「傷つきやすい人ほど人を傷つけている」への見解
「傷つきやすい人ほど人を傷つけている」みたいな言葉をネットでよく見かける。ふんわりとしたトゲを感じながらも、昔を振り返ってみると心当たりがある。
人の言動に過度に傷つくせいで相手を苛立たせてしまったり、自己嫌悪に陥らせてしまったりする。ここで言っても縁が切れている人ばかりだから意味ないんだけど、ごめんよ、と言っておきたい。
ごめんよ、といっしょに「当事者はそんなことに気付けないくらいいっぱいいっぱい」であることも知ってもらえると嬉しい。
この記事のスタンスが見えにくいかもしれないけど、このテーマに関しては傷つきやすい人と傷つけてしまう人の両側に立って話していきたい。
今までのわたしは大丈夫じゃない時期が多かったため人の手をたくさん借りてきた。ところが、年齢のせいも大いにあるだろうけど、圧倒的に頼られる側になること・見守る側になることが多くなった。
昔はショックなことがあると体が震えてしまったり涙が出たりするので、トイレに行って落ち着くまでごまかしたりしていた。
ある時、そういったガラスの部分が徐々に奥に押し込められるようになった。なにごとも順番だから大人側に回らないといけない、と思いはじめたからかもしれないし、そんな立派なものでもないかもしれない。こうして「傷つきにくくなった」と同時に頼ってくれる人を不本意に「傷つけてしまう」ことが増えた。
前置きが長くなったけど、この文章の目的
・傷つきやすい人がちょっとでも楽になること
・傷つきやすい人の周りにいる人がちょっとでも楽になること
「傷つきやすい」の前提
「内心傷ついているけど言わないし態度に出さない」
これは今回傷つきやすいに含まない。
そもそも、これは傷つきやすいと言えるのか。
(わからないし、定義すること自体が愚かなのかもしれない)
逆境に負けず気丈に振る舞う立派な人ともとれるし、取り乱すほど傷ついていないとも言える。
ここでは、傷つきやすい人=イヤなことが頻繁にあり、そのたび落ち込んでよくわからない行動をとったり泣いたり怒ったり言葉をぶつけたりといった他人から見てわかる表現をせずにはいられない人 と定義する。
ここからは必要としている人に読んでほしいので、初めて有料記事の機能を使ってみる。
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