見出し画像

竹取村のかぐや姫  六の章


六の章

阿倍皇子

 
 唐の国との貿易で巨万の富をたくわえている右大臣阿部皇子は、姫との求婚が成ったと思い、都にもどってくると早速、取引先の大貿易商・王慶に、火鼠という獣のことや、その獣の皮でつくった着物のことをたずねる文を送った。
 二ヵ月後、唐の国からまた貿易船がやってきて、王慶からの返事が届いた。その文にはこう書かれていた。

《おたずねの火鼠とやらも、その獣の皮でつくった着物なるものも、この国にはございませんぬが、それはひょっとすると、はるか北方か、あるいは南方かに生息する虎なる獣のことではございませぬか。それなる獣は、燃えるがごとき黄金の毛でつつまれており、そのふさふさした毛が見る者には火が燃えていると映るのです。おたずねの火鼠なるものが虎ならばたしかに存在しており、またその獣の皮でつくられた衣服というものもございます。あなた様にその衣服をお届けしたくて、八方に人をやってみましたが、どうもこの衣服には大変な力が宿っていて、それを一度まとうとたちまち精力絶倫になるそうで、それゆえに諸国の王しか手にできぬもののようです。そんなわけですから、なかなか一介の商人がそのものを手に入れるまでには月日がかかるようで、それならばいっそうのこと、あなた様が虎を仕留めにまいったらいかがなものでしょうか。あなた様は大変武勇にすぐれた方とお聞きしておりますが、一度虎なるものを仕留めてみるのもよろしいのではないかと思われます》
 
 とその文には書かれてあったのだ。
 この皇子は文に書かれてある通り、大変な腕力の持ち主物だった。剣、弓、相撲と、腕力を競うものはなんでもこなし、それも相手がいなくなるほどの剛の者であった。そんな人物だから、その虎なる獣にひどく興味をそそられ、自分で仕留めてみようという烈々たる情熱にとらわれてしまった。
 こうなると行動はすばやい。もう次の月には唐の国からきた貿易船に乗っているのだ。さきの大伴御行という大納言は、三度も自身で船を建造したが、この大臣はそんな無駄なことはしなかった。貿易船はいわば航海のプロ中のプロだから、その船を使うほうがはるかに安全に確実に唐の国に渡れた。事実、大臣の一行はこれといった難事にも遭遇することなく、唐に渡ってしまったのである。
 唐の国にはいると大臣の一行は大変な歓迎をうけた。王慶という人物が、唐の国でも一、二をあらそう大商人ということもあったが、日本という国から大臣という高い位の人物がやってきたということの興味でもあったのだ。あちこちで歓迎の宴がもたれ、それが一か月も続く。さすがに一か月も続くともううんざりとなって、一日もはやく虎を仕留める旅にでかけたいとうずうずしてきた。そのことを王慶に伝えると、
「もうそろそろお旅立ちの日だと思っておりました。大臣が旅立たれる準備はすべて私の方でととのえますが、さて南方の虎を仕留めにまいるのでしょうか。それとも北方の虎でしょうか。それによって準備が異なってまいりますのでなあ」
 そう問われた大臣はかねての腹案を話した。
「あなたにもらったさまざまな資料を読みくだしながら思案を巡らしたが、私はやはり北方にでかけようと思うのです。そして虎を仕留めたら、そのまま高麗の国に入り、そこから対馬に渡って日本の戻ってくるという行程をとりたいのです」
「そうでございますか。それならば北方の遠征に必要な通訳を配し、どんな寒冷にもたえるような装備をさせましょう」
 王慶はただちに五十人もの遠征の隊員を組織し、数十頭の馬に装備の数々を積み込ませると、大臣を北方の地に送り出した。
 朝日が木立一本もない大地から上がってくる。そしてまたその大地の果てに巨大な日輪が沈んでいく。大臣はこの地上にこのような広大な世界があったのかと感嘆し、そのなかを蟻のように行進する人間とは、なんとちっぽけな存在なのだろうかと慨嘆する毎日だった。遠征隊はよく訓練された兵士たちからなっていて、規律ただしく黙々と大地を突き進んでいく。何日も何日も同じ景観のなかをひたすら馬を進めていくと、ようやく虎が生息する地帯に入っていった。その土地の者に、
