少女の夢 3 酒井倫子
父のあんこう鍋 私が小学校四年生ぐらいから、母は家から南へ三キロほどの製材所に勤めるようになった。というのも叔母のところも幸いなことに叔父が南方の戦地から無事復員し、農業は何とか叔母夫婦でできるようになったことと、いつまでも妹のめんどうにばかりなれないという母の思いも強かったのだ。私たち姉弟は学校から帰っても母が居ない淋しさを味わうようになった。それでも当時は学校から帰ると近所中の子どもが叔母の家の中庭に集まって、陣取りやビー玉や時には二つ年下の従姉妹のカネコとおままごと