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#514 「忘る」は「おこたる」!?〜何を人生の核心に据えるか〜

11月25日付日経新聞「言葉のちから」というコラムを読んで思ったことを、メモ。


1、どんなコラム?

毎週土曜日に連載されている、批評家の若松英輔さんのコラムです。
今回は「良知とは〜王陽明の教え」という題名で、副題が「何を人生の核心に据えるか」というコラムです。

ある本を読んでいて、「忘る」と書いて「おこたる」と読ませているのに出会った衝撃から、その出典である王陽明『伝習録』の一節「忘る(おこたる)な、助く(せく)な」の紹介も含め、書かれているという内容です。

特に印象に残った部分を引用します。

「忘れる」という行為は、意識的というよりも無意識的な行為の結果であるように思われている。しかし、「忘る(おこたる)」という読みは、まったく違うことを教えてくれる。何か大切なことを忘れるのは、小さな怠りが積み重なった結果でもある、というのである。

「忘る(おこたる)」という一語が問うのは、生きる意志とは何かということかもしれない。何を人生の核心に据えるか、それによって人生はずいぶんと姿を変える。


2、まとめ(所感)

いかがでしたでしょうか?

紙面の約半分を占める文字数のコラムのごく一部を引用しているので、なんのこっちゃというところもあるかもしれません(すいません)。

私がこのコラムを読んで、ハッとしたのは、自分が「忘れちゃった」と言うとき、(忘れるぐらいなのだから)「たいしたことではない」という意識があるのではないか、
でも、「忘れる」を「忘る(おこたる)」と読むことで、実は、自分にとって大事なことまでも、「たいしたことではない」と流してしまっているのではないか、ということです。

何でもかんでも忘れるのが悪、ではない(むしろ忘れられるからこそ生きていける部分はあると思いますが)ですが、一方で、忘れてはいけない、自分の人生の核心となるようなことまでも、「忘る(おこたる)」のではいけないでしょう。

もっと言えば、「自分の人生の核心」とは、なんなのか、ということが定まっていない、あるいは、常日頃考えていないと、「忘れちゃった」という軽い気持ちで全てが流れていくのではないか、そして、それは今の自分なのではないか、ということにハッとしたのです。


アラフィフです。人生の折り返し、ですが(だからこそ?)、「何を自分の人生の核心として据えるか」を考えよう、と思いました。

え?遅い?


最後までお読み頂き、ありがとうございました。
先週は高熱で投稿できませんでしたが、例によって個人的なメモ、更新していければと思います。

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