見出し画像

#14 エジプト珍道中 ファラオ村

エジプトの旅で、妻がいちばん行きたいところに挙げたのは、ファラオ村だった。ナイル川の中洲にあるテーマパークだ。

鼠をモチーフにしたあの人気キャラクターがいる夢の国では、入園後に乗りたいアトラクションをめがけて走りだす人もいるらしいが、ファラオ村に入ってまずやることは、待つことだった。

最初のアトラクションでボートに乗るのだが、できるだけ多くの人をまとめて相手にしたいらしい。だが、いくら待っても誰もやって来ない。待合所でマンゴージュースを飲みながら待つこと十五分。平日の午前中とはいえ結局、私たちのほかに一家族だけしか集まらないまま、がらがらのボートが出発した。

強い陽射しは屋根にさえぎられ、川面をはうように風が吹き抜けていく。きらめく水面を見ながら心穏やかにすごしていると、突然、腹の底に響く重低音が連打された。闘争を想いおこさせる物々しい音楽が、船内のスピーカーから大音量で鳴りはじめ、全身緑色の像の前でボートが止まった。

英語の解説がはじまる。どうやら目の前に現れた像は、古代エジプトの神オシリスのようだ。説明が終わると再び静かになり、ボートが動きはじめた。その後も古代エジプトの神々が次々と紹介されてゆくのだが、そのたびに心をかき乱すあの音楽が鳴り響いて落ち着かなかった。

ボートが進む。葦原の茂みの間から宮殿のようなセットが現れる。奥から、二人の女性が舞台に登場する。あっ、あんなところに、と言わんばかりにわざとらしく指をさし、ひとりが赤子をひろってもうひとりに差しだす。二人は赤子を揺らしてあやし、にっこりと顔をあげて視線をこちらにやる。ボートが動く。やがて葦原で見えなくなる。

いったい何を見せられたのだろうか。呆気にとられていると、再び葦原の茂みが開けた。机をはさんで男女が向かいあって椅子に座っている。服装から察するに、ファラオと王女だろうか。すると、二人がすっと立ち上がり、手を取りあって歩きだし、遠くを見つめはじめた。ボートが動きだし二人から遠ざかっていく。

なるほど。ファラオ村の推しポイントは、コスプレをして身も心も古代人になりきったキャストたちの演技を眺めながら、エジプトの歴史や文化、当時の暮らしなどを学べることらしい。なぜ演劇スタイルにこだわるのか、マネキンでいいのではないか、との冷静なつっこみはさておき、ここファラオ村は論理的な意味や効率、人的コストなどを無視した、ぜいたくな施設なのだ。

── 後からわかったのだが、先ほどの赤子をひろう場面はどうやら、割れた海を渡ったとされるあのモーセが、赤子のときにナイル川に流され、ファラオの王女にひろわれた場面らしい。

さらにボートは進む。乾いた砂の広場に、少年が山羊の群れをひきつれている。次は農業や酪農を紹介するエリアみたいだ。山羊たちは一様に、足元に首をうなだれ何かを探している。石ころしか転がっていないように見えるが、いったい何を探しているのだろう。一方の山羊飼いの少年は細い枝を握り、反対の手のひらをぺちぺち叩いている。容赦なく日光が照りつけるなか、少年は長袖の衣装を着ていた。暑そうだ、熱中症は大丈夫だろうかと思っていると、ボートの去り際に少年と視線がぶつかった。その眼差しは、首をうなだれた山羊に似て無気力だった。

次に、水を汲みあげる道具の紹介がはじまったのだが、ふと気になって、山羊飼いの少年のほうを見ると、先ほどの場所に姿がない。どこへ行ったのだろうと視線をさまよわせると、壁際のわずかな日陰に座りこんでいるのが見えた。

いよいよボートは中洲の先にたどり着き、くるっと折り返して工業を紹介するエリアへ進む。ガラスを熱する石窯に棒をつっこみくるくる回す女、のこぎりを丸太にあててギーコギーコやる男、のみと金槌で石膏をトンテンカンと叩く女。ボートが一定の速さで進み、次から次へと職人の実演が目の前を流れていく。

ふと視線をずらし、遠くに去った職人たちのほうを見やると、先ほどまで真剣に彫刻をほる演技をしていた女性の手には、のみと金槌ではなく、古代エジプトにあるはずのないスマホが握られていた。私は見てはいけないものを見てしまった後ろめたさを感じつつも、そのようすに釘づけになっていると、女性と目があってしまった。女性はとくに慌てるようすもなく上目遣いに、にたりと笑った。

やがてボートが岸に着いた。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。気づけば、私たちもコスプレをすることになり、私と妻はそれぞれ、ツタンカーメンとその妻アンケセナーメンになりきって記念撮影をした。

外にでると陽射しが強い。そろそろ帰ろうと出口にむかって歩いていると、数人の清掃スタッフが、日陰の地べたにぺたんと座りこんで談笑している。客が前を通っても動く気配はない。ファラオ村に通底するゆるさに浸りつつ思う。働くってこれくらいがちょうどいいのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?