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【短編】五ノ鹿町観光協会案内係3 (後編)

(5,282文字)

 石田と亜希子は、七時に社務所を訪ねた。宮司は改めて禁止事項を告げた。
 八時には孝と高蔵を含めた参加者六人全員が集まった。加えて、五人の立会人と三人の給仕人も顔を揃えた。宮司から全員の紹介と神事の注意事項が説明された。
 九時、亜希子を除いた全員が社殿拝殿に入っていった。

 亜希子は神事が終わるまで、これといってやることがないため、一旦協会に帰ることにした。終わるのは、宮司が言うには、大体二時間後。十一時少し前に戻って来ればいいだろう。

 締め切った拝殿の中の気温は既に二十五度を超えている。
 参加者はご神体を中心に左右に三人ずつ向き合って座った。各々おのおのの前にはお膳が配されている。
 石田は立会人と共に拝殿の隅に陣取った。
祝詞のりと※奏上。頭をお下げください」
 宮司が祝詞を奏上し、低頭した参加者達の上を大麻おおぬさ※ではらった。
「それでは直会なおらい※を始めます」
 給仕人によって、参加者のお膳にお汁粉の椀が載せられた。全員分がそろったところで、立会人が「始め」と発した。
 途中でお茶を飲んだり、お新香を食べたりするのは自由だ。

 六杯目を過ぎた辺りから、孝の食べる速度が格段に落ちた。九杯目。何とか餅を飲み込み、汁で流し込んだ。すでに去年の記録を一杯超えている。
 柔らかくなった餅が小豆の粒と混ざり合い、まるでコンクリートのように胃壁にへばり付いている。脂汗が出てきた。
 ――もうだめだ。これ以上一口も入らない。

 孝は椀と箸を置いた。これが投了の合図だ。
「これまで」
 立会人が宣言して、孝の椀の数を数える。
 高蔵を見ると、十杯目に取りかかっている。
 ――負けた。高蔵に負けてしまった。
 孝は、皆が食べ続けているのを歯ぎしりしながら眺めていた。

 三十分後、最後の一人が箸を置いた。
「これにて終了します」
 立会人が宣言した。続いて直ぐに、結果が発表された。
「優勝は香坂さん、記録十三杯」
 香坂は三十代ぐらいの体格のいい男だった。その後、全員の記録が発表された。高蔵は初めてにも関わらず十一杯と善戦した。

 ただ優勝したからと言って、ただそれだけのことで、何か副賞があるわけでもない。賞賛されることもない。
 ただ今回は弥生のことがあったので、孝は何としても高蔵に勝ちたかった。
 ――あいつを誰にも渡したくなかった。それなのに……。
 孝は自分の不甲斐なさを嘆いた。

 全員がご神体に向かって一礼して、拝殿を出た。

 そろそろ神事が終わる頃合いだと、亜希子は社殿前で待機していた。亜希子は拝殿から出てきたマネージャーを見つけて駆け寄った。
「どうでした?」
「中々興味深かったよ。ただ中は、冷房も扇風機もなくて暑くて参ったがね。確かに面白いとは思う。後で覚えていることを教えるが、写真がないから、魅力的な内容になるか否かは菅野さんの筆力次第だね」
 石田からのバトンはずっしり重い。
「分かりました。私ももう少し調べてみます」

 少し離れた場所で、弥生が孝を待っていた。
 肩を落とした孝を見て、
「シバコウ、負けたな」
「うん」
 孝の落ち込みようは尋常じゃないほどだ。ちなみにシバコウとは芝孝の呼び名で、孝を音読みしてシバコウである。

 弥生は、シバコウがあんなに真剣に勝ち負けにこだわるなんて思いもしなかった。
「お前、高蔵と付き合うのか?」
「うん、約束だからね」
「やめろよ」
「何で?」
「……」
「何で?」
「……何でって。僕はお前が……」
「お前が、何?」
 ――早く言え。私のことが好きだって、早く……。
「お前のことが好きなんだ」
 ――やったーっ。やっと言わせた。その言葉、ずっと待ってたんだぞ。
 弥生は思わず小躍りしたくなったが、そんなことはおくびにも出さない。

「そうか。でも高蔵君には、マックの場所を聞かれたから、それなら付き合ってあげるよって言っただけよ」
「お前、だましたな」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。勝手に間違える方が悪いんだよ」
 弥生は高蔵を見つけて駆け寄っていった。弥生は高蔵とにこやかに話している。知らぬが花。出汁にされた高蔵にすれば好い面の皮である。
 まったく罪作りなことだ。

