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病院の怪談「5」ー⑥

法的な配偶者となることがいちばん強力に綾子を守ることになる。誠二の出した結論だ。財産目当てと思う人は思えばいい。綾子が亡くなっても、自分は配偶者としての相続権は主張しない。綾子の望む通り、盲導犬協会に寄贈すればいい。

風薫る6月、
庭に桜草咲き乱れる小さな教会で二人は式をあげた。
赤いツツジの咲く道をしばしドライブ、役所に向かう。幸せな道程に付添ってくれたのはキミ子とキミ子の会社の社長だ。

綾子は末期がん。余命いくばくもないと告知されている。
手術不可能、体内に無数に癌細胞が散らばっているのだ。幸い、今のところ、抗がん剤と相性が良いのか、体調は凪の静けさ。
癌であるということ自体が何かの間違いではないかと思えるほどだ。

誠二という若き配偶者を得て綾子は幸せだった。一生分の幸せを、今、手にした、そんな気分。

癌は一種の老化現象だから完治することはない。小康状態を維持しつつ、少しでも寿命を延ばすしかない。

でも、もしかして,私、あと10年生きられるかも……。

検査入院は今までのように個室ではなく大部屋にした。個室は夜が寂しい。
何かが出てきそうな気がする。何か、というのが何か、は分からないが。

同室の3人は同じ70代後半だった。
ひとりは植木職人の妻で、自分もやはり植木職人。
もう一人はカラオケバーのクリーニレディー、昔みたいに掃除婦とは言わない。立派な掃除のプロだ、
もう一つのベッドは空いていたが、まだ 30代後半に見える女性が夕方運び込まれてきた。夜、緊急手術をするということだ。

植木屋の妻が「若いからだいじょうぶよ。麻酔しているうちに全部終わるからちっとも痛くないよ」
カラオケバーの女性が「明日は多分集中治療室だけど、ここに帰って来るの待ってるからね。若いんだもん、大丈夫よ」
綾子たちは去り行く車椅子を手を振って見送る。

キミ子は身元引受人を退くつもりだったが、綾子と誠二の強い意向で身元引受人として留まった。
病院側はそんなことはどうでもいいようだ。病院にとっては独居老人ほど不安な客はいない。綾子がこの年齢で若い男性を夫に持ったことは、看護師たちの間でもうわさになった。

「配偶者はチョーかっこいいのが一人いれば十分。貧乏でもなんでもいい。若くてかっこよければいいのよ」
「彼、前にここで働いていたレントゲン技師よ」
「若くてイケメンなのに」
「どこでどう間違ってあの人と結婚したの?チョー不思議」
「恋の感情って年齢には関係ないんじゃない?」
「そう……ね……」

夜はふけてゆく。
夜勤看護師と交代の時間だ。
「夜お世話します○○です。よろしく。何かお困りごとがあったらナースコールで呼んでくださいね」

そして病院内部は深い深いは静けさに包まれる。
そんな静けさの中、手術室では緊急オペが行われ、救急車で運びこまれる人がいる。
病院は夜も眠ってはいないのだ。お迎えに行こうと手ぐすね引いて待っている死神と闘っているのだ。

黄泉の国から金銀の馬車に乗ったお迎えが来た人もいる。
治療の結果、地獄の三丁目からこの世に戻ってきた人もいる。
原則、家族は病院には泊まれない。すべての人は命と死の狭間を一人で迎えるしかない。

朝が来たら病院は賑やかになる。
1時になったら、誠二さんやキミ子さんが来てくれる。
癌?不治の病?
ステージ4でも生還した人がいるじゃないの。
私はステージ4の癌ステージから、輝く人生のステージに立った。伴侶を得たのだ……。

明日になったら、主治医も驚くだろう。
ガン細胞が消えた……。理解できないことが起った……。

人生は理解できないことだらけ。人生そのものが怪談なのよ。
人生の怪談で傷を負った人たちは病院の階段を上ればいい。
病院の階段はいつもいつも希望に満ちていてほしい……。

そうだ。明日、公正証書遺言を完ぺきにしあげよう。

私の遺産は、盲導犬協会とこの病院に幾ばくか。談話室とシャワールームをもっとおしゃれに作り変えてほしいから。そのために使ってほしいから。

綾子は幸せな眠りに入っていった。明日は夫誠二さんと今まで私の世話をしてくれたキミ子さんが来る……。
人生は幸せな階段を上ってゆくようにできているのね……。

                         終わり

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