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vol.1 自己紹介(改)

以前、自己紹介を書いたのですがあまりにも簡略化していたので
何回かに分けて再度自己紹介を行っていきたいと思います。

名付けて、自己紹介(改)です。笑



種子島編①

出生〜幼少期

私は1994年に種子島で生まれました。
出生〜幼少期の話の前にまず、
みなさん、種子島ってご存知ですか?
この字なんて読むの?知らないよ。
島って多過ぎてどこか分からないよ!
なんて思う方もいるかもしれません。
いやいや、あの島でしょ。
知ってる、知ってる!
って思う方もいるかもしれません。


種子島

種子島は”たねがしま”と呼びます。
鹿児島県の離島で
みなさんに分かりやすく言うのであれば
屋久島の横にある細長い島です。


種子島の人口って
どれくらいいると思います?
島だから少ないと思っていません?
なんと約27000人いるんです。
驚きましたか?
結構離島の中では人口が多い島なんですよ。


種子島は、3つの市と町に別れています。
北から西之表市、中種子町、南種子町。

西之表市が私の生まれ育った市です。
鹿児島市内まで1時間30分で行けてしまう
高速船があります。
これが結構スリルあるんですよね。
高速船乗ったことある方いますか?
高速船のパンフレット見ると
こんなに海から浮いて海の上を走っているんだ!
ってびっくりしたことを思い出します。
また、火縄銃製造の技術を習得し日本人で初めて作った
八坂金兵衛清定像もあります。

中種子町は種子島空港があります。
え、空港あるの?って思いました?
小さいですけどあるんですよね。
飛行機もプロペラ機があったりと
飛行機好きな方はなかなか乗れないと思いますので
ぜひ遊びに来てみてください。

南種子町は種子島の歴史そのものがたくさんある場所ですね。
先ほども言った鉄砲伝来の地はここ、
南種子町の門倉岬に着陸したと言われています。
戦国の世を大きく変えた鉄砲(火縄銃)。
決して安いとは言えず高価な物でしたが
当時の島主、種子島時堯はこれを2丁購入し
八坂金兵衛清定に模作するよう命じたとされています。
最初は、銃身と銃底を塞ぐネジが難関でしたが
翌年来島したポルトガル人から技術を習得し
遂に火縄銃を完成させるに至ったのです。
この出来事は歴史を大きく変える転換期だったと思います。
また、ロケットで有名なJAXAがあります。
種子島宇宙センターロケット発射場で打ち上げの際は
毎回感動してしまいます。


種子島にはコンビニはファミリマートが2個のみで
このコンビニもつい10年ほど前でしょうか。
それまでは、24時間という言葉とは
全くご縁がありませんでいた。


そんな種子島は過去と未来を物語る上で重要な
場所であると認識しています。
種子島をもっと知りたいという方は、この方達の記事を紹介しますね!

自己紹介ではなく
種子島の紹介となってしまいました。笑
まあ、そんな所で生まれ育ちました。
でも当時の私は、そんな種子島が嫌だったのです。


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