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脱線 15

 裕太はまだ家に戻っていなかった。
「どうもすみません。いつも先生にはご迷惑をおかけして……」
 裕太の母親は何度も何度も卑屈に頭を下げて謝り続けた。そんな態度がますます相手を――さらには裕太までも苛立たせてしまうことに、彼女は気がついていないのだろう。
「裕太君のクラスの名簿を見せてもらえますか?」
 僕はいつまでも続く謝罪の言葉をさえぎった。あまり時間がない。ひょっとしたら取り返しのつかない事態となるかもしれないのだ。
 裕太の奴、まさか自分一人で先走って……。
 不安に全身を絡めとられる。
 裕太の母親は部屋の奥から陽に焼けて黄色くなった一枚のプリントを持ってくると、僕に手渡した。僕はその中のある人物の住所に目を走らせ、頭の中へ叩き込むと、礼を述べてすぐに家を出た。
 目的地は決まっていた。おそらくそこに裕太もいるのだろう。それほど遠い距離ではない。車なら数分で到着する。
 道に迷うこともなく、目的の家はすぐに発見することができた。路上に停められた裕太の自転車が目印となった。自転車がなければ、まだこの辺りでうろうろ迷っていたかもしれない。
 車から降りて家の前に立つと、まず大きく深呼吸をして、それからインタホンを押した。三回鳴らして、ようやくドアは開いた。
「……一体、どうしたんです?」
 不思議そうな表情で僕を見つめる顔があった。
「裕太がお邪魔してませんか?」
「裕太……うちにですか?」
「おもてに自転車が停まってますけど」
「あ、ああ。いますよ」
 彼は戸惑った表情で、僕を中へ案内してくれた。額を拭うしぐさを何度も繰り返すが、とくに汗がにじんでいるようにも見えない。相当焦っているのだろう。
 間違いない。こいつが犯人だ。
「一体、どうしたんです? 裕太もあなたも血相を変えて」
「三澤先生! どうして」
 裕太が驚いた顔で現れ、僕を見返してきた。
「裕太、帰ろう。そろそろスイミングの時間だろう?」
「イヤだ。帰らない。俺、証拠を見つけたんだ。先生。こいつが犯人なんだよ。こいつが充を殺そうとしたんだ」
 裕太はこの家の主人を指さし、声を張り上げた。
「おいおい、人の家に強引に上がり込んできて、なんだよ、一体」
 彼は苦笑混じりに答えた。
「充の事故を僕のせいにするつもりか? 嘘はいけないなあ。本当はおまえが充を道路に突き飛ばしたんだろう? 目撃者だってちゃんといるんだぞ」
 裕太は一瞬ひるんだが、体勢を立て直し、目の前の男を睨みつけた。
「充を突き飛ばしたのは確かに俺だよ。俺のせいで充は車に跳ねられた。でもそうしなければ、充はあんたに殺されていた。あんたはやすらぎ通りに通じるあのあぜ道で、サングラスとマスクで顔を隠して襲いかかってきたんだ。だから俺は充を助けるために……仕方がなかったんだよ」
「そんな話、誰が信じるものか」
「三澤先生は信じてくれるよね」
 裕太の懇願の視線が僕に向けられた。
「その傷は、サングラスとマスクで顔を隠した男にやられたのか?」
 僕は裕太の質問には答えず、
「襲われたときのことを、もう少し詳しく話してくれよ」
 とだけ言った。
「ちょっとちょっと。こんな子供の戯言を信じるんですか。あなたは知らないかもしれないが、この子は問題児で――」
「裕太の担任とは思えない発言ですね。あなたはこの子の先生なんでしょう? どうして信じてあげることができないんです?」
 彼――マッチョはなにか言いたげに口を動かしたあと、ふてくされたような態度で、
「裕太、話してみろ」
 冷たくいい放った。

つづく

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