【短編】五ノ鹿町観光協会案内係3 (前編)
(3,792文字)
1.観光地PR活動
朝からどんより曇った空を見上げて、気象庁が梅雨入り宣言するのもそう遠くないと、亜希子は思った。先日来、雨の日と曇りの日が繰り返している。
月曜日。
石田雄介マネージャーが所員、と言っても田所路子と菅野亜希子の二人だけだが、を集めて朝礼を行った。
「私がここに赴任してきてから、二年と少し経ちました。先月、菅野さんが、我が五ノ鹿町観光協会のホームページを立ち上げてくれました。ですが、まだ五ノ鹿町の紹介と協会のあらましだけしかありせん。我々の仕事は受け身だけではだめです。自分から情報を発信しなくてはなりません。ここまでは、よいですか?」
「はい」「はい」
「それで、我々ののお薦めみたいなものを追加したいと思います。そこで各自最低でも一つ、案件を纏めて下さい。よいですか?」
「具体的には、何をどうすればいいのでしょうか?」
「それは自分で考えて下さい。よいですね。では来月の第一月曜日までに幾つか候補を考えておいて下さい。以上です」
「先輩、私、どうすればいいのでしょうか?」
「マネージャーも自分で考えろって言ってたでしょう」
「先輩、何かネタ、あるんですか?」
「何個かね」
「先輩、一つ私に下さいな」
「バーカ。桃太郎じゃないんだから、きびだんごみたいに、ほいほいあげないよ」
さて、亜希子は困った。ぱっと思いついたのは猪鹿稲荷神社だった。そこは初詣に行くくらいで、七五三は隣の千宗町にある玉坂神社に参拝した。何か面白いネタがあるとは思えないが、今のところ他に案がない。
「先輩、猪鹿稲荷神社を、私がやっていいですか?」
「いいわよ。でも、あそこは古いだけで、何もないわよ」
「えーっ、そうなんですか。でもやるだけやってみます。これから行ってもいいですか」
「いいわよ。いってらっしゃい」
2.猪鹿稲荷神社
亜希子は、猪鹿稲荷神社を訪れた。確かに先輩が言う通り、古い小さな神社だった。鳥居をくぐると短い参道の先に社殿があるのみで、由緒書の看板はない。右手にこぢんまりとした社務所があった。
亜希子はお参りした後、社務所に宮司を訪ねた。こういう時は、五ノ鹿町観光協会の肩書きが物を言う。社務所で待つこと三十分、高校生ぐらいの男子が入ってきた。
「すみません、父は急用ができまして外出いたしました。よろしければ私の方で対応させて頂きますが……」
彼は、県立花咲高校の二年生、宮司芝克美の長男で、芝孝と自己紹介した。
「いいえ、私の方こそ、アポも取らずに突然お伺いいたしまして失礼致しました。今度、観光協会の方で猪鹿稲荷神社を紹介したいと思っているんですが、日を改めてお願いします」
「そうですか。折角お越し頂いたのに申し訳ありません。でも何でしたら、私もずっと父の側で神社の行事は見ておりますので、少しはお役に立てるのではと思いますが……」
亜希子は出直すとは言ったものの、手ぶらで帰れない。宮司を取材する前に予備知識を入れたくても、神社に関する情報が全くないのだ。これでは話にもならない。だめ元で一応話を聞いてみることにした。
「まず、猪鹿稲荷神社がお祀りしている神様は何ですか?」
「一般に、稲荷神社は宇迦之御魂神を主祭神としてお祀りしています。『宇迦』とは『貴い食物』を意味します。つまり宇迦之御魂神とは、『稲に宿る神秘的な精霊』表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る『いのち』の根の神さまです。ですが、うちがお祀りしている神様は天照大神です。ですから神社名に稲荷が入っていますが、本当は稲荷神社ではないのかも知れません。よく分からないんですよ」
亜希子は、ちょっと面白いと思った。
「ここの神社ではお祭りをしないのですか? 私一回も見たことないけど……」
「はい。お祭りはありませんが、神事はあります。公開されていないので、町の殆どの人は知らないと思いますが……」
「公開されていない?」
「ええ。七月の初めに行われます。簡単に言えば、おしるこ大食い大会です。僕は宮司の息子と言うだけで、毎年参加させられていました」
「そのお祭りの由来は?」
「お祭りではなく、神事です。違いを簡単に言うと、感謝や祈りを込めて神仏や祖先などを祀るのは同じですが、祭りは主体が様々ですが、神事は宮司が行います。
話をもどしますと、江戸時代の前から続いているようですが、現存している書き物が皆無なので、誰がどんな理由で始めたものかも分からないそうです」
