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俳句 〜添削指導のあれこれ〜 小エッセイ

俳句にご興味のあるnoteのみなさまに、俳句の様々なことについてご紹介をしていく記事です


『俳句 〜添削指導のあれこれ〜』

俳句には「添削指導」という指導法があり現在でもよく行われています。

特に初心者の方の作品に対して、より盛んに行われる傾向があります。

作者が詠んだ俳句作品に、指導者が筆を入れて「こうしたほうが良い」と修正の提案をします。

これは作品をより良いものにすることはもちろんですが、添削をつうじて俳句の作り方、心構え、発想法、表現法、構成法、伝達法、句型の種類、調べの整え方、機知や余情のふくませ方、助詞や言葉の使い方、効果的な語順、省略の仕方、切れと間、季語や切れ字の使い方、その活かし方、言葉の誤りを正すなど様々の指導を同時に行うためでもあります。

俳句作者側にとっては、論ではなく、実践的に学びとれる良さがあります。

優れた指導者はその指導の的確さだけでなく、最小限の添削で最大の効果をあげ、作品を一段も二段も良いものにする場合もあります。

下記は、特に有名で
そうした成功例の1つとされています。


【添削前】 啄木忌いくたび職を替へても貧

【添削後】 啄木忌いくたび職を替へてもや


※啄木忌(晩春)  歌人石川啄木の忌日のこと

作品の作者は安住敦
指導者は師である久保田万太郎です。

「や」のたった一字の添削で作品にいのちが吹き込まれています。

作者である安住敦がこの添削をうけた経緯について記した短い文章を以前本で読んだことがありますが、指導者である久保田万太郎に謝意を表す内容でもあったことを覚えています。


それとは反対に、添削指導には成功とはいえない例もまたあります。

そうした例を本や雑誌、テレビ、句会などでときどきですが目にすることもあります。

もとの作品をこえていない、もとの作品を壊しているように感じられる場合などです。

何を指導する添削なのかがはっきり伝わってこない場合も稀にですがあります。

また、行き過ぎた添削指導は、たとえ良いものになったとしても作品をまるで別物に変えてしまうことも多く、ときに俳句作者の作者としての尊厳を傷つけてしまうことがあります。

的確でない添削指導は、作品が持っていたそもそもの良さを潰すだけでなく、ときに俳句作者の作句意欲まで潰してしまうことがあります。


俳句の添削指導には、むかしからこうした明と暗の部分が同時に存在しているようにも感じます。

今後それらのどこをどう変えていけるのかについて、一部の指導者の方々や俳句作者の方々は少しずつ考えを進めてもおられるようです。

現在では、指導者側が「この添削はあくまでも一例」として作品の修正を強要することなく様々の指導をおこなっていく方法や、

俳句作者側が「作品の添削を希望するか、希望しないか」を事前に決めて投稿するといった方法をとっている会などもあるそうです。

変わらず、今日までの方法を守りつづけている方々や会も多くあります。

また、そうしたしがらみを嫌って、誰かに師事することも指導を受けることもなく、独学で学びつづけているという俳句作者の方々もおられるようです。


これから先、俳句の添削の場面にでくわすことがありましたらぜひ注目をしてご覧になると、より深く俳句を知り、楽しんでいただけるのではないかと思います。


※個人的な見解もまじえて短くまとめました

*至らない点、充分に書き尽くせていない部分もあるかと思いますがご容赦ください

*俳句については個人・団体によって様々な考え方や見解があります


いつも
ご覧いただき
ありがとうございます


◇引用 作品収録句集

安住敦著
句集「安住敦集」  俳人協会   1994年


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