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noteで繋がり、論文完成。おめでとう!

先日、ひろみさんから素晴らしい論文をいただきました。バレンタインの何よりの贈り物、ほんとうに幸せなひとときでした。

英語の題もかっこいい!


私の小説がほんの少しでもお役に立ち、この論文の完成に微力ながら貢献したことは夢のような名誉……。

 

二人で記念写真。
  私のペンダントはミニチュアちいさんの作品のブローチに鎖を付け   
  ものです。

それにしてもよくここまで調べあげたものだ、と感心しました。
国会図書館から深谷市役所、郷土史研究会の方、東京女子医大、その他、足を運んだ場所は30箇所を上回る…。
まさに足で書いた論文です……。

以前記事に書きましたが、22年ほど前の拙作『野菊のごとく・女医2号生沢久野の生涯』は健友館の倒産と社長の御死去により終わりました。同社で出版した本はすべて、著者が買い取った分を除いて廃棄処分されたのです。倉庫に保管しているだけでお金がかかるからです。

それから20数年……。

久野(クノ)の子孫の方がインターネットで検索し、私の本にたどりつきました。
余談になりますが明治時代の人はかなり簡単に自分の名前を変えています。女性は漢字にしたりカタカナを使ったり、自分の好みで変えていました。そういう意味では今よりずっと自由だったみたいです。ですから「久野」表記あり「クノ」表記あり、です。

私の本を探しても見つからず、著者長谷川美智子で検索、noteをやっているという情報を得、ご自分も会員登録、私の記事にコメント、私と繋がったのです。2年前のことでした。

彼女、ひろみさんはその後「立教セカンドステージ大学」(立教大学主催・立教大の生徒と同じゼミで同じ授業を受けて単位を取得する)に入学。
卒業論文『公許女医第2号生沢クノ』を完成。ゼミで選ばれ、数百人の前で発表するとか。

すべて、ひろみさんの努力と情熱の賜物です。

インターネット時代ならではの奇跡、そして軌跡ともいえるでしょう。

私がnoteをやっていなかったら、
ひろみさんがとことん検索して私とnoteの繋がりにたどり着けなかったら、論文の中に私の名は出なかったでしょう。

縁とは不思議なものです。
どんな素晴らしい宝石に生まれかわるか分からない……。

論文完成を一番喜んでいるのは、生沢クノさん本人でしょう。
深谷の偉人として渋沢栄一が脚光を浴び、お札にもなりますが、不屈の闘志で岩盤の男社会に切り込み、明治時代の女医の道を切り開いた女性。地域医療、遊女たちの病気治療に尽くした生沢クノ。
彼女にほんの少しでも光を当てた作家たちのなかに加わった私を私は褒めています~

『野菊の如く』に使わせていただいたクノさんの写真

多くの資料、写真を見ると、必死で走り回ったあの日々を思い出します。そしてその姿は今のひろみさんに重なるのです。





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