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【短編】五ノ鹿町観光協会案内係2 (前編)

菅野亜希子は五ノ鹿町の観光協会に勤務する二十二歳。観光協会の職員は石田雄介マネージャーと七歳年上の田所路子と亜希子の三名。業務内容は、観光案内、観光情報媒体作成・配付、観光地域づくりなど多岐に亘る。石田も田所もパソコンが使えない。それに田所は面倒な仕事をほとんど亜希子に回してくるので、亜希子は目が回るほど忙しい日々を送っている。

(4,001文字)

1.田所さん@ゴシップ好き

 月曜日。
 朝からどんより曇っている。

 田所路子は花粉症をわずらっている。くしゃみと鼻水がはなはだしい。
 だが彼女は度々薬を飲み忘れるし、持ち忘れる。そのせいで、直ぐ隣の席でくしゃみを連発され、頻繁に鼻をかまれると、菅野亜希子はうざったくて仕方ない。だから亜希子は自分には必要ないにも関わらず、この時期は常に机の中に花粉症の薬を入れている。

 それはさておき。

 五ノ鹿町観光協会の営業時間は、午前九時から十二時まで、一時間の休み時間を挟んで、午後一時から五時まで。お客の対応を優先させているので、休み時間は誰か一人事務所に残って、その間に二人が昼食を摂る。職員が三人しかいないから、職責に関係なく順番に留守番役が回ってくる。
 今日の昼は、石田マネージャーが当番だ。

 二人は、近くの食堂に出掛けた。
「どうだったの? 例のお爺さん
 田所は席に着く早々、先週の土曜日のことを聞いてきた。昼休みになるのを今か今かと待っていたようだ。

「体調を崩して入院したそうです。代わりにお孫さんが来ました」
 仮病だったとか余計な情報を与えて、ゴシップ好きの田所先輩を喜ばせることはない。どんな小さな尻尾さえ掴ませたくない。
「いい男だった?」
「どうして男の人だと?」
「だって、女だったら孫娘って言うでしょう」

 亜希子は、私は男でも女でもお孫さんって言うけどなと思いながら、
「お爺さんと同じ変な男性でした」
「じゃあ、恋に発展しそうな話はなし?」
「全くありません」
「なーんだ、つまんない」
 田所の興味は尽きたようだ。志村との約束の件は、口が裂けても話すつもりはない。

 でもこの一件以降、亜希子は案外この仕事は自分の性に合っているのかも知れないと思い始めている。


 さて、遅ればせながら、五ノ鹿町観光協会の経緯というか歴史をこの辺で少し。

 観光協会が駅の近くの空き店舗を借りて営業を始めたのが、五年前。市役所の観光課から池内政男課長代理が責任者として派遣され、臨時採用で事務員となった田所路子との二人体制で発足した。
 池内課長代理は、当時五十七歳。彼は定年までの三年間を "お役所仕事" に徹した。つまり、何ごともなく、無事に勤め終えることだけを念頭に置いたのだった。
 前例のないことはしない。責任を問われるようなことはしない。決断を迫られるような案件は、上(市役所観光課)に判断を仰ぐ。
 何の事はない、これでは市役所観光課の駅前出張所ができたようなものだった。市民からの要望や意見は、そのまま市役所観光課に丸投げされた。
 入社当時はやる気満々だった田所も次第に池内の色に染まっていった。

 二年前。池内は定年となった。その後も再就職先として観光協会を望んだが、時の高山浩二町長がそれを許さなかった。
 高山町長は観光協会のマネージャーを公募した。そして石田が選ばれたのだった。心機一転。これでやっと駅前出張所を脱して、本来の観光協会としての業務を行うべく形が整った。
 ただ石田も田所もパソコンを使えない。従って協会が発する情報は紙媒体のみであった。これでは広がりに限度がある。やはり広く宣伝するためには、デジタル媒体を作成し、これをインターネットやSNSを使って発信しなくてはと、石田は痛感した。
 そこで今年、パソコンが使える菅野亜希子を採用したという訳である。


 月曜日から水曜日までは、面倒事は何ごともなく、実に平穏な日々を過ごした。
 亜希子は、このまま安らかな気持ちで土日を迎えられると思っていたが……。


2.ケンちゃん

 迎えた木曜日。
 朝九時。業務開始早々、菅野亜希子の席の電話が鳴った。

「おはようございます。五ノ鹿町観光協会案内係、菅野が承ります」
<うちのケンちゃんが、いなくなったの?>
「はい? 恐れ入ります。もう一度、お願い致します」
<だからね、ケンちゃんがいなくなってたのよ。黙っていなくなるなんて、今までなかったのよ。もう心配で、心配で。事故に遭ったんじゃないかしら、誘拐されたのかも知れないわ>

「あのーっ、お客様、そういうことは警察にご相談なさった方が……」
<バカおっしゃい! 警察なんか当てになるもんですか>
 ぴしりと言った後、
<もしケンちゃんが死にでもしたら、私、もう生きていけないわ>
 打って変わって涙声になる。電話の主はかなりの興奮状態にある。

 うーっ、厄介なお客だ。
 観光協会なんかもっと当てにならないのにと思いながらも、亜希子は努めて冷静に、
「お客様、落ち着いて下さい。まだケンちゃん様が亡くなったと決まった訳ではないでしょう」
<それはそうだけど。こんなこと、今まで一度もなかったのよ>
「お客様、一度、深呼吸しましょうか。はい、大きく息を吸ってーっ、はい、空っぽになるまで吐いてーっ。もう一度吸ってーっ、吐いてーっ」

