見出し画像

9月17日 東京モノレールと帝国ホテルの意外な関係。

普段の仕事を離れた、翌日にちなんだ過去の出来事をネタに「頭の体操」。
そこから問いや興味を広げたり、抽象度を上げて他への応用を考えてみたり…
さまざまな「頭の体操」に活用ください!
体操のための質問例はこちら。

→モノレール。普及を狙って投資したものの広がることはなかった。その理由はどういったものが考えられるだろうか?


1964年のこの日、東京モノレールが開業しました。オリンピック開催まで23日というまさに直前の開業だったそうです。

モノレールを運営する企業は日立が関わっていました。日立は、当時ドイツで開発されたモノレールが、将来伸びることを期待し日本だけでなくアジア圏での販売権もドイツ企業から取得。

社長は帝国ホテル社長の犬丸氏。帝国ホテルは当時から海外からの客が多かったことからその利便性向上に使えるとの認識でした。

ですから、当初は、帝国ホテルのある新橋から羽田空港だけでなく、大観光地であった箱根までの路線(のちに熱海に変更)まで計画されていたのです。
実現されていたらどうなっていたでしょうかね?


でも、なんで日立は犬丸氏に社長を頼んだのでしょう?
実は、そもそも日立にモノレールという存在を紹介したのが犬丸氏だったのです。

というのも、帝国ホテルに宿泊したドイツからのお客様がサービスを大変気に入り、ボーイを連れて帰りたい、と当時の犬丸氏に相談、1人本当に連れて帰った、という出来事があったそうです。
のちにそのドイツからのお客様が再来日し、モノレールの技術とともに日本でのモノレール建設に投資を依頼してきたのです。
そこで、犬丸氏が目ぼしい事業者を集めて説明会を開き、そこで興味を持った日立が会社を設立、社長を犬丸氏に依頼した、という経緯だったそうです。

なんか当時のダイナミックな動きの一部が伝わる逸話ですね。

そうして開業したモノレールですが、当初は新橋駅まで結ぶ予定だったところ、用地確保の問題、騒音による反対運動などから、浜松町となりました。

当初は珍しさもあり経営は順調でしたが、当時としては高い250円(タクシーに4人で乗ればその方が安い)という料金もあり、次第に経営不振となります。

親会社であった日立は、建設にも携わったことから、かなりの額の売掛金を抱え再建を模索します。

その結果が、日立傘下の運輸会社2社と東京モノレール運営企業との合併でした。合併の際、運営企業は大幅な減資を行い借入を減らし、他の運輸会社からの収益も合わせることで黒字化を図ったのです。

その後、JR東日本に株式を譲渡、日立は経営から実質的に抜けることになります。

現在の株主構成は、JR東日本が79%、日立製作所が12%、全日本空輸が9%となっています。


最後までお読みいただきありがとうございました。
過去の投稿は以下のマガジンにまとめております。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?