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足の感触  廣瀬嗣順

 絵本館から北西に、信濃富士と呼ばれている有明山が鎮座している。その南西に中房温泉がある。北アルプスから流れ出ずる穂高川に沿って五、六分車を走らせると、霊験豊かな山岳信仰の有明山に登る裏参道を見つけることになる。人ひとりやっと通れる程の小径であるが年々、落葉が積み重なって、次第に径の形相が変ってしまう。
 たぶん夏には、人が入り込むのだろうが、秋には、未踏の径となってしまう。絵本館周辺は針葉樹の赤マツが主なのだが、この参道周辺は、見事な太い広葉樹の森である。妻と子供たちとで手弁当を持って、秋の紅葉時に毎年入り込むのだが、林でなく森の持つ特有の威厳を感じる。

 この聖域に、突然、人間が入り込むと、猿の大群に出会う。距離はあるのだが、「バウッバウッ」と犬が吠えるように群れの主が、私たちを威嚇する。「ここは我々の棲家だ、他者は来るな。邪魔するな」とでも云っているように聞こえる。「決して侵略しません。ただ森の空気を吸わせて下さい。森の生けるものすべてを私たちに見せて下さい」と謙虚に心の中で呟く。
 確かに、この森の大地に、貝の死骸のように無数の栃の実がころがり落ちている。どれひとつ正形を残しているものがない。すべて動物たちが食べ残したものなのだ。その数は尋常ではない。キウイの原種といわれているサルナシも夥しく、食べ散らかっている。

 この参道沿いに小さな渓流が流れている。
 周辺には、有明モミジと呼ばれている十一葉からなるモミジが群生し、見事な朱の世界を繰り広げているのも、この森の特色である。余談ではあるが、この参道の奥深くに、UFOの基地があると噂聞く。
 有明山の附近で、UFOを目撃した人が多く、度々、私の友人間で、UFO目撃の話題となる。実はこの私も夏の夕暮れ時に、一度目にしたことがある。未確認飛行物体としか云いようのない、光の動きであった。基地に関しては、私自身、目にしたことがないのだが、見た人によれば、「あれはUFOの基地以外の何物でもない」ということになる。
 
 私はこの径を歩くことが好きだ。
 凛とした森の静寂の大気と香りを胸深く吸い込むと、人間は曽って森の住人であった、遥か太占の記憶が甦える。懐かしい気分になる。そしてもっとも好きなのは、足から伝わる土の柔らかさだ。青々と繁っていた広葉樹の葉が、この時期になると小径にずっしりと溜っている。
 何年も積み重った落葉の小径を歩いていると、足の裏側から子供時代の土の感触がよみがえってくる。知らず知らずのうちにコンクリートーアスファルトといった街道に慣らされていたことに気付く。足の裏が土の感触をちゃんと憶えていることにびっくりする。かつて東京に住んでいた子供時代の周辺には無数の空地があった。関東ローム層の土であったが、裸足同然で遊びまわってもケガひとつしなかった。その足がはっきりと土の感触を憶えているのだ。

 私たちの落葉を踏む足音と息を吐く音が響く。現代社会でなく、太古の世界に舞い戻ったような自然の息吹きだ。現代社会とは遠く掛け離れた、時間さえ止っているかのような世界なのだ。何ひとつ人工的な音がない。私たち以外に誰もいない。木の実を食べて生きている動物たちさえ、この時、息を殺しているのではないかと思える程、静かな世界がここにはある。
 こうして森の中に身を置いていると、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感の記憶が何かを覚えているのに驚かされ、それにしても、東京での生活では、よくもまあこうした感覚が埋れていたものだと感心してしまう。文明と経済の流れが人間の感覚を去勢し、生物であることも忘れさせてしまうのかもしれない。
 最近、富に「アウト・ドア」いう言葉を耳にする。「アウト・ドア」という言葉はファション的で好きではないが。私もそうであるが、私の友人家族も暇があると自然の中に入り込んでいる。子供たちのためにという名目があるのだが、一番生き活きと自然と戯れるのは、決って私たち大人なのだ。内なる子供の目覚めというか、素直に自分が自分でいられる行為は、世俗的なものをすっかり忘れさせてくれる。
 
 焚火を囲み、燃えさかる炎を見つめていると、子供時代の体験とはちがう何か不思議な気分が湧き出してくる。ずっとここに居たい、帰りたくない、と心が叫ぶ。アウト・ドアの行為も、人それぞれの〈内なる子供〉、〈内なる自然〉への回帰願望であるかもしれない。
「私はかって海の住人ではなく、森の住人であったにちがいない」と感じるのもこうした時である。
 今、こうした環境の中での生活が愛しく思えるのは私自身、年老いてきた証拠なのだろうか。それとも人間の歴史の中で培った原始の記憶の呼び起しなのか分からない。
 しかし、内なる子供の外に、もっと昔、少しずつ継承してきた遺伝子の中に、太古の体験さえも組み入られていたとするならば、大いに納得させられるのだが‥‥。
                       (安曇野絵本館)

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消え去ってしまつたこの絵本館を愛した人の一文がネットに残されていた。

何というか、ここまで徹底して大人向けを意識して作った絵本の美術館というのも、日本では珍しいかもしれません。設立した当初は、中学生からでないと入れなかったと記憶しています(今でも未就学児は入場不可)。料金は一律で700円。安曇野に行ったら、ほかの美術館には行かなくても、ここだけは行ってみることをおすすめします。絵本に対する認識を一変させてくれます。
 はじめて訪れた時は、もう20年以上前でまだ開館した直後でした。「なんか看板がある」と振り返ったら、もう通り過ぎるくらい小さな看板でした。当時は、駐車場までの小道が舗装されていないので、車の底が結構、木の根にぶつかりました。今はだいぶ改善されています。
 画家のスタシスが作ったオブジェがいくつか置いてあり、絵ではなくオブジェを見ているだけでも飽きません。最初の頃は、まだお客さんも少なかったようで、休みも多かったし、5、6人のグループでも、ご主人の館長は少し迷惑そうだったのを覚えています(笑)。

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こきはしと

やくきしは

ことはき

としいなとと


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