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野球は持続可能な資本主義の核になりえるか (前編)

 2020年1月。中国・武漢で昨年末より感染症が広まっていること、それが新型のコロナウイルスによるものであることが日本で報じられました。
 1月中旬には日本で初めての感染者が出て渡航を中止した方がいいのではと騒がれ始めたものの空港での水際対策をするのみで春節を迎え、次々に世界各地で感染例が報告されていき、1/31にはWHOが緊急事態宣言を発表。下船した客の感染が確認された豪華客船ダイヤモンドプリンセス号が横浜港沖に来たのが2/3。2月中旬から北海道でアウトブレイクし2/28に北海道は独自の緊急事態宣言を発表。3/11、WHOはパンデミックを宣言。北海道での第1波は3月中旬頃に落ち着きを見せたもののクラスター発生が日本各地で報告され、政府は4/7に東京、神奈川、大阪、福岡など7都府県を対象に緊急事態宣言を発令、4/16には緊急事態宣言を全都道府県に拡大。
 瞬く間に世界中に、そして日本国内でも感染が広がり、まさに1週間後はおろか明日どうなっているかすらわからない状態が続きました。

 本当にここ数ヶ月で世界が大きく変わった。

 感染拡大を防ぐため、密閉・密集・密接の3密を避け、並ぶ際には1.5~2mの間隔を開ける、大人数で集まらないなどのソーシャルディスタンスが推奨されています。できる人は在宅ワーク。学校は休校しオンライン授業。中にはオンライン診療に取り組む病院も。
 そのため、スポーツジム、映画館や劇場、大型ショッピングモールなど不特定多数が集まるような場所が自粛、多くの飲食店も休業したり、お店を開けていても開店休業状態に陥ったりしています。

 苦境に立つ飲食店、また飲食店に卸す予定だった生産者のために、クラウドファンディングや、いずれ事態が落ち着いた時に支払う分のチケットを今購入するシステムを利用する支援の輪が広がっています。目下すぐキャッシュが必要なお店にとってはまとまってキャッシュが入り、支援者は返礼品をもらえたりお得にお店を利用できたりし、win-winだったりします(見返りなしを選択することもできる場合もあり)。

上記以外にもクラウドファンディングは多数。

 また、SNSでお店がSOSを出し、それを見た人たちが拡散、注文が殺到するという事例を何件も見かけます。給食に使われなかった野菜を販売したところ、長蛇の列ができたというニュースもありました。豊洲市場ドットコム食べチョクなど生産家の産物を直接購入できるサイトでは、本来レストランやイベントなどに卸すはずだった行き場のない商品を特集(中には特別価格のものも)。かくいう私も、横浜中華街が厳しい状況にあると聞いていたもので、3月の春分の日の頃の3連休に用事で中華街の近くまで出るついでに何か買おうとしたら、人で溢れており断念したことも。もちろん、ネットでの販売やフードロス商品は格安である、外食できない代わりにいいものを食べたいなど様々な理由が混在しているかと思いますが、私と同じく少しでも応援しようと思っている人が少なからずいると思います。

 こうした事例を見ていくうちに、この応援という形は、これからの資本主義の柱になるのではないか、という思いが浮かんできました。

 もちろんこれまでも贔屓にしている居酒屋やカフェがあったり、好きなブランドの服や家電がある人はそこのものを選択して買ったりしていますが、それがもっと幅広くなるというか。消費者が好きな店・ブランドを買い支えることを意識的に行っているのがポイントです。消費者は、単に商品だけでなく、背後のストーリーを見ていると言い換えることもできます。
 それを応用すれば、薄利多売で生産者に皺寄せがくるチョコレートではなくインドネシアの生産者と組んでカカオの美味しさを追求しその品質に見合った価格で豆を買い取るDari K(濃密なカカオとカカオに負けない抹茶のトリュフは初めての体験でした)や、いわゆる途上国で作っても人件費を搾取しないマザーハウスのかばんみたいな、エシカルな動きにもっと光が当たるのではないでしょうか(もちろん既にダリケーやマザーハウスは超人気店ですが)。
 コロナ禍直前はグローバル化が進み工場を外国に置き、あるいは部品を海外発注し大量生産、資源も人的資源もめまぐるしいスピードで薄利多売され、社会が疲弊しきっているように見えました。それがコロナを機会に変わり、品物だけでなく応援の形でストーリーにも注目されるようになると、持続可能な社会につながっていくのではないか、と思ったのです。

