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6.呪われた血と偽りの救済(1/7)

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1/7

「ここにいらっしゃる方のほとんどが半信半疑のはずです。本当にこの私が霧雨病を治せるのかと。インチキではないか、何らかのトリックで騙そうとしているのではないかと!」

 老人は厳かに言った。

 八十を過ぎている様子だが、よく響く力強い声である。白狼を思わせる長身で、白い背広を着こなし、肩に丈の短いケープをかけていた。

「我ら聖代《せいだい》派は論より証拠! 私が天より授かった奇跡を今からご覧に入れましょう。どなたでも構いません、霧雨病、あるいは何であれ難病をお持ちの方、どうぞ私の近くへ」

 群集に静かなざわめきが広がった。

 質素な作りの聖堂に雑多な人々が集まっている。その中の顔色の悪い男が手を挙げ、おずおずと一歩前に出た。

「あの……こないだ霧雨病って診断されたんですが」

 老人と同じケープをつけた神官二人が彼の手を取り、広場の中央へ案内した。

「どうぞ聖代様のもとへ」

「ささ、恐れることは何もありません」

 そこには大理石で出来た噴水じみた小さなプールがある。
 その老人、聖代は靴を脱いで素足になると、プールの水に入り、腰まで浸かった。

 聖代に手招きされた男は躊躇したものの、神官たちに励まされて自分もプールに入った。

 聖代は祈りの言葉を囁きながら男の鼻をつまみ、赤ん坊のように抱いて水の中に沈めた。
 そのまま五秒もしただろうか。

「おお……!?」

 人々から驚きの声が上がった。
 二人を中心にプールの水が赤く変化し、それが広がっている! プール全体が血のように真っ赤になったと思いきや、すぐにその色は溶けてなくなり、また透明な水に戻った。

 水から上げられた男は、信じられないという面持ちで自分の胸を手で押さえた。

「胸のつかえがない! 霧雨病が……治ったのか?! ああ! 聖代さま!」

 男は泣きながら聖代にすがりついた。
 聖代は慈愛に満ちた目で抱き返し、神官たちに若い男をプールから上げさせた。

 若い男は群集のほうに戻ると、疑いの目を向ける両親と思しき二人に熱心に話し始めた。

「すごいよ! あの人は本物だ!」

 次に老女が手を上げ、自分も霧雨病だと言った。
 彼女が聖代の手で同じように浸礼を施されると、水が赤く染まり、透明に戻る。

 水から上げられた老女は目を見開いたまま口をパクパクさせた。
 神官が手を貸して引き上げ、タオルを体に巻いてやると、老女は夢うつつのままふらふらとこちらに戻ってきた。

