6.呪われた血と偽りの救済(4/7)
4/7
「うわああああ!?」
悲鳴を上げる棄助に日与はヘッドスライディングで飛びつき、彼の体を抱きかかえた。
滑り台のように斜面を滑り落ちて行く途中、木の幹が迫ってくる!
「クソッ!」
それを蹴飛ばしてかわす!
斜面が終わると二人と一匹は虚空に放り出され、下の沼に落ちた。
ドボン!
冷たい泥水の中で足掻き、日与と棄助は水面に顔を出した。
幸いそれほど深くはなく、真っ直ぐ立てば胸から上は水面に出た。
棄助は周囲を見回すと、たちまち真っ青になった。
「ここは……! た、大変だ! 早く水から上がらなきゃ!」
「何なんだここは?」
「ここにいちゃいけません! 向こうへ!」
必死の形相で促され、日与は彼に続いた。
沼の周囲はネズミ返し状にえぐれた崖になっており、とてもよじ登れない。
「ギャアアアアーッ!」
すさまじい悲鳴が上がり、二人は振り返った。
一緒に沼に落ちた人狼が必死にもがいていた。
濁った泥水の中にブクブクと泡を上げる異様に大きな影がいて、水面下で人狼にまとわりついている。
「何だありゃ?!」
「……!」
棄助は痛ましげな目を人狼に向けたが、すぐに日与を誘導した。
「あっちから上がれます! 急いで!」
沼の奥のほうは緩やかな傾斜になっている。
日与が棄助の背を押してその斜面を上がらせたとき、沼からざぶりと飛び出したものが日与の片足に噛み付いた。
それは異態進化を繰り返し、もはや元が魚だったかトカゲだったかもわからない、巨大なナマズめいた異形の生物であった。
異態生物は巨体をよじらせて日与を沼の中に引きずり込もうとした。
とっさに棄助が両手で日与の手を掴み、踏ん張る。
日与は叫んだ。
「手を離せ!」
棄助は泣きそうな顔をして日与の手にしがみついた。
「イヤです!」
「バカ野郎! 手を……うぷっ!」
二人もろとも泥沼の中へと引きずり込まれた。
その瞬間、日与は雄鶏頭に背広の姿となった!
ブロイラーマンは身をよじって異態生物に掴みかかり、その片目をチョップ突きで貫いた。
ズブッ!
ゴボゴボと悲鳴にならない声を上げて異態生物の顎の力が緩んだ。
日与はすかさず足を引っこ抜いた。
沼の奥から更なる異態生物たちが集まってきた。
ブロイラーマンは沼底を蹴って必死に陸に向かった。右腕にしがみついている棄助の重みが急に増したが、構わず強引に引き上げた。
「ああああああ!!」
地上に出た棄助は泥を吐きながら悲鳴を上げた。
右足の膝から先を食いちぎられ、血が噴き出している。
「棄助! クソッ」
ブロイラーマンは棄助を背負ってその場を離れた。
その途中、沼の岸辺に落ちていたキラキラ光るものに気付いた。
何かの金属部品だ。なぜこんなところに? 気にはなったが今は構っている時間はない。
沼から離れた場所まで来ると、ブロイラーマンは棄助を下ろした。
彼の足の傷を調べようとして、彼は眼を疑った。
棄助の右足はちゃんとそこにあった。傷ひとつないまま。
(治ってる……?)
