元ヤクザの父が巻き込まれた心霊事件
ひところ私の父だったEさんは、元ヤクザだった。
梅雨になると、彼が巻き込まれたという、とある怖い話を思い出す。
怖いといっても、仁義なき話ではない。呪いとか祟りとか、あっちのお話。
Eさんとは、7〜8年いっしょに暮らした。Windowsが95だったり、1ドルが95円だったりした、嘘みたいな平成の頃。
彼の話も「俺の言うことが信じられねぇのか」と凄むものの、信じられる話は一つもなかった。ひとっっっつもなかった。
しかしこの話だけは、たぶん例外。彼は本当に体験したんだろうと、今でも思う。
なぜなら、Eさんにしては話がつまらなかったからだ。
彼は私をかつぐのが好きで、私も彼のヨタ話に乗るのが好きだった。
しかしこの話は、風邪をひくように呪われて、薬を飲むように解決して、反省しながら日常へ戻っていく、というだけお話。ヤマない、オチない、あっけない。
でも。本当にあったことなんて、きっとそんなものなのだ。
ここからは、かつて私がそう呼んでいたように、Eさんのことを「おいちゃん」と書くことにする。
おいちゃんは現役の頃、歌舞伎町でシマをもっていた。でも生まれは福島。
彼が久々に地元の駅に降り立ったのは、ちょうど梅雨が明けた頃だったという。
「夏の入りの福島はよ、空と山の際がきれえなんだ。こうクーっと鉛筆で線かいたみてぇにな」
当時の私は、また始まった、と話半分できいていた。初夏なんて、日本中どこもそんなもんだろう。
どういう経緯でそうなったのか聞かなかったが、おいちゃんには東京の組とは別に、地元・福島にもお世話になった親分と兄貴分がいて。何をおいても二人に帰参の挨拶をするのが礼儀ということで、まずは事務所に向かったらしい。
改札で出迎えてくれたのは、組の若い衆であるK男さん。
「車んなかでK男が言うんだよ。ちょっとおかしいことが起きてまして、って」
とにかく親分から話を聞いてほしい。自分の口から言うわけにいかない。K男さんは、そう繰り返すばかりだったという。
「こういっちゃ悪ぃんだけど、田舎ヤクザだろ?出入りなんてねんだよ。田んぼでバキュンバキュンってかっこつかねぇだろ。今さら警察屋さんに引っ張られるってこともねぇだろし。だからオヤジが病気んなっちまったかって思ってたんだけど。でも後になって分かったわ。K男のやつ、何が起きたか自分じゃ言えなかったんだよ、おっかなくて」
そして続けた。
「オヤジがガンでしたってんなら、まだ分かったんだけどな」
ようやく事務所に着くと、親分さんはピンピンしていた。
「なーんだ元気じゃねぇかって。でもな。やっぱ浮かねぇ顔してんだよ。"いんや弱っつまってな"とか言ってな」
おいちゃんが親分さんの福島訛りを真似た。唇から力が抜けたのが分かった。
何が弱ってしまったのか。親分さんが言うところによるとM、つまりおいちゃんの兄貴分がマズイことになっているらしい。
「俺また車に乗せられてさ。今度はオヤジと一緒にアニキんち。あーなんか大変なこと起きてるなー、あー俺ぁ何しに帰ってきたんだろうなーって、頭ん中しっちゃかめっちゃか」
車の中で親分さんが、順を追って説明してくれた。
おいちゃんが福島に帰る前の週。M兄貴は、親分さんを後部座席に乗せて県道を走っていた。で、フロントバンパーに何かがぶつかった感触があったと。ゴツッ。それは親分さんも気づいていたらしい。
とはいえ県道といっても山近い場所なら、人間以外なんでも落ちている。ときどき人間も落ちている。いちいち気にして運転などできない。M兄貴と親分さんは、無視してそのまま走り抜けた。
しかしその後。日を追うごとにM兄貴の様子はおかしくなり、おいちゃんが帰った頃には、とうとう親分さんも手に負えない状態になってしまったという。
原因はあの日の ゴツッ しか考えられない。そう親分さんは腕を組んだ。
「それでオヤジが言うんだわ。Mのヤツ、それにつかれたみたいなんだって」
つかれたみたい、とおいちゃんが繰り返した。松山千春の節回しで。疲れたみたい、ではない。憑かれたみたい。笑えなかった。
「したっけおめもこれからMんち行って除霊すんぞ、って言うんだよ。なんで俺も?とは言えねぇしさ」
そりゃそうだ。
「東京じゃ弾除け、地元じゃ魔除け。どうなってんだオイってな。クックックッ」
魔除けじゃなくて除霊な。
しかしM兄貴の家についた途端、、おいちゃんは察知したらしい。これはブーたれてる場合じゃない。
「玄関開けるとブワ〜っと煙がな、いやもうああなると煙とかじゃなくてな、濃霧。濃霧真理教」
スリッパが見えないほど煙が立ち込め、臭いもすごい。何かが焚かれていたらしい。