 亜希子も石田も、彼らの一部始終を見ていた。亜希子は、呆然ぼうぜんとしている孝に声を掛けた。
「孝君、大丈夫?」
「あっ、情けないところ、見られてしまいましたね」
「可愛い子ね。彼女のこと、好きなのね」
「口が悪くてケンカばかりしてるけど、どこか憎めなくて……。小さい頃からずっと好きで……。でもちっとも相手にされなくて……」
 声が段々細くなっていく。孝はばつが悪くて、一刻も早くこの場を去りたかった。きびすを返しかけた時、石田が孝を引き留めた。

「孝君って言ったね。君、まだ諦めるのは早いかも知れないよ」
「……」
「さっきから弥生さんを見ていて、気づいたことがあるんだよ。彼女は君を見る時、顔の左側から振り向いた。その後も君の右側に立って話していた。そうだったよね、覚えている?」
「ええ、確かにそうでした。それが、どうかしたんですか?」
「顔の右半分は『パブリック・フェイス』、左半分は『プライベート・フェイス』と呼ばれているんだ」

「えっ、どういうことですか?」
 孝は石田の話に興味を示した。
「ちょっと長くなるけど、いいかな?」
「はい」
「心理学の研究によると、表情が左右で違っていることは頻繁にあるそうだ。例えば、顔の右側は笑っているのに、左側は笑ってないとか、右側では平常の表情なのに、左側ではどこかイライラしているとかね。これには、左脳と右脳が関係しているんだ。人の脳には左脳と右脳があるのは知ってるかな?」
 孝はうなづいた。

「左脳は論理的思考を司る脳で、顔の右半分ではその人の公的な部分が見えるんだ。逆に左半身は人間の感情を司る右脳が支配しているから、私的な部分が出る。つまり顔の左側は右側より表情を豊かに表現するんだ。だから魅力的に見えるんだよ。
 弥生さんが無意識に顔の左側を見せたということは、君に自分を魅力的に見せたいと思っているってことさ。分かったかい?」
「はい」
 孝の顔がぱっと輝いた。

「それに左右の顔が共にちゃんと笑っていたし、体の動きからも本当に嬉しいということが感じ取れた。ただ無意識の反応だから、本人は気づいていないかも知れないけど、脈は大いにあるってことだ」
 孝の全身が喜びに満ちてきた。
「ありがとうございます」
 孝は、一礼して弥生らの元に走って行った。
 ――彼女の態度や言葉に一喜一憂して、急降下したり急上昇したり。やはり若いってことは、それだけで素晴らしいことだな。
 石田は孝を見ながら、それをうらやましく思った。


4.『夏越るこ』

 後日。
 亜希子は、ネットで色々調べていて、京都の『水無月みなづき』という和菓子を見つけた。それによると、
 元々室町時代の宮中では氷を口にして暑気しょき払いしていたが、高価な氷が入手できない庶民は氷に見立てたお菓子を食べた。それが『水無月』の始まりとされる。
 『水無月』は三角形のういろうに小豆をのせて固めた和菓子で、三角形は氷のかけらや氷の角を表しており、小豆には邪気払いや悪魔祓いという意味がある。
 六月三十日に『水無月』を食べることは、京都の一般家庭ではなじみのある行事だそうだ。
 この日には、夏越なごしはらいが行われる。これは、「水無月祓みなづきのはらえ」とも呼ばれ、半年間に身についたかがれを祓い、後半の半年間を無事に健康に過ごせるよう祈祷きとうする行事である。
 蒸し暑くなる七月を前にやく払いをし、夏バテを予防する意味でも、この日に『水無月』を食べるようになったとある。

 そこで亜希子は考える。
 つまり、御神饌ごしんせん※に奉納された餅米と小豆を頂く直会なおらいの際に、この『水無月』を参考にして、ういろうを餅に替え、小豆を煮ておしるこにして食べるようになったと考えるのが、猪鹿稲荷神社の神事の由書に一番近そうな推測だと思う。時期的にも合う。

 そこで『水無月』を丸きり真似る訳にはいかないが、それを参考に冷やしお汁粉を作って、神事の紹介と共に売り出してはどうだろうか。
 『夏越なごし』の汁粉で『夏越なごしるこ』。この商品名で商標登録して、売り上げの十パーセントのパテント料をもらえば……。
 亜希子の妄想もうそうは膨らんでいく。