棄助は小さく唸り声を上げ、目を覚ました。
すでに人間の姿に戻っている日与に、棄助は眼をぱちくりさせた。日与がニワトリ頭の怪物に変身したのは夢だったのだろうかといぶかしんでいるのだろう。
棄助ははっとした沼のほうを振り返った。
何かをひどく心配しているような表情を見せている。
棄助は日与に向き直り、目を伏せたまま頭を下げた。
「助けてくれてありがとう。そのう……沼で何か見ましたか?」
「何も見なかったことにして欲しいならそうする」
「はい……」
日与と棄助は採集作業をしていた場所へ歩いて戻った。
棄助は驚くほどしっかりした足取りだ。ときどき沼のほうを振り返っている。
やがてワゴン車のヘッドライトが見えた。日与たちを探しに来たのだ。
車を降りた神官のリーダーに、棄助が何事か耳打ちした。リーダーはちらりと日与のほうを見たが、何も言わず、車に日与と棄助の二人を乗せた。
リーダーは日与に言った。
「あなたの助力に感謝する。先に村へ帰ってください」
「あんたたちは?」
「神官が一人どこかへ行ってしまったんですよ。たぶんさっきの……異態生物の襲撃のとき、パニックを起こして逃げ出したようで。私たちは彼を探しに行きます」
神官たちを乗せたワゴン車は山奥へ向かい、日与たち信者を乗せたワゴン車は反対方向の村へと戻った。
* * *
村に戻ると、日与は先にシャワーを浴びさせろと神官に要求した。
収穫物の選定や保存などの作業の後と決まっているが、日与が棄助を助けたということもあり、神官は渋々ながら了承した。
車庫の隣に、山から戻った男たちが泥を落とすシャワー室がある。
着替えを持った日与がそちらに向かうと、神官用のシャワー室の前に聖代の姿が見えた。泥まみれの棄助と何か話している。
日与は建物の陰に姿を隠して耳をすませた。
「大変な思いをしたそうだな」
「いえ、何でもありません。労働者の人に助けてもらいました」
「そのことを言おうと思ってな……棄助、お前はとても優しい子だ。それはわかる。だが労働者に心を許してはいかんぞ。わかっているだろう?」
その口調に咎めるような響きはなく、あくまでも孫がかわいくて仕方ない祖父といった感じだった。
「棄助や、さぞうるさく思っているだろうが」
「そんなことありません。あなたが大好きです」
「ハハハ……そう言われてしまってはな。説教は終わりだ。どうか言うことを聞いておくれよ」
「はい」
「そうそう、冬虫夏草をありがとうな」
聖代が去ったのを見届け、日与はシャワー室に入った。
裸になったその体は小柄だが筋肉質で、全身に歴戦の傷跡が刻まれている。
シャワーブースの一つから、髪をシャンプーで泡立てていた棄助が顔を出した。
「森一さん? こっちは神官用ですよ」
「そうか。間違えた。まあいいだろ」
嘘をついた。日与は棄助に会いに来たのだ。
日与は棄助の隣のブースに入り、シャワーのバルブを捻った。ほとばしる熱い湯を浴びながら、日与は言った。
「ありがとよ」
「え?」
棄助がブースの壁越しに聞き返した。
「俺が沼で何か見たかリーダーに聞かれたんだろ? で、お前は何も見てないって答えたんだろ」
「……」
「俺の立場を守ってくれた。事情は知らんが」
「いえ……」
日与は切り出した。
「お前は何でこの村に来た?」
「来たと言うか……僕の頭の傷跡を見ましたか?」
「いや」
「ずっと前に強盗に撃たれて、重い後遺症が残ったんです。両親は射殺されて僕だけがかろうじて生き残った」
棄助は湯を浴びながら言った。
「聖代様から最初に奇跡を授かったのが僕なんです。それから聖代様は所属していた終末カルトの宗派を離れて、聖代派を設立されたんです。僕はそれにお供しました。一緒に人を集めて、村を作って……」
「お前、聖代の……?」
「孫です」
日与はシャワーの湯を止めると、隣のブースに周り込んだ。
棄助ははっとして振り返った。
湯で体温が上がり、額にピンク色の傷跡が浮かび上がっている。彼は目を見開き、少し体を竦ませていた。
日与は真っ直ぐに彼を見て言った。
「棄助。聖代は本当に何の代償も求めなかったのか? お前や、他の奇跡を授けた人たちに」
棄助は息を詰まらせ、目を伏せて小さな声で言った。
「おじい様は……多くの人を助けられました。病や、ケガで苦しんでいた人たちを。その人やその家族は、みんなおじい様に感謝してらして……本当に、家族が助かって良かったと言っていて……僕はそのお役に立てて嬉しくて……! ごめんなさい」
棄助はグスッと鼻を鳴らすと、日与の隣をすり抜けて風呂から出て行った。
「……村を出てください。今夜中に! あなたはここにいちゃいけない」
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