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かならず神の手たる出版社と出会う日がくる、そのときまで恐れることなく書き続けよ   高尾五郎

「目を覚ませて呼ぶ声が聞こえ」序文5 (最終回)

 しかしこんな論をいくらむきになって論じたって事態は一向に変わらないだろう。もともと芸術というものは本質的に金と結びつかないものなのだ。芸術家はいつの時代でも貧しい。悲しいことにどこまでいっても貧しく、大半の芸術家たちは貧困のなかで倒れていく。それはどんな時代でもそうなのであって、したがって芸術家になるには、貧困にたえられる精神をもっていなければならないということになる。芸術家はだれもが否応なしにその精神をきたえられていく。したがって芸術家にとって貧困というものはたいした問題ではないのだ。生活するためにはどんな仕事だってある。どんなに苛酷な肉体労働だっていとわないし、あやしげな仕事だって、われとわが身がぼろ雑巾になるばかりの仕事だってやってのける。

 問題は、一番芸術家たちを苦しめるのは、命を削りながらつくりだした作品を世に問う場所や機会がまったくないということなのだ。無名の作曲家はいったいその作品をどのようにして発表するのであろうか。無名の映画作家たちはどのようにしてその作品をつくりだしていくのだろうか。無名の画家たちはその作品をどのようにして世に問うているのだろうか。なるほど映画産業や音楽産業や絵画産業や出版産業は立派に存在していて、たえず新しい作品や新しい作家たちを送り出している。

 しかしそれら企業人たちが世に送り出すその方法やその精神というものは、懸賞小説という策を労して送り出す出版社の姿と軌を一つにしているはずだった。いかに安直に、いかに効率的に、いかに素早く、より多くの金をせしめていくかである。狡滑で、現金で、けちくさい穴が、大きな仮説を抱き日本と日本人に新しい生命の息吹きを注ぎ込む人々をすげなく拒絶し排斥していくのだ。

 言葉の土壌をよみがえらせていくのは、小さな穴をあちこちに設けることではないのだ。懸賞小説でつりあげたり、懸賞金の額をふやしたり、安っぽい推理小説を手をかえ形をかえて繰り出すことではないのだ。そんな小手先なことではなくより本質的により荒廃の核心に手をつけなければならない。その最も核心の行為がいかにして大きな魂をもった無名の作家たちと出会うことができるのかである。そして出会った作家たちの作品群をいかにして世に送り出していくかその作業に取り組むことなのである。

 彼らが苦闘しながら書き上げた作品をもっと別の尺度のなかで読み取り、もっと人間的友情のなかで交流し、ともにその黄金の果実を磨き上げて、読書社会に送りだしてやるのだ。それは金のかかることであり、時間のかかることであり、出版社の経営を危うくする作業かもしれない。しかしあきらめることなく根気よくその作業を続けていけば、やがて徐々に読書社会は変化していくのである。じっくりと育てあげた作家たちは、ありとあらゆる領域に生きるおびただしい数の読者を読書社会にひきずりこんでくるからだ。

 言葉の果実はより滋味をたたえ、より輝きをまし、より力があふれていく。日本語は新しくなり、たくさんの新しい物語をもつ。言葉の土壌が変化していったのだ。こうして読書社会がたわわな実りの時代をむかえると、あらゆる芸術もまた豊穣な果実をつけはじめていくにちがいない。日本の核心が充実しはじめるからだ。日本の精神がようやく成熟のときをむかえはじめるからだ。芸術というものは人間を歌うものである。苦悩の深さを歌い、愛と憎しみを歌い、怒りや悲しみを歌い、喜びや祈りを歌う歌なのだ。芸術によって人間は深められたり、癒されたり、勇気をえたりする。心の農夫であり漁師である芸術家たちは人間の復活を歌うのだ。人間は元気であれと。誇りたかくあれと。絶望と悲しみから立ち上がれと。組織や技術や機械の奴隷のような生活をするのではなく、一人一人が自身のために生きはじめよと。一人一人が世界にむかって否と言える精神を打ち立てよと歌っているのだ。

「目を覚ませよと呼ぶ声が聞こえ」の刊行をあきらめきれない私はさらに数年後に、その後書き上げた二三の作品とともにまた三四の出版社に送ってみた。大出版社のけんもほろろのあしらいにこりた私は、今度は中堅の出版社に狙いをさだめてみたのだ。反響は同じであった。原稿が送りかえされてきて、そこに簡単な文面の手紙が添えられていた。なるほどそれは大出版社から戻ってきた素っ気ない手紙とちがって、多少は情のこもった人間の書く文面にはなっていた。「すぐれた傑作だと思います。しかし新人の文芸物に踏み出すことに躊躇せざるをえません。これだけの傑作ですので他の出版社をあたることをおすすめします」あるいはまた「何人かの編集者に読ませてみました。感動する編集者もいましたが、いまわが社にはこの小説を成功させるプロジェクトをもっておりません。蛇足ながら他の出版社を探されてはと思います」と言う具合だった。  