 一方で、亜希子はこの神事をどう紹介しようか迷っている。
 何となれば。
 神事のことを知れば、SNSでバズる写真を撮るために、マナー違反する者や暴挙に出る不届き者が必ず出てくる。評判になって観光客が大挙するようになれば、更に増える。
 注意書きを立てても警備員を配しても効果は期待できない。傍若無人な振る舞いをするやからは、住人にとって迷惑以外の何物でもない。さらに車が増えれば、駐車場や渋滞などの問題が発生する。
 町を活性化したいのは山々であるが、神事を台無しにされたり、住民の生活に支障がでるのは困る。それでは本末転倒だ。協会としても本意では無い。将に痛しかゆしである。
 神事のことはさらりと流して、提携して売り出そうと思う和菓子を大々的に前面に押し出そうか。
 他の観光協会のホームページで参考にできるものがないか、目下調査中である。


 さて。
 孝は、時たま観光協会に顔を出すようになった。
「弥生さんとは、上手くいってるの?」
「ええ、まあ」
 弥生とは相変わらず仲良くケンカしているそうだ。
 弥生のことは石田マネージャーの読み通りだったそうで、孝が協力的なのもその感謝の表れだろう。

 孝は、先代の宮司(孝の祖父)や年配の氏子を回り、神事についての情報をかき集めてくれた。
 それによると……。
 岩戸隠れで、天照大神が岩戸から出てきたお祝いに食べたのが起源との伝聞もあるらしいが、如何いかにもこれは眉唾だろうと、彼らも笑っていたそうだ。

 しかし、少なくとも江戸時代から続いているらしい。
 江戸時代には、享保、天明、天保と三回の大飢饉ききんがあり、膨大な数の餓死者を出した。だが、それでも何故か神事が中止になったり、簡素化されたり、廃止されることはなかったようだ。
 また戦中戦後の食糧難の中でも、どこからともなく餅米、小豆、砂糖が持ち寄られ、神事は続けられたそうだ。
 ――それ程まで大事な神事なのか?

 そもそも江戸時代には普通の直会なおらいだったようだが、いつ頃からか大食い大会になったようなのだ。
 ――誰が? いつ?
 これも謎だ。


 さらに孝が祖父から聞いたという話は更にすさまじい。
 神事そのものには関係ないと言うが、それは……。

 昭和の初めの頃の出来事らしい。
 ある日、神社に強盗が押し入った。宮司を縛り上げた。騒ぎを聞きつけた氏子が手に鎌や鍬など武器になりそうな物を持って集まってきた。
 取り囲まれたぞくは、右手のナイフを宮司に突きつけ、左手に松明を持って、
「下がれ、さもないと宮司を殺して、神社に火を点けるぞ」
 と脅したらしい。

 すると氏子の代表が、
「千年近くの間、儂らのご先祖が守ってきた社を灰燼かいじんに帰すわけにはいかん。宮司、勘弁してくれ」
 と言うと、宮司は小さく頷いて静かに目を閉じたそうだ。
 次の瞬間、代表が賊が持つ松明を奪おうと飛び掛かった。格闘の末、強盗を取り押さえた。その際、代表は顔や両手に火傷を負い、宮司は首や胸などを数カ所に傷を負ったが命に別状はなかったと云う。

 亜希子には、この神社が千年以上続いているとは信じられない。兎に角わからないことだらけだ。



「菅野さん、案件はまとまりましたか?」
 石田が席から亜希子に呼びかける。
「いいえ、まだ……。もう少し時間を下さい」
 亜希子も負けずに声を張る。
「田部さんは、三件提出してくれましたよ」
 亜希子が見やると田部はすまし顔。

 ――くそーっ。負けるものか。
 亜希子はつい見切り発車してしまう。
「今、大野屋さんとタイアップして和菓子のアイディアを練っているところです」
「いいですねぇ。分かりました。あと三日だけ待ちます。それまでに案件を纏めて下さい。よいですね?」
「はい」
 大きなため息と共に椅子に腰を落とす。

 まだ自分の中で考えているだけで、大野屋さんには相談にも行っていない。
 ――まあ、何とかなるさ。
 大様おおように構えていると、自席の電話が鳴った。

 思わず壁の時計を見る。魔の時間帯だ。
 ――時間がないのです。面倒な電話ではありませんように。
 亜希子は、恐る恐る受話器を取った。
「はい、五ノ鹿町観光協会案内係、菅野が承ります」

<終わり>

※ 用語の説明
祝詞とは、神道の祭祀において神に対して唱える言葉で、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持ちます。
大麻とは、神道の祭祀において神へのお供え物や罪を祓うために使用する物で、榊の枝に紙垂《しで》をつけたものです。
神饌とは、御饌《みけ》ともいい、神様に捧げるお食事のことです。
直会とは、祭りの終了後に、神前に供えた御饌《みけ》や御酒《みき》を神職や参列者の方々で戴くことをいいます。


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