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日本語は英語の世紀の中に飲み込まれていくのか

こういう風潮に水森氏さんは鋭く警告するのだ。いま日本人が守るべきものは日本語であり、英語の世紀のなかに飲み込まれていく日本語に新しい生命力を注ぐべきなのだと。どうしたらいいのか。彼女はこう書くのだ。まず信じられないばかりに薄くなった国語の教科書を何倍も厚くすべきだと。そしてそこに真正の日本の近代文学、奇跡の時代をつくりだした改造社版で編まれた大作家たちの作品を大量に載せるべきだと。なぜ「日本の国語教育は近代文学を読み継がせることに主眼を置くべき」なのか。彼女はその理由を三つ挙げている。

一つ目は、出版語が確立された時代の文学だからである。つまり出版というビジネスが誕生し、そこに多数の読者に読まれることを目指した文学が、熱い息吹のなかで創造されていったからである。二つ目は、幕府が崩壊すると同時にどっと西洋がなだれこんできた。英語の世紀がすでにそのとき日本にも上陸してきたのだ。この西洋の衝撃のなかで、作家たちは奇跡とでもいうべき日本文学を創造していった。三つ目に、漱石や鴎外や藤村といった外国語に堪能な叡智をもった作家たちが、圧倒的な西洋文学に翻弄されながら、日本の文学を創造していったのである。

水森さんは展開していった論をしめくくるように、こう書く。「日本の国語教育においては、すべての生徒が、少なくとも、日本近代文学の薫り高き文章に触れたら、今巷に漫然と流通している文章が、いかに安易なものか肌でわかるようになる」と。

英語の世紀に入った今、日本が厳しく対峙しなければならないのは、当然のことながら、日本の英語教育をどうすべきか、ということになる。英語の世紀に立ち向かうために、日本はどのような英語教育を選択するのかということに。水森さんは原理的に三つの選択肢があると書く。
一 国語を英語にしてしまう。
二 国民の全員がバイリンガルになるように目指す。
三 国民の一部がバイリンガルになることを目指す。

人生の大半をアメリカで過ごした彼女は、英語という言語と格闘する人生でもあった。そんな彼女が繰り出す英語教育論は深い示唆を与えるのだが、ここでは彼女の論から少し離れて「草の葉メソッド」のことを書くことにする。
「草の葉メソッド」は、水森氏が挙げた三つの方法のいずれにも属さない。もし彼女の書きだした選択肢に書き加えるならば、《四 日本英語を作りだすことを目指す。》ということになるだろう。
日本の英語教育は今でもそうなのだが、圧倒的に受験英語である。日本の英語教育は、官民挙げて受験英語を創造してきた。テキストも、授業も、教師たちの思想も、教育技術も、すべてその根底にあるのが受験英語である。その長年の取り組みで、日本の英語教育は驚くほど高度な創造を成し遂げたというべきだろう。おかげで日本国民の大多数は、程度の差こそあれ受験英語ならわかるのだ。まったく世界で通用しない特殊な言語体系であるが、しかし持たないよりましだというべきなのだろうか。

今私たちが満を持して登場させる《草の葉メソッド》は、おそらくこの受験英語に引導を渡すという大いなる挑戦になるのだろう。受験英語に変わる日本英語の創造である。これからの日本の英語教育は、官民挙げて日本英語の創造に立ち向かっていくのだ、と、金色に輝くトランペットは高らかに吹き鳴らす。いったいその《草の葉メソッド》とは何ものなのだ。日本の英語教育を根底から変革せんとする《草の葉メソッド》とは。

その英語メソッドに取り組めば、自由に英語が話せるようになるというのだろうか。そうではない。全く逆である。《草の葉メソッド》とは、日本人は自由に英語など話せないということを証明するメソッドなのだ。何十年何百年と英語に取り組んでも、結局日本人は英語をネイティブ・スピーカーなみに話すことなどできない。そのことに日本人として最初に気づいたのが夏目漱石だった。イギリスに渡った漱石は、英語に悶え苦しみ、引きこもり、ついには狂っていった。《草の葉メソッド》とは、漱石が到達したその地点から組み立てられているメソッドでもある。




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