 その文面のなかにしたためられた傑作だとか感動したとかいう言葉は空々しく響くばかりで、これは断りを入れるときの決り文句に違いないと思うのだった。そして私は一つの結論に到達していくのだ。つまり彼らが無名の作家の作品に立ち向かわないのは、その作品の出来映えの善し悪しにあるのではないのだ、と。どんなにすぐれた作品が送られてきても彼らは拒むだろう。要するにこういうことなのだ。いま本は売れなくなった。そんなさなかに無名の作家の本など売れるわけがないのだ。それが現実の姿である以上、もはや空しい行為からきっぱりと手を引くべきなのだという思いを深めていくばかりだった。

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 しかしそんなある日、一通の速達が私の家に舞い込んできた。その文面にはこう書かれてあった。「めくりめぐってとうとう高尾五郎さんの大きな作品群とめぐりあう日がやってきました。出版に関して私の考えなどをお話ししたくアトリエをお訪ね下さい」と書いてあった。そしてその日のうちにその速達を追いかけるようにもう一通の速達が届くのだった。「最後にまわしていた最も長い小説《目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ》を、この小説の魅力にひかれて、きっちりと最後まで読み通しました。大変立派な作品です。なんだか元気がでてきます」

 その日、私はお茶の水の駅に隆りたって電話をいれた。わかりにくいところなので案内するので電話をいれるようにということだった。その学生街の通りは、明るい秋の陽射しを浴びて青春の匂いがあちこちにたちこめていた。教えられた教会をまがると、通りの突き当たりにベレー帽をかぶった一人の人物が立っていたのだ。それが小宮山量平さんだった。猿楽町のあのあたり一帯は〈山の上ホテル〉と名のついたホテルがあるくらいストンと傾斜になっていて、男坂、女坂が上の街と下の街をつないでいる。小宮山さんは私をむかえるために傾斜のきつい男坂の右段をあがって迎えに出ていたのだ。その石段は七十をすぎた人にはちょっと息のきれるばかりの坂なのだ。

 アトリエと名がついた書斎風の部屋に連れこまれると、日本茶をいれてくれ、信州から届いたという柿を自らむき、そしてあなたの作品のなかで自分がとても気にいった箇所はあそこだ言った。その箇所は実は私もまた会心の出来栄えだと思っていたところだったから、なるほどこの人物はたしかに深く作品を読み込んでいるのだと私はちょっとたじろぐのだった。いま自分の手許に水準をはるかにこえた二三の原稿があるが、これらの作品をどのようにして出版するかいろいろと思案を重ねていたが、あなたの作品を手にして自分がいま長い出版人生の一つの総決算をする仕事に踏み出す心づもりができたと言い、そのプランなるものを熱情のなかで話すのだった。

 小宮山さんはすでに理論社の社長を退いていて、そのアトリエを拠点して個人的な活動を展開していた。そしてその新しい仕事は、小宮山さんのなかで次第に成熟していくようにみえた。出版界に向かって若々しいきらめくばかりの宣言をしたり、RKO工房という事務所を旗揚げしたりしてみた。しかしまた事が思うように進捗しないことを嘆くように小宮山さんは何度もこう言われた。「私がもう十年若かったならばなあ」と。

 結果的にその試みは結実しなかった。この長編もまた小宮山さんの手では本にならなかった。しかし私はこの出会いによって自分がこつこつと築き上げてきた世界をしかとたしかめることができたのだ。二千冊以上もの本をだしてきた小宮山さんの著作を読むとき、本物の作家、真正の作品という評価がどんなに深い言葉を意味するのかに慄然とする。私はその後なにものにもおそれなくなった。何事にも揺らぐことはなかった。私はただ本物の作品を書き続けていけばいいのだ。その幸福なめぐりあいは、私にとって一冊の本にするよりも大きな出来事だったといまは思うのだ。

 それからさらに、その幸運に誘われるように新しい幸運な出会いがあるのだ。積さんと島村さんという二人の人物が私の事務所にやってきて、近々に定期購読者五百人をめざす発行部数五百部の小さな雑誌を発行するが、そのなかに短編を連載していただけないだろうかというのだ。そして彼らはその小さな雑誌の誌名を言った。私はそのときちょっと言葉にならないほどの衝撃をうけたものだった。なんとその名前が「草の葉」だというのだ。いまの日本にホイットマンの詩などを愛読する人間など存在しないと思っていたのだ。二人はさらに私を驚かせる。

「草の葉」を軌道にのせたら、《草の葉ライブラリー》を刊行していくつもりだが、そのなかであなたの全作品を刊行していきたいと二人は言った。どこで手に入れたのか二人はすでに私の主要な作品を読んでいるのだった。それはなんだか狐につままれたような出会いであった。小さな雑誌は発行された。《草の葉ライブラリー》も刊行をはじめた。ぞくぞくと作りだされていく彼らの仕事をみるとき、彼らが孕んでいるその仮説の大きさ、新たな地平を切り拓こうとする先駆的な仕事の大きさに眼をみはるばかりだ。「草の葉」の仕事はまさしく今は無であるが、やがてすべてになるのだという冒険と実験のなかにある。「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」はまことにこの小説にふさわしい人々の手に落ちたのだという思いをあらためて強く感じるのだ。

