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脱線 17

7(承前)

「先ほどはどうもありがとうございました」
 見覚えのある男が姿を現した。
「親父さん……」
「おお、なんだ。おまえもここにいたのか」
 篠原の親父さんはにこやかに笑った。
「お礼に伺ったところだったんですが……お取り込み中でしたか?」
「いえ……そういうわけでは……」
 マッチョは無意味に手を動かしながら、へらへらと笑った。
「おまわりさん、こいつを捕まえて!」
 裕太がマッチョを指さして叫ぶ。
「放火魔はこいつだ!」
「いえ、この子は私の教え子でして……虚言碧のある困った奴で……どうもすみません」
 マッチョはとっさにごまかそうとしたが、親父さんは彼の言葉よりも、裕太の肩の傷が気になったようだ。
「この子、怪我をしてますよ」
「ええ……そうみたいです」
「かなりひどい。あなた先生なのに、傷の手当もしてやらないんですか?」
「いえ……それは……」
 マッチョがうろたえる。
「実は、ちょっとお聞きしたいこともありましてね。長谷部さん、あなた、赤居さん――加害者の女性ですが――あの方とお知り合いではなかったんですか?」
 マッチョの動きが止まった。
「ええ、病院の待合室で初めて会ったんですが……それがどうかしたんですか?」
「いやいや、私、あなたが赤居さんのご友人だとばかり思っていたんですよ。それが彼女に聞いてみたら、いいや、まったく知らない人だというものですから……正直、意外だったんです」
 親父さんは濃い髭を撫でながら、マッチョの顔を覗き込んだ。
「だって、これまで会ったこともない人をちらりと見ただけで、『怪しい。轢き逃げ犯かもしれない』って思われたわけでしょ? その辺のことを詳しく聞きたいなと思いまして。赤居さんのどんな態度をみて、そう思われたんですか? 彼女の態度から、罪の意識がどれくらいあったのかも推測できますしね」
「……本当に知り合いじゃなかったんですか?」
 僕はぼそりと口に出した。親父さんの視線が僕の方へと注がれる。
「長谷部先生。赤居さんとは病院で初めて会ったんですか?」
「ああ、そうだ」
「そうですか…それを聞いて、僕はますます自分の推理に自信を持つことができました」
「おい、遼平。おまえ、なにをいってるんだ?」
 親父さんが怪訝そうな表情を浮かべる。
「親父さんは黙って聞いていてくれよ」
 僕は息を吸い込み、それからマッチョを見上げた。
「長谷部先生。裕太に傷を負わせたのはあなたです」
「おいおい、なにを――」
「事故現場の路肩に、口紅の跡のついた煙草の吸い殻が何本も落ちていました。……不思議だったんですよ。誰かがそこで待ち合わせでもしていたのかと思った。でも、変でしょ? 今朝は昼近くまで大雨が降っていたんです。それまでに捨てられた吸い殻なら、どこかに流されてしまっているはずだ。雨があがったお昼以降は警察や野次馬であふれかえっていたから、あんなところにとどまって、煙草を吸っていた人がいたとは思えない。
 それでピンときたんです。この煙草はここで吸ったのではなく、ここに捨てられたんだって。よく見ると、口紅の色も赤居さんのつけていた口紅と同じ色でした。赤居さんが吸い殻を捨てたんです」
 僕はポケットにしまい込んでいた二本の吸殻を取り出し、それをマッチョの前に突き出した。
「ほら、こっちが僕の車の中で、赤居さんが吸っていた煙草の吸い殻。こっちが道端に落ちていた吸い殻。吸い殻の長さや、先を折り曲げた形なんか、どちらもそっくり同じでしょ? 吸い殻にもその人の性格が現れるんです。事故現場に吸い殻を捨てたのは赤居さんだったんですよ」
「それがどうした?」
「妙だと思いません? 充を撥ねた赤居さんは、車を停止させると、なぜかそこで灰皿の中の吸い殻を捨てたんです。普通では理解できない行動でしょう?
 彼女、いってましたよね。車から降りたときは、すぐに警察に通報するつもりだったって。でも、傷も大したことないように見えたし、他に誰も人がいなかったので、逃げ出したって。最初は警察に出頭するつもりだったんです。当然、事故を起こした車も警察の手に渡る。彼女は恐れたんじゃないでしょうか? 煙草の吸い殻が発見されることを」

つづく

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