「虎なる獣はどこにいるのだ」
 とたずねると、その土地の者は、
「あの山にでます」
 その山を越えてみたが一頭の虎にも遭遇しない。またそこで出会った土地の者に、
「虎なる獣はどこにいるのだ」
 とたずねると、その土地の者は、
「あの川をこえた森林にでます」
 その森林に深く踏み込んでみるが、そこでも虎に遭遇しない。またそこで出会った土地の者に、
「虎なる獣はどこにいるのだ」
 とたずねてみると、その土地の者は、
「あの荒野のなかを走っております」
 その荒野を横切ってみたが、またも一頭の虎とも遭遇しなかった。
 こうしてどんどん突き進んでいくと、いつの間にか高麗の国に入り、さらにその国深くに突き進んでいくと、なんと海に出てしまうのだ。波が打ち寄せる浜辺に立ち、呆然として彼方をみやると、ぼんやりと島影がみえる。あの島はなんという島だとたずねると、土地の者は「あれは対馬なるものでござる」というのだ。それを聞くと大臣の目からとめどなく涙があふれでて、急に日本に戻りたくなった。
 もはや遠征の旅もこれまでと隊を解散すると、船をくりだして対馬に。対馬からさらに出雲に渡ると、そこから馬を駆って都にもどってきてしまった。虎を仕留めることはできなかったが、それはそれで大冒険を見事にやりぬいたということになる。
 都に戻って長い旅で疲労した体をやすめると、むくむくと姫のことが思われ、そうなるともういても立ってもいられず、唐や高麗の国の土産を山と積んで竹採り村めざした。
 姫の御殿に到着すると、さっそく爺さんにその遠征の報告をするが、またしてもその席に姫はあらわれない。大臣は姫に会いたい思いをこう打ち明けてみた。
「残念ながら今回の旅では、火鼠の皮でこしらえた衣装は手に入らなかった。しかしこれであきらめる私ではありませんぞ。近々ふたたび唐の国にわたり、今度は南方の虎を仕留めにまいるつもりです。そこでどうであろうか。旅立つ前に一度姫に会わしてくれぬか。あの旅で幾度もつらい目にあったが、そのたびに私は姫のことを思い、その辛苦のときを耐え抜くことができた。姫の姿を私の瞼にしかとやきつけて、新たな冒険の旅にでたいのです」
 するとなんだか爺さんは、もう汗をたらたら流しながら、
「それが、それがで、ございます。お大臣さま、まことに、まことに申し訳ございませぬが、姫はこのところ高い熱を出しており、そのような見苦しい姿をお大臣さまには見せたくないと……」
「そなたの断る口上はいつもきまっておるな。一年前もそうであった。何度たずねてきても、床についている、高い熱をだして寝ているという」
「いえ、それは、ほんとうのことなのでございまして……」
「それは、なにか、姫はもともとお体が弱い方なのか」
「はい、さようでございます。すぐに熱を出して床につくのでございます」
「そうか。それで一つ読めてきたぞ。姫が火鼠の皮でつくった着物が欲しいと望むのは、元気になりたいという願いからなのであろうな。なんでも火鼠の皮には大変な精力が宿っているらしい。その皮でつくられた衣装を着るとぴんぴんとおっ立つばかりの精力をつくるらしいぞ。いや、それでわかった。遠征の旅をはやめなければならんな」
「あの、お大臣さま。もうそれはおやめになって下さい。そんな、命を捨てにいくような旅は、もうなさらぬほうがよろしかろうと」
「何を言うか。私は命を捨てにいくのではない。命を拾いにいくのだ。そうではありませんか。私が持ち帰る火鼠の衣装で、姫は元気になられるのだ。姫にお伝え下され。今度こそ火鼠の衣装を携えて戻ってまいりますとな」
 と伝えると、大臣は姫の御殿を後にした。
 こうして再び唐の国に渡ると、また王慶のもとに立ち寄り、王慶はまた大部隊を組織してくれた。そして今度は南の国をめざして進んでいった。草原を何か月もかけて抜け出すと、あたりの景色が濃密な緑につつまれだした。そしてわさわさと群がり茂る森林地帯に入っていった。それは北方の遠征とまるでちがう景色だった。森林のなかは人を狂わせるばかりに蒸し暑く、蚊やヒルやえたいのしれぬ虫が、顔といわず手といわず足といわずいたるところ、衣服の下までもぐりこんで肌に張りつく。腕力にかけてはだれにも負けぬ大臣も、この虫たちの攻撃にはさすがにまいって、なにか全身からわきたってくるかゆみや、皮膚の炎症に一睡もできぬばかりに苦しむのだった。