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 こうして闇のなかにあった小説はいまはじめて創造の円環の輪をとじることになった。筆をおこして三十年にも及ぶ長い月日だった。したがって私はこの〈草の葉ライブラリー版の序文〉を、例えばブラームスの交響曲第二番の第四楽章の、あらゆる楽器が全斉放して喜びと解放の歌を奏でるように、高らかに結ぶことができる。闇のなかをさまよっている無名の若い作家たちに、あるいは私たちが去った後に次々にあらわれてくる言葉の農夫たちに刻みこむ勇気と光の第四楽章を。

 無名の作家たちが立っている現実をなじったって事態は一向にかわらないだろう。依然として懸賞小説という虐殺の砦は存続するのだし、読書社会の土壌を豊かにするためのより本質的なより核心的なことに手をつけるわけがない。したがって作家もまた多くの孤軍奮闘する芸術家のように、貧困にあえぎながら一歩一歩自己の信念を貫いていく以外にないということになる。そのとき私は祈りとともに忠告するのだが、決して懸賞小説にむかって歩いていってはいけないのだ。あんなものにかかわっているとあなたの作品ばかりか、あなたの魂まで打ち倒されてしまうにちがいないのだ。何度投稿してもあなたはけっしてその穴をくぐり抜けることはできないだろう。なぜならあなたは本物の作家になる魂をもった人だからだ。あんな針の穴をくぐり抜けるために命を削りとって言葉を書いているのではないのだ。あんな穴をくぐり抜けようと考えること自体が恥ずかしいことなのだ。

 ではいったいどこに向かって書いていけばいいかということになる。作家はその作品を読書社会に送り出したいという熱烈なる希望のなかに生きているものなのだ。しかしあなたの作品を本にする出版社などどこにもない。試しにたったいま書き上げたゆるぎない傑作だと信じる作品を出版社に送ってみるがいい。けんもほろろにあしらわれる。作家にとってその作品を出版社に預けるということは神の手に捧げる心境なのに、まったく彼らのあしらいかたは我慢できない。無名の作家にとってまことに生きにくい時代、艱難辛苦の時代なのだ。

 だからといってここでへこたれるわけにはいかない。そうではないか。もしここで打ち倒されたら、あなたは実は作家ではなかったということになる。あなたはただ作家という職業にあこがれただけの人間だったということになる。あなたのなかには表現したいものがあふれるようにあって、そのあふれるものを言葉によって刻みこみたいという信仰に到達したからこそ、作家として世に立とうと決意したのではなかったのか。だったら書き続けよということなのだ。長い小説を、短編を、中編を、ただ書き続けよということなのだ。それが売れようが売れまいがそんなことはどうでもいいのだ。ただ書き続けること。そのことでしか脱出できないではないか。

 一円の金にもならない言葉を書き続けるということは、それだけで迫害と嘲笑のまとになることうけあいである。まったく一つの長い小説を仕上げるには日常の生活から脱落して、世捨て人のような生活をしなければならない。そういう日々が何年も続いていく。罵声を浴び、ときには石さえ飛んでくることもある。しかしそれでも書くことを捨ててはいけないのだ。あなたはその長い小説を書き上げることによって、はじめて作家になるのだ。あなたはもともと作家となるために生れてきたのではないのか。そのことを生涯をかけて証明するために生きているのではないのか。それならば書き続けなければならない。書くことによってあなたはあなたになっていく以外にないのだ。峠は限りなくある。一つの峠を越したらまた新しい峠がまちかまえている。その峠をこすたびに強くなっていく。また一つ高い峠をこすごとに作家になっていく。作家になるにはベストセラーを出したり、どこかの文学賞をとることによってなるわけではないのだ。

 あなたの言葉はようやくたった一人でこの地上に立つことができるようになる。世界に刃向かう抵抗の言語となっていく。強く美しくたくましい物語の世界を次々に打ち立てているのだ。そのときたった一冊の本をこの世に送り出していなくとも、あなたはまぎれもなく作家なのである。強くなったあなたの内部に出版社が育っていく。孤軍奮闘するあなたにやはり出版社は必要なのだ。書くエネルギーを与え、あなたの魂を支え、あなたは一人ではないこと告げる出版社が。

 それは幻想ではない。この日本にはまた腐るほどの出版社があり出版人はいるのだ。あなたの作品を評価し、あなたの魂に打たれ、あなたの作品を命がけで本にしようとする出版社は必ずあるはずなのだ。あなたの魂を見殺しにするほどすべての日本人が冷たいわけではない。したがって作家はどこに向かって書いていけばいいかというと、あなたのなかで育っていく神の手となる出版社にである。そこに向かってあふれる言葉を刻みこみ、たくさんの物語をつくりだしていけということなのだ。かならず神の手たる出版社と出会う日がくるのであり、そのときまでおそれることなく書き続けよということなのだ。

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