 そこで読み始めたのが、公益資本主義を唱える『増補 21世紀の国富論』(原丈人著)と、鎌倉投信でファンドマネージャーを務めていた(今はeumoの代表取締役)新井和宏さんの『持続可能な資本主義 100年後も生き残る会社の「八方よし」の経営哲学』(以下、『持続可能な資本主義』)。
経済に全く明るくない私で理解しきれてはいませんが、それでもこの2冊はエキサイティングでした。

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 2冊とも株主偏重によるROE至上主義を批判。ROEとは、株主が投資した資本により企業がどれだけ効率よく利益を出したかを測る株主資本利益率のこと。投機的な金融を中心とした資本主義のもとではこのROEが高いほど企業価値があるとされ、事業の細分化、リストラ、行き過ぎたコストカット、取引先を圧迫など、社会をよくするために事業するはずがROEを高めるために合理化を無理やりにでも進めていくことにつながっていきます。
 これは国や地域の発展を測るGDPでも同様のことが言え、『増補 21世紀の国富論』の中で、下記のような例が挙げられています。

 100億円かかるが丈夫で長持ちする道路を作って100年間使うのと、建設費が1億円しかかからないが、1年ももたないので、毎年1億円かけて作り直さなければならない安物の道路を100年間毎年作るのと、どちらが経済成長に貢献するでしょうか?
 道路の100年間の建設費用の総合計は、両者とも同じ金額だけかかりますが、後者の安普請の道路の方が、全体としてGDPを押し上げます(実際には、物価の変動などを考慮しなければなりませんが、ここは説明のために単純化します)。なぜならば、安物の道路は、すぐ壊れるので補修・修繕費ははるかに多くかかるでしょうし、事故の発生率も高いでしょう。すると、自動車も壊れるので、修理費用や車の買い換え費用も発生します。怪我をすると治療費もかかるでしょう。救急車の人件費、燃料費など、余計な費用が発生するでしょう。毎年作り替えるので、埃や騒音が出て、環境も悪くなる。このための対策費用も発生します。
 これらは、100年持つ道路の場合は、ほとんど使わなくてもよい費用です。しかし、費用が発生するということは、すなわち経済活動をしていることになり、GDP成長率を上げるという観点からは、こちらの方がよいということになります。

『増補 21世紀の国富論』(原丈人著)第5章「公益資本主義」がつくる、これからの日本 P.271より

 丈夫で長持ちする物を作るよりも粗悪なものを作り経済を回転させる方が経済成長に効果的というスタンスには、品物を使う人の視点が欠けています。手段であったはずのお金が目的となってしまっている。

 こういった資本主義に代わるものとして、『増補 21世紀の国富論』では、特定の誰かだけが利益を享受するのではなくすべての関係者にとってプラスとなるような仕組みをつくること、すなわち公益資本主義を唱えています。そして『持続可能な資本主義』では“八方よし”を目指すとし、利益を享受するものをより具体的に示しています。
 “八方よし”とは、買い手よし・売り手よし・世間よしという近江商人の“三方よし”の理念をさらに発展させ、社員・取引先および債権者・株主・顧客・住民や地方自治体などの地域・地球や環境などといった社会・政府や国際機関などの国・経営者という八者をステークホルダー(企業における利害関係者)とし、企業はこのすべてのステークホルダーにとってメリットとなる共通価値(金銭的な利益だけではない)をつくっていこうというものです(ここでは企業は経営者の所有物ではなく、松下幸之助さんにならって社会の公器としています)。

 さらに『持続可能な資本主義』では、野球になぞらえファン経済について触れ、顧客や社員や株主に経営理念に共感してもらうことから、ファンづくりの第一歩がはじまるとしています。

 それならば、すでにファンがついている野球は“八方よし”になりえるでしょうか。なりえるならば、野球ファンを取り込み大規模に持続可能な資本主義を実現できるのではないか。

 後半ではそんなことを、我が贔屓の横浜DeNAベイスターズを引き合いに、経済に関して全くのずぶの素人ながら考察したいと思います。


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