 電話の向こうで深呼吸しているのが分かる。
「では、最初から順序立ててお話しください」
<今朝ね、ケンちゃんの部屋をのぞいたら、姿が見えなかったの>
 深呼吸の効果有り。少し声が落ち着いてきた。
「それで……」
<それで家中捜してもいなくて、家の周りにも見当たらないの>
「はい」
<それで隣の井上さんにも聞いたんだけど、今日はまだ見てないらしいの>
「それで……」

<お向かいの杉山さん、この方も散歩仲間なんだけど、に聞いたのね。そしたら、昨日の夜十時頃にチョコちゃんと散歩中、近くの公園で汚いどこかの雌犬とじゃれていたのを見たって……>
「あのーっ、お客様。ちょっと待って下さい。もしかしてケンちゃんと言うのは、犬ですか?」
<そうよ。ケンちゃんと言ったら、犬に決まっているでしょう。でも私にとっては家族同然よ。とても可愛くてね、マルチーズの雄なの。頭も良くて……>

 もーっ。真面目に対応して損した。
 亜希子は、まだ言いつのる電話主をさえぎって、
「あの、丸チーズだか三角チーズだか知れませんが、そういう電話は観光協会ではなく警察か保健所の方にお願いします! 失礼します!」

 本当は受話器を叩きつけかったが、フックスイッチを指で強めに叩き切るだけにした。そっと受話器を戻す。
 ふうーっ。
 椅子の背もたれに体を預けて肩をんでいたら、石田マネージャーが右手を挙げて「菅野さん、ちょっと」と呼んだ。

 席に行くと石田は、
「菅野さん、さっきのは間違い電話だったんですか?」
 と尋ねた。亜希子は、
「はい。犬がいなくなったそうです」
「そうだとしても、うちの評判にも影響しますから、もう少し丁寧な対応をお願いします。よいですか?」

 もう何かトラブルで困っている時は知らんぷりしているのに、こんな時だけ注意するんだから。
 不満が顔に出たのか、石田が、
「よいですか?」
 と再び聞く。
「はい」
 亜希子は目一杯の努力で無表情を作り、一礼して席に戻った。


3.捜索依頼

 午後三時を過ぎて、定時までもう少し。石田マネージャーは三時のおやつに煎餅をかじり、濃いお茶を楽しんでいる。田所は田所で、机の上を片付けに掛かっている。二人とも五時の時報が鳴ったら、五分後には跡形もなく消えるつもりだろう。

 電話が鳴った。先輩が顎をしゃくる。
「はい、五ノ鹿町観光協会案内係、菅野が承ります」
<あなた、朝の人ね>
「はいっ?」
 朝の厄介な婦人だ。亜希子は顔をしかめる。

<あなたが言った通り、ケンちゃんのこと、警察と保健所に相談に行ったわよ>
「はい?」
 うそーっ。本当に行ったんだ。
<失そう届を書いてくれって言うから、私、書いたわよ。特徴を書く欄に、白毛に茶色と黒が混ざっているって記入したら、受付の婦人警官が「随分派手な髪ですね」って言うから、髪じゃなくて毛ですって答えたら、「もしかして人ではないんですか?」って巫山戯ふざけたこと聞くじゃない。私の家族によ。それでマルチーズよ言った訳。そしたら「警察は人間以外の捜索はしません」って。冷たいもんよ。やっぱり警察は役立たずだわ。まったく人で無しよね>
「はい」

 犬は人ではないから、人で無しだって。笑えるーっ。
 亜希子は思わず吹き出しそうになった。
 馬鹿馬鹿しい話に付き合ってはいられない。何とか上手く切り上げなくては。
<保健所は保健所で、「迷子の犬の捜索はしません」って木で鼻をくくったような返事しかしないのよ。「保護犬の中にいるかも知れません。見てみますか?」って言うから付いて行ったけど、あんな狭い檻に入れられてワンちゃんが可愛そうで、卒倒しそうになったわ>

 ワンちゃんだって。うちの父はソフトバンクホークスの王会長のことを、未だにそう呼んでるわ。
 亜希子は話を半分しか聞いていない。
 不満を吐き出せるだけ吐き出させて、早くお仕舞いにしてもらおう。
「それで……」
 亜希子が先を促すと電話の女性は、
<そうね。やはり、あなたにお願いするわ。ケンちゃんを捜してよ。お願い>
 と言い出した。

 亜希子は先日の失敗を思い出して、ここはきっぱりと、
「いいえ、ここは観光協会ですので、そういう依頼はお受けできません」
<だから、あなた個人にお願いしているんじゃないの。ねっ、お礼は十分するから>
「いやーぁ、でも」
 お礼という言葉に語勢が鈍ってしまった。

<あなたが警察と保健所に相談に行けって言うから、その分時間無駄にしたのよ。責任取ってよ>
「そんなあ」
<ねっ、あなた、菅野さんだったわよね。明日、ケンちゃんの写真持って行くから、頼むわよ。いいわね>
 唐突に電話が切られた。
 えーっ。
 また、亜希子は電話の相手に押し切られてしまった。

 亜希子は呆然と受話器を見つめていた。

<続く>


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