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ろんぐろんぐあごー

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デビュー以前に書いた素面では到底読めない作品をひっそりと公開。
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2021年8月の記事一覧

脱線 18(終)

脱線 18(終)

7(承前)

「……煙草のにおいが彼女からしたんだ。だからヘビースモーカーなんだなって思った。不安定な精神状態だから、煙草でも欲しいだろうと考えて……」
「嘘です。彼女は煙草を吸っていることが他の人にばれることをひどく恐れていたんですよ。だからにおいにはとても気を使っていたんです。彼女のポーチの中には、煙草のにおいを消すスプレーや口臭防止ガムが入っていました。旦那さんに分からないことが、初対面のあ

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脱線 08

脱線 08

3(承前)

 後部座席にマッチョと赤居美紀が乗り込む。途中、彼女が変な気を起こして車を飛び降りてしまわないようにと、マッチョが提案したことだった。
「あの……やっぱり煙草、いただけますか?」
 病院を出発してすぐ、彼女は小さな声でそういった。
「どうぞ、どうぞ」
 マッチョが煙草を手渡して火をつけると、彼女は煙を深く吸い込み、安堵の溜め息とともに白い煙を吐き出した。
「……本当は煙草、大好きなん

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脱線 09

脱線 09



 いきなり警察へ押しかけるよりは、まず篠原の親父さんに話を聞いてもらった方がいいだろう。
 そう判断した僕は途中、マッチョの携帯電話を使って親父さんに電話をかけた。親父さんと警察署の前で落ち合い、「あとは俺に任せろ」と笑う親父さんに、赤居美紀を引き渡す。
 彼女の自首により、轢き逃げ事件は解決した。しかし、僕の中ではなにひとつ解決していない。逆に謎が増えただけだ。
 充が車にはねられたとき、

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脱線 10

脱線 10

4(承前)

 やすらぎ通りは車二台がぎりぎりすれ違えるほどの幅だが、この道路と交差した通りは今時珍しいあぜ道で、こちらは三人横に並んだらいっぱいになってしまうような細さだった。両側は高い塀でさえぎられているため薄暗くて気味が悪い。
「さっきまで警察の人がいっぱいいたんだよ。ほら、ここに血の跡があったんだ。綺麗に洗い流されちゃったんだけど」
 雅史は交差点の中央を指さした。チョークでなにやら書き込

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脱線 11

脱線 11



「雅史はゲームに夢中になっていて、気づかなかったかもしれないけど、僕、窓から見ちゃったんだよ。裕太が充を突き飛ばす瞬間を。僕、怖くて……だから今まで言い出せなかったけれど……」
 紀男が嘘をついているとは思えなかった。彼らがテレビゲームをしていた部屋も確認したが、確かに部屋の窓からは交差しているあぜ道がほんの少しだけ見えた。
 少年たちと別れ、再び病院へと戻ってくる。ちょうど充の治療が終わっ

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脱線 12

脱線 12

5(承前)

「先生……」
 裕太は僕の姿を見て、慌てて逃げ出そうとしたが、今回は踏切で出会ったときのようにはいかなかった。素早く彼の右手をつかみ、
「どうして逃げる?」
 と厳しい口調で問いかける。
「離せ、離せよ。馬鹿野郎」
 裕太は腕をふりほどこうとしばらくの間、じたばた暴れ回っていたが、やがてあきらめたのか、その場に力なく座り込んだ。
「こんなところでなにをしていた?」
「先生だってなにし

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脱線 13

脱線 13



 僕は再び車を走らせ、蒲生雅史の家の前までやってきた。雅史と話をしたかったわけではない。もう一人の坊ちゃん刈りの男の子――紀男に訊きたいことがあったのだ。
 駐車場でカマキリを捕まえていた雅史に声をかける。雅史は素っ気なく、「紀男は帰ったよ」と答えた。彼から強引に紀男の住所を聞き出す。直接自宅まで訪ねてみるつもりだった。
「おじさん、刑事なの?」
 雅史が相変わらずの笑顔で訊いてきた。
「裕

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脱線 14

脱線 14

6(承前)

「ん? どうした?」
「ううん。なんでもない。それより事件の話。さっきは雅史の前だったから、本当のことを言えなかったけど……」
「僕もそのことが訊きたかったんだよ。裕太が充に殴りかかったという話を雅史君がしたとき、君はなにか言おうとして口ごもったもんな。あのとき、なにを話そうとしたんだい?」
 紀男は僕を上目づかいに見たあと、覚悟を決めたように息を吸って口を開いた。
「あのね。裕太は

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脱線 15

脱線 15



 裕太はまだ家に戻っていなかった。
「どうもすみません。いつも先生にはご迷惑をおかけして……」
 裕太の母親は何度も何度も卑屈に頭を下げて謝り続けた。そんな態度がますます相手を――さらには裕太までも苛立たせてしまうことに、彼女は気がついていないのだろう。
「裕太君のクラスの名簿を見せてもらえますか?」
 僕はいつまでも続く謝罪の言葉をさえぎった。あまり時間がない。ひょっとしたら取り返しのつか

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脱線 16

脱線 16

7(承前)

「ああ、全部ぶちまけてやるよ。俺は充と一緒に、自分の家へ向かう途中だった。二人で、あんたが放火の犯人である証拠を見つけ出してやろうと思ったんだ。やすらぎ通りにぶつかるあのあぜ道で、突然、マスクとサングラスで変装した男が飛びかかってきて……ナイフを持ってた。俺、助けるつもりでわ充を道路に突き飛ばしたんだ。……仕方がなかったんだよ」
「裕太。じゃあ、その傷は……」
 裕太のまだ赤く染まっ

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脱線 17

脱線 17

7(承前)

「先ほどはどうもありがとうございました」
 見覚えのある男が姿を現した。
「親父さん……」
「おお、なんだ。おまえもここにいたのか」
 篠原の親父さんはにこやかに笑った。
「お礼に伺ったところだったんですが……お取り込み中でしたか?」
「いえ……そういうわけでは……」
 マッチョは無意味に手を動かしながら、へらへらと笑った。
「おまわりさん、こいつを捕まえて!」
 裕太がマッチョを指

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