「信じられない! 信じられない……! 奇跡……!」

「病気が治ったの? 本当に?」

 娘らしき女が話しかけると、老女は何度も頷き、確かめるように深呼吸をしながら言った。

「間違いないわ。わかるの! 体の中が十代に戻ったみたい!」

 聖堂の天窓近くで、ごく小型のドローンが静かにホバリングしている。

 そのカメラがチュインと小さな機械音を立てて、聖代の姿をズームアップした。


* * *


「彼らは聖代派という新興宗教組織で、天外郊外の辺境に自分たちの村を作って暮らしてる。リーダーの聖代という男が、病気の人を奇跡と称して治療しているの」

 天外市内の廃墟オフィスビルにある会議室。

 永久はタブレット端末でドローンの録画映像を二人に見せながら言った。
 この映像は先日に撮影されたものである。

「けっこうな噂になってるのよ、どんな病気やケガでも治してくれるって。信者をどんどん増やしてる」

 向かいのオフィスチェアには日与と昴が座っている。
 日与が永久にいぶかしげな目を向ける。

「よくあるインチキだろ」

「そう。霧雨病が治るまじない、薬、健康食品。天外じゃこの手の詐欺は事欠かないわね……見てて、ここから先。ビックリするわよ」

 永久はタブレットの映像に視線を戻すよう日与を促した。

 浸礼の儀式が続く中、また別の病人が名乗り出ようとしたとき、防霧マスクとサングラスを着けた女が大声を張り上げた。

「横入りしてごめんなさい、次はアタシね!」

 無礼な態度に群集が眉をひそめる仲、聖代は女に向かって静かに手招きをした。

 女はプールの前まで来ると、防霧マスクとサングラスを外した。
 その下の素顔は醜く焼け爛れていた。鼻がそげ落ち、右目が潰れている。

「この顔を元に戻してちょうだい。今すぐに! 信心次第でいずれ治るとか言わないでね」

 インチキを暴いてやろうという挑戦がありありと見える。どこか自暴自棄でもあった。

 だが聖代は自信たっぷりに微笑んで答えた。

「我々はどんな方であれ分け隔ては致しません。こちらへ」

 女は少し驚いた様子だった。聖代が何かやと理由をつけて断ると思ったのだろう。
 だが女は尊大な態度で鼻を鳴らすと、プールに入った。

 聖代に鼻があった場所を手で押さえられ、プールの中に沈められる。
 例によってプールの水が血のように赤く変色し、元に戻る。そして女が引き上げられたとき……

「ああ……ああ!」「そんな! まさか!」「顔が!」

 群集は口々に驚きの声を上げた。

 女は水面に映った自分の顔をぽかんと見つめた。
 一点の傷もない、美しく整った顔だ。ぽかんと口を開けたまま、震える手で恐る恐る唇や頬に触れる。

 男が駆け寄ってきて彼女をプールから抱き上げた。夫か恋人だろうか。

 驚愕した女は顔を撫で、うわ言のように繰り返した。

「こんなことが……こんなことが……!」

 群集の一人が涙を流してその場にひざまずいた。

「ああ……聖代様! あなたは本物の救世主です!」

 他の人々もそれに倣い、同じようにひざまずいて聖代を仰いだ。
 中には後光が見えるかのように、まぶしげに目を細めたり手をかざしている者もいる。

「「「聖代様!」」」

「あ、この人。この顔!」

 映像に見入っていた昴が、画面の女を指差した。ついさっきまで顔がなかった女だ。

「天道《てんどう》衣兎《いと》だ! 『ライオットボーイ』アニメ版にチョイ役で出てた人!」

 永久がタブレット端末をスワイプし、女の顔をズームアップして目を凝らした。

「ああ……本当だわ。交通事故で顔に大ケガした舞台女優ね」

「治癒能力の血族……」

 日与が呟きに、昴がぱっと表情を明るくする。

「そっか! この人なら日与くんのお兄さんの病気を治せるかも!」

「あなたたちにそれを調べてきて欲しいの」

 永久が二人に言った。

「血族全部が悪人じゃないっていうのは、あなたたちが証明した通り。聖代が善意で人々を助けている可能性もある。でもこれまでの経験からするとやっぱりね……」

「何かとんでもない代償を要求している可能性のほうが高いな」

 日与に永久は頷いた。

「聖代から奇跡を授かるには条件があるの。病人と家族ぐるみで村へ移住して、そこで農業をやること。独身者の場合は信者と見合い結婚して所帯を持つこと。教団という大きな一つの家族に加わって欲しいわけね。お金はある人からは受け取るけど、ない人は払わなくてもいいみたい」

「ええと……」

 昴がちらりと日与を見、永久に言った。

「その……私たちがそこに潜り込むってことは、私と日与くんが……夫婦に?」

「あら、イヤ? なら私と夫婦のフリする?」

 嬉しそうな顔をする永久に、昴はきょとんとした表情をした。

 日与が永久に呆れた目を向ける。

「浮気すんなよ」

「冗談よ、冗談。ウフフ」

 昴だけがこのやり取りを理解できない顔をしていた。
 昴は永久と花切のことは聞かされていたが、その関係については詳しく知らされていないのだ。

 永久が仕切り直して続けた。

「聖代派の村は短期間労働者も受け入れてるわ。あなたたちはそっち。家族や信仰心なしでも入れるから安心して。それから……ちょっといいかしら、昴ちゃん。日与くんとプライベートな話がしたいんだけど」

「あ、はい」

 昴はオフィスをからベランダに出た。

 彼女が日与たちと行動を共にするようになって一週間が経った。
 日与も昴も追われる身なので一ヶ所に定住せず、こういった廃墟や安宿を転々とする日々を過ごしている。

 安全で清潔なフォート暮らしから急転直下の生活だが、元々好奇心が強く退屈を嫌っていた昴は、この冒険の日々を楽しんでいた。

 オフィスのほうから日与と永久の声が聞こえる。

「明来の具合が?」

「話してもいいけど、私の言うことをよく聞いてムチャしないって約束できる?」

「する! 教えてくれ!」

「明来くん、あんまり良くないみたいなの。医者は具体的にどの程度とは言わなかったけれど」

「……!」

「焦るのはわかるけど、絶対にムチャしないでね。日与くん、あなたに何かあったら明来くんを助けられる人がいなくなってしまうのよ」


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