 人間というものは苦しみの底に落ちると、どんどん暗い方に、暗い方にとその思いをめぐらせていくが、大臣もまたその頃からおそろしいばかりの懐疑に苦しめられていったのだ。おれはいったいなぜこのようなつらい旅をしているのだ。いったいこのような旅にどんな意味があるのだ。都の皇子たちが妻にしたいベストテンの第一位にかぐや姫を選んで、猛烈な争奪戦をはじめた。そんな争いにおれもまた参戦してみたが、しかしそのかぐや姫とは真実われらの心をとりこにするばかりの美しい女なのか。だれ一人として姫の姿を見たことがないというではないか。その噂はたんなる妄想がつくりだしたものではないのか。おれたちは、妄想がつくりだした女に、熱烈な恋をしているだけではないのか。かぐや姫なる女の実像は、とんでもないばかりのぶすでげすな女ではないのか。あのじじいはそんな女をおれたちに見せたくないために、床についているとか、熱をだしているとかといって、あざむき続けていたのではないのか。
 大臣はこんな風に思いをめぐらせていくと、突然おそろしい決意をかためはじめていった。よし、今度もどったら、おれは姫を素っ裸にしてやろう。そしてその女が、ぶすな女だったら、おれはその場で一刀のもとに斬り捨てよう。ぶすな女のために一度ならず二度までも、このような過酷な旅を続けているのではないことを思い知らせてやるのだ。そんな怒りと復讐の劇を大臣はしだいにはらみはじめていたのだ。
 こうして絶望的な旅をさらに続けて、森林をさらに深く入っていったある日、
「虎だ! 虎がいたぞ!」
 と案内人の声が宙を走った。大臣はその声のもとに走っていくと、
「どこだ、どこに虎はいるのだ」
「あれなるものが虎でございます」
 案内人の指の先を見ると、草原のなかに、たしかにふさふさとした黄金の毛にくるまれた虎がみえた。大臣はいよいよそのときがきたと奮い立って、
「よし、とうとうおれたちが仕留める虎に出会ったぞ。いくぞ、やるぞ。その体制をととのよ」
 するとこの地で雇い入れた案内人は、
「私たちはあなたさまをここまでお連れするのが役目。ではこれで失礼いたします」
 といってぱあっと逃げ去ってしまった。あたりをみると王慶が組織してくれた隊員たちも、もうきれいさっぱりといなくなっている。残ったのは日本からひきつれてきた家臣のみだった。彼らもまた逃げ出したい気配だが、しかし主従のしがらみは深く強く、おいそれと逃げ出すこともできない。しかし彼らもはじめて目にした虎なる獣の凄さにちぢみあがっているのだった。それは大臣も同じだった。日本の野山でさまざまな獣を仕留めてきた。しかしこの虎なるものは、それらの獣とはまるでちがっていた。
 しかし、仕留めなければならぬ。そのためにこの地までやってきたのだ。だからもう蛮勇をふるって、
「いくぞ。やるぞ。突っ込むぞ!」
 と大臣が掛け声をかけたその瞬間だった。がおっと大気を引き裂くような唸りをあげた虎は、まるで風のような速さで家臣に襲いかかり、がぶりと内臓を食いちぎってあたりに肉片を飛ばした。それを目にした二人目の家臣が狂ったような声をあげて虎に切りかかった。虎はまたぱあっと宙に舞うと、その家臣の顔面にがぶりとかみつき、その頭部を胴体からちぎりとってしまった。三人目の家臣もまた切りかかったが、虎はその家臣も鉄の牙のような足で打ち倒すと、もう腹といわず胸といわず尻といわずいたるところにかみつき、まるで人形のようにクルクルとはねあげているのだ。
 その光景を目撃した大臣は、いくぞ、やるぞ、と自ら励ましてみるが、すわりこんだまま立ち上がることができない。腰を抜かしてしまったのだ。さんざん家臣たちをむさぼっていた虎は、やがて、わなわなとふるえている大臣に目をとめると、またがおっと地を引き裂くような唸り声をあげ、大臣めがけてまっすぐに襲いかかってきた。大臣は歯をかたかたかたと鳴らしながらも、その虎の目を見て、ぱぁっと閃いた。
