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脱線 18(終)

7(承前)

「……煙草のにおいが彼女からしたんだ。だからヘビースモーカーなんだなって思った。不安定な精神状態だから、煙草でも欲しいだろうと考えて……」
「嘘です。彼女は煙草を吸っていることが他の人にばれることをひどく恐れていたんですよ。だからにおいにはとても気を使っていたんです。彼女のポーチの中には、煙草のにおいを消すスプレーや口臭防止ガムが入っていました。旦那さんに分からないことが、初対面のあなたにすぐ分かったとは思えません」
「そうだ。私もポーチの中身を見たんだよ。彼女、病院の待合室にポーチを置いたまま、外へ飛び出していっただろう? 追いかけたときに、何気なく中身を見たんだ。だから……」
「それも嘘です。ポーチの中を見たのなら、なおさら煙草なんて薦められなかったはずですよ。だって、ポーチの中には母子手帳が入っていたんですから。ポーチを開けたなら、まずその手帳が目に入ったはず。あなた、ポーチの中身なんて見ていない」
「…………」
「あなたは充の事故現場で目撃したんだ。煙草を吸いながら車を降りてきた彼女を。慌てた様子で、車内の灰皿を路肩にぶちまけたところを。だから、彼女がヘビースモーカーだと分かったんでしょ」
 マッチョはがっくりとうなだれた。
「長谷部さん。どうやらもう少し、いろいろと聞かなければならないことができたみたいですね。今、パトカーを呼びますので、ご同行願えますか? あ、君たちも一緒に来てくれるかい?」
 親父さんがいう。
 パトカーはすぐにやってきた。警察官に両手をつかまれ、マッチョは無抵抗まま引っ張られていった。僕と裕太は二人のあとについて、パトカーに乗り込んだ。
「すげえ。俺、パトカーなんて乗るの、生まれて初めてだ」
 裕太が僕の手を引っ張り、はしゃぎ声をあげる。
「ねえ。あいつ、どうして放火なんて馬鹿なことをやっていたのかな?」
「おまえ、いやなことがあったらどうする?」
「大声でわめく。気に入らない奴をぶん殴る。それから……」
「あの人も、おまえみたいに子供だったってことさ」
 そう答えると、裕太はよく分からないといった顔をしながら、両足をぶらぶらと動かした。
「さあ、裕太。次はおまえの番だ」
 僕は裕太に顔を近づけ、声をひそめた。
「……脱線事故はおまえの仕業だな?」
 裕太は僕の目をじっと見つめ、それからこくりと頷いた。
「自分がどれだけ大変なことをしたか分かってるよな」
「分かってるよ。マッチョをぎゃふんと言わせてから、僕も自首するもりだったんだ」
「……どうしてあんなことをした?」
「だって……充を助けたかったんだよ」
 裕太は唇を噛みしめ、僕のシャツの袖を強く引っ張った。
「充が事故に遭ったのは、ちょうどあの踏切が開かなくなる時間だった。絶対に救急車の到着が遅れると思った。だから……だから……踏切が閉じてしまわないように……電車が事故に遭って止まってしまえば、踏切も開いたままになって、すぐに救急車もやって来てくれると考えたんだ。……充を助けたくて……だから……」
 裕太の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。僕は裕太を抱きかかえ、それから彼の頭を撫でてやった。
「ごめんなさい。先生、ごめんなさい……」
 大丈夫だ。この子は、僕が思っていたよりもずっと大人だ。それに彼には素敵な友達がいる。もし裕太が走るべきレールをそれてしまったとしても、きっと充が彼を助けてくれるだろう。
 裕太の姿が、十五年前、哲朗にすがって泣いた僕とだぶって見えた。なぜか僕の視界も、涙でにじんでしまっていた。

終わり

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