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うつと筋トレ〜日本一あかるい鬱日記〜 #4 めまいと食欲

オフィスに着くと、後輩のこれ見よがしな白Tシャツが目に入った。肩・胸・腕の筋肉が張り切って、精肉売り場に並べたくなるほどだった。
「おつかれ。またバルクアップしてんな。週に何日ジム行ってんの?」
「9回です!」
自宅以上じゃねぇか。この後、プロテインの厳選や摂取タイミング、そして質の高い睡眠まで、いかに生活を筋肉に捧げているかというプレゼンが続くのだが、「仕事をサボらないと辻褄が合わない」と私が勘づいたことに、彼はまるっきり気づいていなかった。

「草冠さんは痩せましたね。ダメですよ、サボっちゃ」
うかつを補って余りある洞察力。仕事に生かされた場面を、見たことがない。
しかしそんな後輩のへらず口に、私は「バレた?」と作り笑いを返すしかなかった。その通り。もう長いこと、トレーニングできずにいた。

原因は、めまい。
世界が前後左右斜めに傾き、しかも不規則にうねる。宇宙酔いってこんな感じなんだろうか。
在宅ワーク中も
「揺れてる!地震!」
と妻に叫ぶものの、蛍光灯の紐は落ち着き払っている。
「一人で揺れてろボケ」
と、妻が心配してくれたこともしばしばだった。

立つとダメ、座ってもダメ。ならばと横になると、眩みはいっそう激しくなった。
とくに仰向け。天井がルーレットになり、右に回転する。視覚的には30度くらいで止まるのだが、グルグルとした感覚だけは消えずに続く。地球って本当に自転してるんですね。

メンタルクリニックから出された安定剤は、いっこうに効かない。定期診断の前倒しもお願いしたが、担当医の都合で断念。やむなく縋った市販薬は、苦いだけのラムネだった。

当然、食欲もなかった。
食べたくない。食べられない。ではない。
食べるという本能が退化しきった生物になっていた。肉食動物、草食動物、無食動物。

だから食事は、いつも同じメニュー。
朝昼晩それぞれで決まった食材と、決まった調味料。元・動物や元・植物に火を通し、皿から胃袋へ移すだけの反復作業に、美味いも不味いもなかった。
まったくの無表情で繰り返される、タイムループな食生活。空腹や味を伝えるニューロンが、断線していたのかもしれない。

しかし実は、これはこれで少しラクになったところもあった。
煩悩が一つ消えた清々しさ。
飢えてはイラだち、満たされては眠くなる。あるいは、飢えは飽満につながり、飽満は飢えの入口。あの因果に振り回される億劫は、もうない。
108分の1の悟り。これはこれでアリかもしれない。

とか言ってたらある日、悟りを甘くみたバチが当たった。バチって罰って書くらしいですね。

ゴールデンウィークの谷間の営業日。
部署のメンバーはみな有休消化。ここで休ませねばいつ休ませる。私は彼らの業務をカバーしていた。
そこで発覚した中堅のミス。クライアントはカンカン。原因の察しはつくが、そうなった経緯がわからない。私の監督不行届そのものだ。
しかも
「スマホなんて道頓堀に放っておしまい!」
などと太っ腹なことを言ったのも、他ならぬ私。メンバーの休日に水を差すわけにはいかなった。あんな調子の良いこと、言わなきゃよかった。

しょうがない。単騎駆けで詫びに行かねば。
そして事態の本質をつかめないまま頭を下げ、先方の怒りの行間から経緯を読み取り、再発を回避しながらその場で補填策を提案しなくては。
あまりにアクロバチック。いつものめまいに拍車がかかった。

私は客先につくなり、遠心分離機にかけられたような脳みそをさらに回転させ、もちうるアドリブ力を振り絞った。顔面の括約筋もすべて使って詫びきった。
結果、どうにか一件落着。
勝因は、ランチタイム直後を狙って行ったこと。
「減るほど立つ」のが人の腹。「食ったら眠い」が人の性。そのタイミングを逃す手はない。
一方の私は、すでにランチの因果から解脱している。108分の1の悟り、その差がものを言ったのだった。

とはいえ、安堵や達成感などない。疲労と虚脱が、重くのしかかるばかりだった。

・・・あれ?それにしたって、重すぎやしないか?