「これだ、こいつの目が火なのだ、だからこいつは火鼠なのだ!」
 その閃きが脳裏に走ったあとは、彼は覚えていない。あまりの恐怖に卒倒してしまったのだ。
 どのくらい気を失って大地に横たわっていたのだろうか。意識を取り戻して、かたわらをふと見ると、なんとそこに虎が横たわっているではないか。不思議なことに、虎はすでに絶命しているのだ。これはなんだ、いったいなにが起こったのかと混濁した頭を振って考えみると、どうやらこういうことだった。大臣はぶるぶると恐怖でふるえていたが、しかしそれでもしっかりと両手で刀をにぎりしめていた。虎はその突き立てていた刀先に飛びこんできたらしい。その刀は、なんと虎の首から内臓へずんぶりと突き刺していたのだ。
 大臣がその虎の皮をはぎとって、衣装を作らせたことはいうまでもない。こうして火鼠の衣装を手にすると、一路難波へとめざしたが、どうも大臣の様子が以前とちがうのだ。毎夜毎夜、怖い夢をみるのか、ものすごい叫び声を上げる。日中もしきりにぶつぶつと一人ごとをいっている。そんな大臣を間近にみている家臣たちは、殿は気がふれているとささやきあうのだった。
 この大臣もまた難波の港につくと、都の館には戻らずそのまま竹採り村にむかった。この大臣もまたその村で果たせねばならぬことがあるからだ。
 竹採り村に入り、姫の館につくと、大臣はかかえていた箱からその衣装をとりだすと、もう勢い盛んな様子で、
「見てくれ。とうとうの火鼠の皮でつくった衣装を、ここに持ってきたぞ。さあ、姫をここにだしてくれ。さっそく姫に、この衣装を着せてみたい」
 真っ青になって応対する爺さんは、もう顔からあぶら汗をたらたらと流しながら、
「それが、このところ姫の様子はすぐれず、床についております。どうか今回は、なにとぞ、なにとぞ、お許しくだされ……」
「許さん、許さんぞ。そなたのその台詞はもう聞きあきた。ここに連れてくるのだ。姫をおれの前に引きつれてこい。おれの目の前で素っ裸にしてこの衣服を着ていただく」
「そんな、お大臣さま、そのようなご無理なことを」
「無理難題をたきつけたのはそなたの方ではないのか。もはやおれはそなたの手にはのらんぞ。ここに姫をつれてくるのだ。もしその姫がおれの思い描いた通りの女ならば、ここでただちにおれの妻としよう。しかしその女がとんでもないぶすならば、おれはその女をそっこく成敗いたす」
「なんというおそろしいことを。お大臣さま、どうかお心をしずめられて、どうかお心をおたいらになさって……」
「ええい、連れてこないのなら、おれからそこにいこう。あくまでも戸を閉じるならば、打ち破っても入りこむぞ。布団のなかにもぐりこんでいるならば、その布団をはいででもその顔を見とどけてやるのだ」
「ああ、お大臣さま。おお、お大臣さま……」
 爺さんは必死に制止するが、大臣はそれにかまわず廊下をどたどたと昔をけたてながら、姫の寝殿にむかっていった。そして姫が休んでいるという部屋の前にたつと、
「かぐや姫! この戸をいま開け放ちますぞ。そなたがおれの思い描いた通りのお人ならば、ここでただちに夫婦になる。しかしそなたがぶすで、げすな女ならば、私はそなたを一刀のもとに裁断いたす。私には十分にそうしてもよいのだ。三人もの家臣が虎にくいちぎられたのだからな。ぶすでげすな女のために生命をかけた旅をしてきたのではないのだ。よいな、よいな、戸をあけるぞ」
 と言って大臣はさあっと戸を開けた。
 そこに、かぐや姫その人がすわっていたのだ。大臣はなにか一瞬ひかりの洗礼をあびたように果然と立ちすくんでしまったが、やがてはげしいものが体の底から吹き上げてきたのか、
「おおおおお……うれしい、こんなうれしいことはない、おおおおおお……」
 と声をあげて泣きだしてしまったのだ。
「姫よ。私の姫よ。あなたを疑った私を許して下さい。なんというお美しさ、なんという気高さ。あなたに捧げたこの三年の月日は無駄ではなかった。あなたは私が命をかけてたどりついた、白き高き嶺でありました、おおおおお………」
 と号泣するのだった。そのとき姫もまた涙を流していた。そんな姫をみた大臣は、