「一子相伝とか口伝とかでもないんですか?」
「それもないようです。まあ口伝と言えなくもないですが、父が祖父や曾祖父や氏子から聞いた話はあります」
「では、それでも結構ですから、教えてもらえませんか?」
「でも私には話していいかどうかの判断が付きませんので、父と相談したいと思います」
「わかりました」
亜希子は、明日九時に再訪問することにして、引き上げた。
次の日。約束の時間に伺うと、社務所で宮司が待ち構えていた。昨日の話は、息子から報告を受けているようだ。挨拶も早速、本題に入る。
「今時、女人禁制だなんて、そんなことがあるのでしょうか?」
「そう仰られても、そもそもこの神事自体が非公開のものですから、今流行りのコンプライアンスとかは、関係ありません」
「今までは、そうだったかも知れませんが、これからは観光客を呼び込んで、町を発展させなくてはと、そうはお思いになりませんか?」
「そもそもこの神事は神様に奉納するためのもので、人に見せるためのものではありません。ましてや観光客に見せるなどもっての外です」
「でもお汁粉を食べる神事があるとわかれば、神事自体は非公開でも、それこそ大野屋さんとか、町の和菓子屋さんで関連商品として売り出せば、評判を呼ぶかも知れませんよ。確か大野屋のご主人、楢崎慎二さんは氏子の代表の一人ですよね」
亜希子は父親から得た情報を挟んだ。
「あなたは、菅原さんと仰ったかな、交渉が上手ですね。頭の回転も速い。わかりました。では男性の方を一名だけ、録音・録画は禁止、メモを取るのもダメ、神事中は無言でということで、取り敢えず今回の参加を許可します。ただこのことを、SNS他で発信するのは禁止します。ホームページに載せる場合は、事前に私に確認させて下さい。問題がなければ公開してもらっても構いません。もし約束を違えた場合は、今後一切協力致しません。私の一存でできるのはここまでです」
「私ではダメですか?」
「はい。男性だけです。女性を受け入れるとか、神事を公開するとか、私だけでは決められません。氏子の皆さんに計らなくてはなりません。そうなると、おそらく年単位の時間が掛かるでしょう。あるいは結論は出ないかも知れません」
――仕方ない。
取材はマネージャーに頼むしかなくなった。
「承知しました。それでは当日石田という者が伺います。よろしくお願いします」
結局、神事の由来については聞けなかった。
亜希子は協会に戻るや否や、石田マネージャーに相談した。
「マネージャー、今日、猪鹿稲荷神社行きまして、宮司さんから神事の取材の許可を取り付けたのですが、ちょっと問題がありまして……」
「問題? 何です?」
「その神事は女人禁制だと言うのです。ですから、マネージャーに代わりに行って頂けないかと……」
「私が、ですか?」
「はい。簡単に言うと、おしるこ大食い大会だそうです。どうです、結構面白そうでしょう。今朝マネージャーが仰った案件に丁度良いと思います」
「おしるこ大食い大会、がですか? 分かりました。引き受けましょう。では詳しく説明して下さい」
亜希子は、孝と宮司から聞いて来たことを話し始めた。
宮司から神事の日時の連絡があったのは、それから二週間後だった。
七月某日、九時から神事を行う故、七時には社務所に来て欲しいとのことだった。スーツ、ネクタイ着用と服装も指定された。
「それから、そんなことはないでしょうが、髭は御法度です」
3.おしるこ大食い大会
孝は、今年のおしるこ大食い大会には出ないつもりだった。それが、ちょっとした経緯があって、また参加することになった。
――あいつのせいだ。
あいつというのは、同じクラスで幼なじみの楢﨑弥生のことだ。
担任の遠藤先生は転校生の高蔵健に「困ったことがあったら、何でもクラス委員長の楢﨑さんに相談して下さい」と言った。それでいつも二人が一緒にいるのは仕方ないが、事もあろうに「孝君との勝負に勝ったら、付き合ってもいいわよ」などとほざいたらしい。
――何をとち狂っているんだ、あいつは。俺の気持ちも知らないで。
弥生は氏子の代表の一人、大野屋の店主の一人娘だ。この神事のこともよく知っている。その上で、父親に頼んで、高蔵を参加者に加えるよう神社に進言してくれと頼んだのだった。
――縒りにも依って、一体神事をなんと思っているんだ。
それで孝は不戦敗する訳には行かなくなったのだ。
だが、弥生には弥生の言い分がある。それは後ほど……。
<続く>
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