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【短編】五ノ鹿町観光協会案内係3 (前編)

菅野亜希子は五ノ鹿町の観光協会に勤務する二十二歳。観光協会の職員は石田雄介マネージャーと七歳年上の田所路子と亜希子の三名。業務内容は、観光案内、観光情報媒体作成・配付、観光地域づくりなど多岐に亘る。石田も田所もパソコンが使えない。それに田所は面倒な仕事をほとんど亜希子に回してくるので、亜希子は目が回るほど忙しい日々を送っている。

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1.観光地PR活動


 朝からどんより曇った空を見上げて、気象庁が梅雨入り宣言するのもそう遠くないと、亜希子は思った。先日来、雨の日と曇りの日が繰り返している。

 月曜日。
 石田雄介マネージャーが所員、と言っても田所路子と菅野亜希子の二人だけだが、を集めて朝礼を行った。
「私がここに赴任してきてから、二年と少し経ちました。先月、菅野さんが、我が五ノ鹿町観光協会のホームページを立ち上げてくれました。ですが、まだ五ノ鹿町の紹介と協会のあらましだけしかありせん。我々の仕事は受け身だけではだめです。自分から情報を発信しなくてはなりません。ここまでは、よいですか?」
「はい」「はい」
「それで、我々ののお薦めみたいなものを追加したいと思います。そこで各自最低でも一つ、案件を纏めて下さい。よいですか?」
「具体的には、何をどうすればいいのでしょうか?」
「それは自分で考えて下さい。よいですね。では来月の第一月曜日までに幾つか候補を考えておいて下さい。以上です」

「先輩、私、どうすればいいのでしょうか?」
「マネージャーも自分で考えろって言ってたでしょう」
「先輩、何かネタ、あるんですか?」
「何個かね」
「先輩、一つ私に下さいな」
「バーカ。桃太郎じゃないんだから、きびだんごみたいに、ほいほいあげないよ」

 さて、亜希子は困った。ぱっと思いついたのは猪鹿稲荷神社だった。そこは初詣に行くくらいで、七五三は隣の千宗ちひろ町にある玉坂神社に参拝した。何か面白いネタがあるとは思えないが、今のところ他に案がない。
「先輩、猪鹿稲荷神社を、私がやっていいですか?」
「いいわよ。でも、あそこは古いだけで、何もないわよ」
「えーっ、そうなんですか。でもやるだけやってみます。これから行ってもいいですか」
「いいわよ。いってらっしゃい」


2.猪鹿稲荷神社


 亜希子は、猪鹿稲荷神社を訪れた。確かに先輩が言う通り、古い小さな神社だった。鳥居をくぐると短い参道の先に社殿があるのみで、由緒書の看板はない。右手にこぢんまりとした社務所があった。
 亜希子はお参りした後、社務所に宮司を訪ねた。こういう時は、五ノ鹿町観光協会の肩書きが物を言う。社務所で待つこと三十分、高校生ぐらいの男子が入ってきた。

「すみません、父は急用ができまして外出いたしました。よろしければ私の方で対応させて頂きますが……」
 彼は、県立花咲高校の二年生、宮司芝克美の長男で、芝孝と自己紹介した。
「いいえ、私の方こそ、アポも取らずに突然お伺いいたしまして失礼致しました。今度、観光協会の方で猪鹿稲荷神社を紹介したいと思っているんですが、日を改めてお願いします」
「そうですか。折角お越し頂いたのに申し訳ありません。でも何でしたら、私もずっと父の側で神社の行事は見ておりますので、少しはお役に立てるのではと思いますが……」

 亜希子は出直すとは言ったものの、手ぶらで帰れない。宮司を取材する前に予備知識を入れたくても、神社に関する情報が全くないのだ。これでは話にもならない。だめ元で一応話を聞いてみることにした。
「まず、猪鹿稲荷神社がおまつりしている神様は何ですか?」
「一般に、稲荷神社は宇迦うか御魂神みたまのかみを主祭神としてお祀りしています。『宇迦』とは『貴い食物』を意味します。つまり宇迦之御魂神とは、『稲に宿る神秘的な精霊』表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る『いのち』の根の神さまです。ですが、うちがお祀りしている神様は天照大神です。ですから神社名に稲荷が入っていますが、本当は稲荷神社ではないのかも知れません。よく分からないんですよ」

 亜希子は、ちょっと面白いと思った。
「ここの神社ではお祭りをしないのですか? 私一回も見たことないけど……」
「はい。お祭りはありませんが、神事はあります。公開されていないので、町のほとんどの人は知らないと思いますが……」
「公開されていない?」
「ええ。七月の初めに行われます。簡単に言えば、おしるこ大食い大会です。僕は宮司の息子と言うだけで、毎年参加させられていました」