「どうして姫が泣かれるのですか。姫が泣かれることはなにもない。姫はいま私の妻になられたのだ。姫には微笑みこそふさわしいのですぞ」
 すると姫は涙をぬぐって、
「そうではありません。あなたさまの苦しみと悲しみがいま私の心に深くしみ込み、わが身の愚かさがのろわれるばかりです。私はあなたさまが言われた通り、ぶすでげすな女です。どうかこんなぶすな女をきっぱりとおあきらめ下さい」
「あきらめる? どうしてあきらめることができましょうか。あなたを、ぶすだ、げすだとののしったのは、私がどんなに苦しみもだえていたかを語るもの。いまはその苦しみを突き抜けて、歓喜でうちふるえておりますぞ。あなたは私の思い描いていた通りのお人であられたのだからなあ。あなたを妻にできるとは、なんという喜びであろうか」
「いいえ、私はとうていあなたさまの妻にはなれないのです」
「この後に及んでそのようなことは言わせぬ。私はそなたとの約束を果たしたではありませんか。私は火鼠をとらえ、皮をはぎ、その皮でかくも美しき衣装をこしらえ、ここにたずさえてまいったではありませんか。これはまぎれもなく火鼠の皮でつくった衣装ですぞ」
「その衣装をみれば、あなた様がどんなに大変な旅をして手に入れたものであるかがよくわかります。しかしはっきりと申し上げますが、それなるものは火鼠の皮でつくられた衣装ではありません」
「なんとむごいことを言われるのだ。これは火鼠の皮ですぞ」
「いいえ、残酷なことですが、きっぱりと申し上げます。それは虎の皮でつくられた衣装ではございませぬか」
「たしかにこの衣装は虎の皮でつくられたものです。しかしかの国では火鼠のことを虎と言うのですぞ」
「いいえ。虎は火鼠とはまるでちがうものです。その違いは火にくべれば歴然といたします。もしそれが火鼠の皮でつくられた衣装ならば、火のなかに投げ入れても少しも燃えることはありません」
「よろしい。やってみましょう。私ものぞむところだ。この衣装が燃え上がらなければ、そなたは私の妻になるのですね。その約束はしかと果たしてもらいますぞ」
 そして、ひきつれてきた家臣たちを大声で呼び寄せ、
「その庭に、焚火をつくれ。焚火だ、焚火をつくれ!」
 庭に薪を高く積み上げると、火が放たれた。その火がさかん燃え上がると、大臣は虎の衣装をかかえ、庭におりたった。そうして燃え盛る焚火のかたわらに立つと、にやりと笑って、
「よろしいな、姫。ただいまから投げ入れますぞ。とくとご覧あれよ」
 といってその衣類を、炎のなかに投げ込んだ。大臣の家来たちも、この館で働いている村人たちも、固唾を飲んでその火を見ている。投げ込まれたその衣装は、一瞬、燃えさかる火を打ち消すかのようだった。しかし、一瞬打ち消された火は、ちりちりとふたたび赤い舌をだしてなめはじていたが、やがてまた炎がぱあっと上がった。その衣装がめらめらと燃え上がったのだ。なにか気が狂ったかのようにゆらゆらと燃え立つ炎を、にたにたと不気味な笑いをつくっていた眺めていた大臣が、奇妙な声をたてて笑いだした。
「ふふふふはははははは、燃える、燃える、ふふふふふはははははは、燃える、燃える、おれが燃える、この燃え盛る火はおれだ、おれの心が燃えているのだ、ふふふふふふふははははははは、この燃え盛る火はおれだ、おれの心だ、ああ、なんて美しい火だ、おれは火だ、おれは火だ、ふふふふふふふはははははは………」
 燃え上がる火の回りを、大臣は奇妙な笑い声をあげながら、くるくると回っていく。あの虎に襲われた恐怖の一瞬が、この大臣の精神の糸をずたずたに切り裂いたが、しかし理性の糸は一本だけ辛うじて残っていた。その残った一本の糸とは、姫にあって彼のなかに吹き上げてきた謎をたしかめたいという思いだった。その思いを遂げたいま、残る最後の一本の糸もこと切れてしまったのだ。
 それからしばらくたってこの村にも、その大臣が、木立に吊した縄に首をかけて、命果てたという噂が流れてくるのだった。


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?