帰りの駅へ向かう足に、力が入らない。一歩一歩、膝が沈んでいく。体が勝手に、パントマイムの階段を降りていく。
グーーーーー。
重力が歪み、体の芯が左に傾いた。そして不快な角度を保ったまま、今度は前のめりに倒れそうになる。
歩道が波打っている。わけがない。しかしそれは、最早めまいを超えた「船酔い」だった。

思わずガードレールに手をつく。
ギリギリで踏みとどまったが、直感した。
緊張の反動。
これはもう、すぐに、立っていられなくなる。

どこか横になれる場所はないか。脳内でGoogle MAPを立ち上げる。
近くの公園はダメ。ホームレス排除のベンチだ。排除の論理はいつも、想定外を想定していない。誰かを切り捨てる社会は、誰でも切り捨てる。今の私だ。

あぁ。もうこうなると、あそこしかない。新宿御苑。
たかだか2〜3ブロック先だとは知っていた。交差点を越えればすぐだとも分かっていた。
しかし、その距離が果てしなく長く感じた。歩いても歩いても、門が近づいてこない。あの公園、蜃気楼じゃないだろうな。

それでも信じる者だけが、たどり着ける場所がある。
船酔いはますますひどくなり、ほぼ酔拳の足取りになりながら、私は入口のフラッパーゲートを掻い潜った。
最短距離の芝生に倒れ込む。新宿御苑をこれほど狭く利用している人なんて、私だけだったはずだ。芝が養生中でなくて、本当に助かった。

大の字でノックダウン。
ジャケットの背中は、芝と土まみれ。
もうどうでもよかった。

それよりも、新緑と青空が美しかった。初めて地球に降り立った気分。ぐるぐる回っていなければ、もっと美しかったろう。
目を瞑る。陽光が瞼の裏を白絹色に染める。風が走り、全身を撫でていく。

いろいろな外国語が聞こえてきた。観光の人たちかな。あちこちで大学生くらいの若者たちが笑い合っている。少し幼い声も。デート中の高校生かも。三半規管が和み、耳鳴りがおさまる。

温かい。気持ちいい。生きてるって、こんなに生きてる心地したっけ。
頭が空っぽになるにつれ、めまいは徐々にやみ、やがて消沈していった。
眠りに落ちたわけではなかった。しかし意識がはっきりしているわけでもなかった。公園で横たわる夢を、公園で見ているような。
ときどき目を開け、まだ陽は高く、自分は死んでいないことを確認し、また閉じた。

そうはいっても人間、そんなに長いこと屋外でゴロゴロしていられるものではない。
胸の上で組んでいた両手が痺れてきた。脇に下ろすと、芝が冷たく刺さる。喉が渇いていることに、その時気がついた。
生体反応が戻ってきた。さて、ぼちぼち。

体を起こすと、空がオレンジに滲みはじめている。
「え?」
スマホをみると、2時間以上経過。
「まじ?」
長めの映画一本分もこうしていたことになる。筋トレと昼寝、サボりの量刑が重いのはどっちだろう。

しかしそんな驚きよりも、腹部の違和感の方が大きかった。衝動的で、懐かしい違和感。

お腹が減っていた。

体の真ん中が、胃袋の形にくり抜かれた感覚。我に返った体が、あるべき欲求を取り戻そうとしていた。しかも大至急。
腹減った腹減った腹減った。それで頭の中はがいっぱい。あの時の私を握って振ったら「ハラヘッタ」と鳴ったと思う。
いてもたってもいられなくなった私は、まだ少しフラつく足で公園をあとにした。

駅に向かいながら、起こったことを振り返る。
謝罪、めまい、昼寝、回復、空腹。そこで思い当たったのは
「脳みそも、内臓疲労を起こすのか」
だった。
気付くの遅すぎ。40過ぎてやっとかよ。いったい本当にワタシを使って生きてきたんですか?脳にツッコまれた気分だった。

私の仕事は、謝罪をふくめ大部分が頭脳労働だ。特定の内臓に負荷をかけ続けるという点では、脳のフードファイターみたいなもの。
そして内臓は老化する。胃腸をいたわる断食みたいなものが、脳にも必要なのだ。

ただ、私は頭の休ませ方を知らなかった。
皆が休んでいる間に働くことで、20年以上なんとか仕事にありついてきた。人様の二倍働かなければ、いや、人様をだし抜かなければ、食いっぱぐれるような人生だった。貧乏性というより貧乏症。
だから長期休暇や有休消化なんて、自分で使えると思っていなかった。外国の紙幣みたいなものだ。

しかし限界がやって来た。
あるいは、ようやく来てくれた。
心のどこかで、そう思ってる自分もいる。これでようやく、努力の耐久レースから降りられるのではないか。
悟りというなら、こっちのほうがよっぽど悟りだ。
脳にも、有休消化を。

さて、どうやって脳を休ませようか。
これはもしや、初めて家族と長い休暇をとってみる、ということになるのかもしれない。
続きは家で飯を食いながら、妻娘に話してみようと思った。彼女たちと久々に、同じ皿をつつきながら。

(終わり)

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