でも、その前にあなたは一人ではない。あなたは孤独ではないと言ってあげてもよいでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=pAyKJAtDNCw

新田次郎の作品は、どれもこれも私にとって重要なテーマばかりですが、孤高と孤独というキーワードで、もう1つ、浮かぶのは、Andrew Lloyd Webberによる 1986年のミュージカル The Phantom of the Opera (オペラ座の怪人)のラストに近いクライマックス、Christine Daaéが、The Phantom に "You are not alone" と言うところ(有名なキスシーンの直前)です。あまりにも有名な作品ですので、ストーリーは多くの方もご存じと思いますが、The Phantom は、それこそ、うまれてからずっと寂しい一生を過ごしてきていて、それをなみはずれた芸術、音楽を生み出す源泉にしてきた人物です(おそらく、ミュージカル作者のAndrew Lloyd Webberのメンタリティ(経済的に豊かな暮らしとは裏腹に)と重なるところがあるのでしょう)。Christine Daaéもまた、早くに父を亡くし、その父が亡くなる直前に Angel of Music をつかわすと言った、その言葉を信じ、それを支えに生きてきたような子(きっとこれもAndrew Lloyd Webberの心情)です。どちらも孤高の人生です。孤高だが、孤独ではない。

https://www.youtube.com/watch?v=c7bg7U7OEJc&t=191s

※ この記事は、まったく存じ上げない不特定多数の方々にお伝えすることを意図していません。そのため、少し敷居を高くし、将来は有料とさせて頂くことを検討しています。まだ、note は始めたばかりなので、当面は、何も設定いたしておりません。

※ なお、マガジン「群盲評象」には、この記事を含めた私的ノート(有料のものも含む)を収録いたしております。ご関心のある方は、ぜひお求めください。

ここから先は

0字
現代は科学が進歩した時代だとよく言われますが、実のところ知識を獲得するほど新たな謎が深まり、広大な未知の世界が広がります。私たちの知識はほんの一部であり、ほとんどわかっていなません。未知を探索することが科学者の任務ではないでしょうか。その活動は、必ずしも簡単なものではなく、後世からみれば群盲評象と映ることでしょう。このマガジンには2019年12月29日から2021年7月31日までの合計582本のエッセイを収録します。科学技術の基礎研究と大学院教育に携わった経験をもとに語っています。

本マガジンは、2019年12月29日から2021年7月31日までのおよそ580日分、元国立機関の研究者、元国立大学大学院教授の桜井健次が毎…

いつもお読みくださり、ありがとうございます。もし私の記事にご興味をお持ちいただけるようでしたら、ぜひマガジンをご検討いただけないでしょうか。毎日書いております。見本は「群盲評象ショーケース(無料)」をご覧になってください。