ぬくもり

[ショートショート]


 いつもと違う感覚に、ふと目が覚める。伸ばした左腕は妙に軽い。
 顔を向けるとそこにはいつもいるはずの彼女がいなかった。
 忘れていた。彼女は一週間前からいないのだ。
 思い出すとベッドから出るのも億劫になる。横を向いたまま体を丸め、布団にもぐりこんだ。
 背を向けた先の扉が開きやしないかと、そこから彼女がひょっこり顔を出してはくれないかと期待してはみるが、それはきっとないのだろう。
 今は午前十一時。食事の準備をしなければいけないと思うと、気が滅入ってきてしまう。なにより、カップ麺やらビールやらのゴミが散らばったあのリビングを見るのも嫌になる。
 彼女がいたならきっとそんなゴミの山もできやしないのに。
 なんて布団の中でゴロゴロと転がりながら鬱々と考える。
 携帯を開いては受信ボックスをチェックした。何度見ても一通のメールも届いていない。いや、来ていることには来ているのだが、全て迷惑メールなのだ。
 しかも出会い系の。
 一度夜中にほんのちょっとの気の迷いでアクセスしてしまってから、届くメールの量が半端じゃない。
 いや、一度や二度アクセスしたくらいではきっとこうはならなかったのだろう。原因はいくつものサイトに登録し、あまつさえ課金までしてしまったことだ。それも数万円も。
 それをしてはいけないことだとはわかっていた。相手が恐らくむさ苦しいおっさん、もしくはバイトの兄ちゃんであることも。それでもついつい課金してしまうのだ。これで最後だと思いながら。
 彼女と出会ったことで全てのサイトを登録解除はしたが、他のSNSの更新をするのが面倒でアドレスまでは変えなかった。そして出回ったメールアドレスに毎日数百通のメールが届くようになってしまっていた。
 おかげで友人知人からのアドレス変更のメールなどはそれらに埋もれ、気が付かないうちに削除してしまっていたりする。
 ふと携帯の画面右上、時間表示を見ると三十分が過ぎていた。
 なんと、一人でぼーっとしているだけでも時間は勝手に進むらしい。
 無意味に時間を過ごすというのは、どことなく罪悪感が芽生えてくるものだ。

 それからまた、起きようか起きるまいか考えながら携帯でブラウザゲームを始める。
 いつかこんなことをしている間にふと目が覚めて、この時間が夢だったのだと思わせてはくれないだろうか。
 目が覚めて横を見れば、いつもの寝顔がそこにあって、二人でこの休みをのんびり過ごすのだ。

 気が付くと、画面が真っ黒になった携帯が目の前にあった。電源を押して画面右上を見ると、もう夕方の四時になってしまっている。
 どうやら眠ってしまっていたようだ。
 けれどもやはり彼女がいる気配はない。どうしても夢であってはくれないらしい。
 この数日同じような時間を過ごしている。
 さすがに昨日までは平日だったので会社に行ってはいた。それでも仕事をしながら、家に帰ったら彼女が待ってやしないかと思い耽り、部屋の扉を開いてはため息をついていた。
 一人で過ごすのは何年ぶりだろう。

 ガチャリと鍵の開く音が聞こえる。恐らく隣の部屋だろう。
 このマンションは綺麗なわりに隣の音がよく聞こえる。思ったよりも壁が薄いようだ。
 扉が閉まり、再び鍵を回す音がする。それからコツコツと廊下を歩く音。
「ただいま」
 振り返ると、扉を開けた彼女が立っていた。
「もう、疲れた。なんで土曜まで出張なの?ありえないんだけど」
 文句をたれながらドアの横に大きな荷物を置き、近づいてくる。
 もうそんな時間になっていたのか。彼女に手を伸ばし、無言で呼ぶ。
「なに?たった一週間いなかっただけで構ってちゃんですか?」
 無言で手を伸ばし続ける。否定する気も否定する言葉もない。
 彼女はため息をひとつつき、腕の中に入り込む。ぎゅうっと僕の頭を抱えてまた一言、ただいまとつぶやいた。
 あぁ、やっぱり一人じゃつまらないんだ。窮屈なくらいのしかかる体重、抱きしめた身体の柔らかい感触、耳元に届く吐息、それに体温。彼女がここにいる証。
 その全てが愛おしい。

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マガジン『世界の欠片』

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