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女尊男卑社会令和日本に見る、衣服の価値における男女差、そして弱者男性と停滞する令和、二次元と多様性について

端的に言うと、女性がスカートの中を部分的に見せているのは合法であり、それを男性が見たり撮影するのは犯罪、男性がズボンや下着を下すのは犯罪であり、それを女性が撮影してインス〇やツイッ〇ーに晒すのは合法という点だ。イスラムの顔を覆い髪を隠すヒジャブの考え方とは反対に、女性の誘惑は合法であり、男性の誘惑は犯罪であるという図式、逆イスラム教。女性がどこまでも自由を与えられ、男性の自由は抑圧される。憲法も真っ青の女尊男卑社会令和日本。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

もちろん私は憲法学者でもなんでもない素人なので、解釈で飯を食っている人々に歯向かうことはしない。ただ高卒の公務員負け組に司法実務を運用させているから誰も得をしない仕事を自作自演マッチポンプで創作生成するための鬱苦しい規制だらけの社会が存続しているのは事実のように思えてならない。令和日本及びアジア圏の一部の固有の価値判断といえよう。

もはや完全に男性、健常者、青年、が何ら保護を受けないという意味で弱者に転落し、自らを弱者だと主張する女性や障碍者や老人といった、ごね得で不当な金銭及び過失上優遇を受ける「裏の」強者たちは、まさに訴訟社会アメリカの猿真似を続けてきたこの国の闇である、ごね得、弱者アピール、ゆえに優遇と無責任が保障される令和日本社会の、実質上の強者であることはもう疑いようのない事実である。
だから男性も弱者として訴えよう。それが弱者男性という主張であり、救済もされないがゆえに絶対の弱者として定義される。いわば本物の弱者である。

誰かが救いの手を、君に差し「出さない」。弱者男性の本質とは、強者(∵男性)として定義されることにこそある

強者とされるのは皆令和社会で幻想であることは一定以上の知的水準の人間なら気づいている。だが皆答えは沈黙とでもいうべきか、黙認される。それは男性同士の競争社会ゆえの答えでもある。女性のように弱者を気取ることもできないから、本当は弱者なのに強者な部分もあるかのように振る舞わなくてはいけない社会的ジレンマを抱えているのだ。いい加減、弱者男性を救う政策をしないと、強者であることを強いられている彼らからジョーカーを生んでしまう。それは令和日本社会の不都合な真実であろう。ちなみに弱者男性とは、本稿では経済的不遇もしくは異性獲得困難な男性と定義する。そして最も強弱がはっきりするのは、男女の性愛参加のハードルである。

富を持てる(モテる)ものはますますモテ、持たざる者(モテない者)はますますモテない。


まさに資本主義と同じ原理が働いている。
女性は生まれながらにして性愛においては圧倒的アドバンテージを手に入れており、選ぶだけの立場を取ることができるが、男性においては乾いた砂漠の中で一滴を水を求めるような行為に例えられる。男性も運よく経験値を早期に稼ぐことができれば、そのまま女性の圧倒的アドバンテージにも負けないスキルで性愛を達成することができるが、そうではない男性においては、永遠にそのチャンスは訪れず、女性の難易度が年齢とともに上がるペースよりも早く男性の難易度が上昇するように思う。おじさんは強者として定義されているから弱者であり、女性は弱者として定義されているから強者なのである。この令和日本に限り。

じゃあアニメや漫画やゲームや空想やAI絵の二次元美少女を追って現実逃避し続けられるか、の問題

これも年齢とともに限界がくる時限爆弾のような時間制限ゲームである。30代、40代になるにつれて、現実とのギャップに苦しむ遅効性の毒であり、周囲の環境をそうした「信教」の同好の「お宅」と呼び合う仲で囲っておかないと、現実の瘴気によってメンタルが崩壊するだろう。それはたとえ三次元女性に価値を見出していなくとも、二次元を求めることは未だに年齢制限のある趣味なのであって、結婚、子育て、親の介護、中年入りと現実が突き付けてくるたびにダメージを与える限界宗教である。
例えば今、馬耳が生えた美少女を愛でていても、30年後もそれにつかり切れる感性をお持ちなら、それは例えるなら、こうしたボラティリティの大きいサイバー系の株を握り続ける信念、絶対帰依の境地に似ている。筆者はバーチャル美少女軍団が全世界で配信し続ける会社の株もすでに早々に手放してしまった。現実でも馬耳は愛でていなかったが、11歳の美少女エルフに介護されながら月一のハイスコア目指すだけのアプリもアンインストールしている。
若さで乗り切れるのも今年ぐらいだし、若さは生きていればすぐ終わる。

息苦しい潔癖な無菌令和日本社会では、感性や経済は停滞不可避である

抗体を獲得するためには、細菌やウイルスといった抗原による学習が不可欠である。抗体を獲得して、より多様な抗原に対して強くなるように、様々な感性や価値観をリベラルに獲得するためには、異世界ならぬ、「異端」の参加が不可欠である。
江戸時代3代目将軍徳川家光によって始まったとされる鎖国政策は、ペリー黒船来航により解禁されたとされる。抗原ならぬ新しい文化的価値的刺激によって、社会国家の可能性、そして個々人の可能性は広がる。可能性を殺すことによって、鬱苦しい無菌社会を完成させたことそのものが、停滞の原因であり、別稿でも述べたが、GDP向上に貢献する強者と定義される健常者や男性の権利を一切優遇せず、老人、障碍者、女性というGDP向上に寄与しにくい要因に金を注ぎ込んで、令和日本タイタニック号になろうとしているから、Z世代の若者はすでに海外脱出を図っている訳である。
もはや海外にしか活路はない。いつまでも英語教育にせよ外国人受け入れにせよ、鎖国制度と労働者搾取を続けているから、この国に生きることに感動や新発見やタウマゼインがない。今は確かに円安で海外旅行すら生きにくいが、もはや窒息しような令和日本社会で窒息するよりは、小銭出して海外を感じる方が良いと思う。

人生は常に一度きりである。

弱者男性は海外に行こう。
筆者も春に海外旅行を計画している。海外はいいぞ。
終わり。

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