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何者かになれても、なれなくても「好き」を追い続けよう? 別に苦しまなくていいしね!

何者かになれなければ、「好き」を追い続けないと言うならば、それは自分の幸せがある方向の可能性に条件付けという鎖をかけたことになる。

何者ってどういうののことを言っているんだろう?
何者か に なれる ってなんのこととして発言しているのだろう。

このポストに反応している方々は、どういうのが何者かになるということだと考えているのだろう?



まずもって、自分が輝くことに、他者の承認という条件付けは要らない。

私自身は、オリジナル創作に復帰してからのこの5年、魂からの直感を行動に移した創作活動を続けることで、自分の魂が何者であり、何を成すためにここに生まれたのかを完全に知った。

その【自分の魂が何者であり、何を成すためにここに生まれたのかを完全に知った】創作活動において、多くの数字による評価などは得たことは無い。(数字による評価を得るのが良い悪いという意味ではない)

でも多くの皆さんが求めている何者かってのが、多くの人のもしくは少数でも「承認を得られること」というものならば、それは自分の魂が何者かを知る扉は依然として開いてないことになる。

それは悪いことでも間違っていることでもない。
自分でそれを選択しているというだけだ。

他者からの承認や称賛が無ければ自分は耀けない、みたいな条件を自分で自分に付けるならば、魂が何者であるかの扉を開くときはこれからも訪れないということなのだ。

条件付けの鎖の中にいることを自分で選ぶということは、まさしく鳳学園の囲いの中から旅立たないということなのだ。

実は、2、3週間前にこの方に「創作活動をしている多くの人たちが承認欲求の奴隷みたいになっていて、創作の先生みたいな人々も無自覚だろうけどそちらに誘導している。影響力のある方が何か言わないと、響かないのかもしれないです」みたいなリプを送りました。※削除済

少女革命ウテナって少女の自立、魂の解放みたいな話だったよね?

あの作品を見た当時、既に20代後半だった私も、束縛的な社会システムに拘束されるような精神が半歩前に出れた気持ちがしたものだった。そんな解放の力を貰った。

今さ、創作やってる子たちが承認欲求に苦しんでることに無頓着でいていいの? 他者の承認を求めるって自分軸の確立=精神的自立とは正反対なんだけどそれでいいの? 何も言わなくていいの? って、そんな気持ちをリプに込めた。

ちなみに監督にリプ送ろうってのも、思いつき=直感を行動に移すということの一環である。
本当はね、言わなきゃその発言が出来ない大人には用事無いよって気持ちだったので思いつきを無視してたんだけど、何度も浮かんできた。何度も浮かんでくることは直感=魂からの指令なのです。


私が送ったものを読んでか否かの今回のポストかは全く判りませんが、内容を読んで私とは違う世界の住人になっていらっしゃることは明白に解りました。

使っている言葉を見ればわかります。



苦しみながら。
苦闘を続ける。
人生の暗黒。
迷宮を抜け出す。
唯一の方法。

世界は自分でつくっています。
苦しみが必要な方は、そのような願いがその方の宇宙に反映されます。別の表現をすると、あなたが言葉や行動、感情で発している周波数の世界をあなたという映写機にセットして投影します。ということ。

私は幾原監督がそのことを全て分かっていてウテナを制作されたのだと思っていたので、今回衝撃を受けました。そういうわけでもないのかな?
全て解っていて、そうされているならばそれは尊重されるべきことだと思います。

ただし、苦しみの周波数の中にいる場合、自分がゲームの中にいるという視点は、通常持てないものです。それでも影響力を持った作品を創り出すのですから凄いですよね。
監督、沢山の作品、生き様を見せてくださりありがとうございます。


周波数とは、自分が自分の世界を見る・創るフィルムの元になっています。周波数は書き変えていくことが出来ます。

自分の魂が何者かを知る扉を開くことを岩戸開きと私は呼んでいます。
岩戸の中には自分の魂の耀きが眠っているのですが、岩戸は、自分の扉が閉じていることに気づいて(閉じていると苦しい)、自分で開こうとしなければ開かないのです。

あなたの魂は、岩戸を開くための小さなシグナルをいつも送っています。


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