「そのお祭りの由来は?」
「お祭りではなく、神事です。違いを簡単に言うと、感謝や祈りを込めて神仏や祖先などを祀るのは同じですが、祭りは主体が様々ですが、神事は宮司が行います。
 話をもどしますと、江戸時代の前から続いているようですが、現存している書き物が皆無なので、誰がどんな理由で始めたものかも分からないそうです」
「一子相伝とか口伝くでんとかでもないんですか?」
「それもないようです。まあ口伝と言えなくもないですが、父が祖父や曾祖父や氏子から聞いた話はあります」

「では、それでも結構ですから、教えてもらえませんか?」
「でも私には話していいかどうかの判断が付きませんので、父と相談したいと思います」
「わかりました」
 亜希子は、明日九時に再訪問することにして、引き上げた。


 次の日。約束の時間に伺うと、社務所で宮司が待ち構えていた。昨日の話は、息子から報告を受けているようだ。挨拶も早速、本題に入る。
「今時、女人禁制だなんて、そんなことがあるのでしょうか?」
「そうおっしゃられても、そもそもこの神事自体が非公開のものですから、今流行りのコンプライアンスとかは、関係ありません」
「今までは、そうだったかも知れませんが、これからは観光客を呼び込んで、町を発展させなくてはと、そうはお思いになりませんか?」

「そもそもこの神事は神様に奉納するためのもので、人に見せるためのものではありません。ましてや観光客に見せるなどもっての外です」
「でもお汁粉を食べる神事があるとわかれば、神事自体は非公開でも、それこそ大野屋さんとか、町の和菓子屋さんで関連商品として売り出せば、評判を呼ぶかも知れませんよ。確か大野屋のご主人、楢崎慎二さんは氏子の代表の一人ですよね」
 亜希子は父親から得た情報を挟んだ。

「あなたは、菅原さんと仰ったかな、交渉が上手ですね。頭の回転も速い。わかりました。では男性の方を一名だけ、録音・録画は禁止、メモを取るのもダメ、神事中は無言でということで、取り敢えず今回の参加を許可します。ただこのことを、SNS他で発信するのは禁止します。ホームページに載せる場合は、事前に私に確認させて下さい。問題がなければ公開してもらっても構いません。もし約束をたがえた場合は、今後一切協力致しません。私の一存でできるのはここまでです」
「私ではダメですか?」

「はい。男性だけです。女性を受け入れるとか、神事を公開するとか、私だけでは決められません。氏子の皆さんに計らなくてはなりません。そうなると、おそらく年単位の時間が掛かるでしょう。あるいは結論は出ないかも知れません」
 ――仕方ない。
 取材はマネージャーに頼むしかなくなった。
「承知しました。それでは当日石田という者が伺います。よろしくお願いします」
 結局、神事の由来については聞けなかった。


 亜希子は協会に戻るや否や、石田マネージャーに相談した。
「マネージャー、今日、猪鹿稲荷神社行きまして、宮司さんから神事の取材の許可を取り付けたのですが、ちょっと問題がありまして……」
「問題? 何です?」
「その神事は女人禁制だと言うのです。ですから、マネージャーに代わりに行って頂けないかと……」
「私が、ですか?」
「はい。簡単に言うと、おしるこ大食い大会だそうです。どうです、結構面白そうでしょう。今朝マネージャーが仰った案件に丁度良いと思います」
「おしるこ大食い大会、がですか? 分かりました。引き受けましょう。では詳しく説明して下さい」
 亜希子は、孝と宮司から聞いて来たことを話し始めた。


 宮司から神事の日時の連絡があったのは、それから二週間後だった。
 七月某日、九時から神事を行うゆえ、七時には社務所に来て欲しいとのことだった。スーツ、ネクタイ着用と服装も指定された。
「それから、そんなことはないでしょうが、ひげ御法度ごはっとです」


3.おしるこ大食い大会

 孝は、今年のおしるこ大食い大会には出ないつもりだった。それが、ちょっとした経緯いきさつがあって、また参加することになった。
 ――あいつのせいだ。
 あいつというのは、同じクラスで幼なじみの楢﨑弥生のことだ。

 担任の遠藤先生は転校生の高蔵健に「困ったことがあったら、何でもクラス委員長の楢﨑さんに相談して下さい」と言った。それでいつも二人が一緒にいるのは仕方ないが、事もあろうに「孝君との勝負に勝ったら、付き合ってもいいわよ」などとほざいたらしい。
 ――何をとち狂っているんだ、あいつは。俺の気持ちも知らないで。
 弥生は氏子の代表の一人、大野屋の店主の一人娘だ。この神事のこともよく知っている。その上で、父親に頼んで、高蔵を参加者に加えるよう神社に進言してくれと頼んだのだった。

 ――縒りにも依って、一体神事をなんと思っているんだ。
 それで孝は不戦敗する訳には行かなくなったのだ。

 だが、弥生には弥生の言い分がある。それは後ほど……。

<続く>


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