「タマの取り合いなら何度かあるんだけどな。ああいうのは、実はやり方があってだな。手打ちまでの筋道ってのがあるもんなんだよ。ナシがつく相手かどうか、きちっと見てる。だけどな、こん時は違ったんだよ。なんつーか、こりゃ話の通じる相手じゃねぇぞ、ってな」
煙の奥から姐さん、つまりM兄貴の奥さんが姿を表した。
「Eちゃん、久方ぶりに帰ってきたってのに、こんなことになってわりぃね。うちのひと、こっちだから」
居間に通してもらうと、そこにM兄貴がいた。正しくは、M兄貴の姿をした何かが。
「もうさ。アニキの動きが人間じゃねぇのよ。しゃがんで、しゃがんでっつっても人間のしゃがみ方じゃなくてな。関節がおかしい曲がり方してんだ。そんで、ぴょんぴょん跳ぶんだけどよ。こんなに高く飛び上がって、ドッカンドッカン壁に体当たりくれるんだよ。ドアは開くもんだって分かんなくなってんの」
M兄貴は、檻から出ようとする野生動物そのものだったという。
「話が通じるも通じないもねぇわな。狐だったんだもの」
居間では除霊師と名乗る女性が雨戸を閉めきり、天井の四隅にお札を貼りつけているところだった。結界だった。
そして、こう告げられたという。
今この部屋にいる人は、除霊が終わるまでこの家から出てはいけない。排泄以外でこの部屋から出ることも、最低限にしなくてはならない。じゃないと”逃げてしまう”。
これを宣誓として、嫌も応もなく儀式が始まった。そして、まさかそれが一週間続くとは思っていなかった。
「したっけ俺、何しに帰ったの?とか、もうそんなこと思わないよ、ああなると。監禁はしたこともされたこともあっけど、あのパターンは最初で最後」
私は監禁にパターンがあることを、このとき初めて知った。
除霊師は一週間、飲まず食わず眠らずに、ブッとおしで祓い続けた。
しかし素人のおいちゃんと親分さんは、そうはいかない。食事は部屋の外で待機している姐さんが、盆にのせてドアの隙間から差し入れてくれたらしい。
「あぁこの飯のもらい方、知ってるなーって思ってオヤジのほう見たら、オヤジもこっち見てたわ」
ずっと部屋に篭り、祈祷の渦に飲まれ続け、昼夜の感覚が完全になくなった頃、唐突に除霊は終わった。
「あれだけ暴れてた兄貴がよ、バタって倒れて、それっきり。死んだと思ったら違くってよ。寝てんだわ。そりゃそうだ。アニキも暴れっぱなしだったんだからよ。んで今度はそっからまた何日か眠り続けてな。昏睡だわな。コンコン」
おいちゃんは手狐をパクパクさせながら、あと何日か憑依が続いてたらM兄貴は過労で死んでたかもな、と付け加えた。
おいちゃん親分さんと姐さんは、M兄貴をかついで寝室に運んだ後、除霊師に指示を受けた。
「Mさんが起きたら、お心当たりのある場所に引き返して、必ず供養してください」
持っていくものは、これと、これと、これと・・・。
後日、三人は県道に車を停め、あの日通ったあたりを探した。薮、川、茂みの中。靴やスラックスがドロドロになるのも気にせず、ごめんなごめんなと唱えながら歩き回ったらしい。
そして、見つけた。
原っぱと雑木林の境界線あたり、親子の狐の亡骸だった。親狐は最期の力で子狐を運び、山に辿り着く手前で息絶えていた。
三人はその場で穴を掘り、二匹を埋め、供物を備え、合わせた手を額にこすりつけて詫びたらしい。
「さて、ここでクイズです。なんで後ろに乗ってた親分さんは呪われなかったのでしょーか?」
いきなりのおいちゃんクイズ。現在に至るまで、私の人生最悪のクイズだ。
しかしそう言われると、たしかに疑問ではあった。なぜ取り憑かれたのが、M兄貴だけだったのか。
「なんで?」
「オヤジな、菩薩さまのモンモン背負ってたんだ。それで狐も寄ってこれなかったんだろうな。ヤクザって意外と信心深いヤツ多いんだよ」
話はこれでおしまい。
福島にいたということは、きっとホンドギツネだろう。
春までに出産して、秋が始まる前に子別れをする。親子でいられる時間は梅雨と夏の数ヶ月。だからなのか、その間のキツネは子煩悩だという。
私とおいちゃんも、親子でいられた季節は長くなかった。やがて彼は本物の檻に入り、出所後ほどなくしてそのままどこかへ消えた。
おいちゃんも子別れを予感して、私にこの話をきかせたのだろうか。まさかね。そんなタマじゃない。
梅雨が一つ明けるたび、おじちゃんとも父さんとも呼びきれなかった、おいちゃんの歳に近づいていく。
毎年、彼の話を思い出す。
(おわり)
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