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【小説】マジカル・マジック……【その1】

十だ。十数えたら目を開けよう。

歩は心の中でそう呟くと、ゆっくりとカウントを始めた。

一……二……。

強く閉じられたまぶたの裏には何も映らない。その間にも中二男子の部屋には不似合いな甘い香りが彼の鼻腔に侵入していたが、無視することにした。

じゅう!

クワッと見開いた歩の目に飛び込んできたのは目を閉じる前と何ら変わらない光景、腰に手を当てて彼を睨みつける学生服姿の少女であった。彼女の視線の圧に負けて歩が顔を落とすと、チェック柄のスカートから覗いているすらりとした脚が目に入った。間近に見ても傷やできもの一つなく、部屋のLED照明の下で光沢を放っていた。

人間は不平等だな、とこの世の不条理を感じさせられる。

「どこ見てんのよ!」

少女がしゃがんで歩に視線を合わす。凛とした彼女の瞳に見つめられると、緊張とか、彼女の脚を間近に見て感じた男としての反応とか、そういったものが全て透けて見えてしまうのではないかという気がして、再び目を逸らしてしまった。

彼女の追求から逃げた視線の先には、マジカル・マジック・マリカのポスターが貼ってあった。慈愛に満ちた笑顔でポーズをとる女の子の姿がまぶしい。その魔法で数えきれないほどの人間を救ってきた魔法少女。

助けてくれよ。

ポスターの中の彼女に問いかけてみたが返事はない。そりゃそうだ。二次元の世界が三次元に干渉できるはずがない。

「ちょっと?」

目の前の少女に両手で頭を掴まれ、強制的に視線を合わされた。力が強い。頭がピクリとも動かせないではないか。あ、でもいい匂いがする。

「黙ってないで何か言いなさいよ」

まばゆい光とともに少女が現れてから一分弱、いまだ歩は一言も言葉を発していなかった。こんな楽しい世界に行けたらいいな、こんな可愛い子が実際に友達だったらいいな。歩も少年らしくそんな夢想をしたこともあった。だが悲しいかな、歩も伊達に陰キャはやっていない。いざ自室に女の子(それも飛び切り美人の)が現れては喜びよりも戸惑いが大きいのである。

「あ……どちら様ですか?」

ようやく言葉を絞り出した、喋るときによく「あ……」から始めてしまうのが悩みの十四歳。

「何言ってるのよ。知ってるでしょ?」

彼女はそっけなく返事をして壁にかかったポスターの元へ向かう。ショートヘアーがふわりと揺れた。

彼女が振り返り、ポスターの中の少女と同じポーズをとった。

見るものすべてを見透かすような瞳。かすかに茶色がかった、艶のあるショートボブ。上品な印象を与えるキャメルのブレザーにチェック柄のスカート。その下からはすらりとした脚が伸びている。表情こそ対照的であるものの、全ての特徴が合致する。

つまりはマジカル・マジック・マリカの主人公にして、その魔法で数えきれないほどの人間を救ってきた魔法少女――

「虹谷マリカ?」
「キミね、初対面の相手を呼び捨てはないんじゃないの」

もっともである。だが夜中に女子高生が男子中学生の部屋に現れるのはアリなのだろうか。

「えと……虹谷さん?」
「だからって名字呼びもよそよそしくない?」
 
あ、この子めんどくさい。

これだから三次元はと思ったものの、そういう感情を表に出さないのが大人というものだ、というのが歩の持論であった。決して気が小さくて口に出せないわけではない。決して。

「マリカさん」
「よし!」

それまでの不機嫌そうな態度が嘘のように表情がほころび、親指を立ててみせた。口元から真っ白な前歯がのぞく。きれいだ。

「というわけで、これからよろしくね」
「よ、よろしく?」

よろしく……よろしくとはどういう意味だったか。歩の脳内辞書がフル稼働で検索を始めた。

『あの二人は今頃――やっているんだろうぜ』……合コン後、街に消えた男女に対して。
『終電、行っちゃったね。エスコート――』……デート終わり、女性が男性に対して。

この場合のよろしくは一言でいうと不純異性交遊を指すわけであるが、そんなわけはあるまい。部屋に現れた女の子がいきなり求めてくるなんて今日びエロ漫画でももう少しストーリー性がありそうなものだ。

『今度の選挙、くれぐれも――頼むよ』……皺だらけの顔をくしゃりと綻ばせながら。
『――お願いしますね、プロデューサー。私……初めてだったんですから』……おずおずと初老の男性に対して。

つまるところ不正をお願いしますということだ。もちろん深夜のアニメ鑑賞に興じるただの中学生に不正な便宜をはかる権限などあるはずがない。

『マジカル・マジック・マリカ、はじまるわよ! 今週も――!』……とある魔法少女の決め台詞。
『一色歩です。これから――お願いします』……とある転校生の自己紹介。

こういったケースを説明するのはなかなかに難しいが、後者は『転校してきました。見ての通り背も低くて運動もできないし面白いことも言えないけどいじめたりしないでほどほどに付き合ってください』といったところだろうか……つかみとしてはせいぜい三十点だったが。

そう、たったの四文字にこれだけの意味が内包されているのだ。よろしく……なんというあいまいで奥の深い言葉か!

「ちょっと! 何ボケーっとしてんのよ。変な子ね」

歩がよろしくという言葉の広大な海をよろしく漂っていると、彼女が詰め寄ってきた。

「あ、ごめんなさい……。でも、えっと、よろしくってのは?」
「これから一緒に暮らすんだからよろしくって言ったの」
「は?」

一緒に暮らす?

冗談ではない。自室とはあらゆるしがらみから解放されるパラダイスである。ましてや中学生男子の歩にとっては聖域であり性域。そこにずかずかと入り込んだこの三次元は何をぬかしているのか。

「よかったわ、いい部屋で。テレビもあるなんて贅沢ね」

彼女は部屋の奥にあるテレビをのぞき込んで、突然消えた姉を慌てて探している妹のエリカに手を振っていた。

「ちょっと、いい加減にしてもらえませんか」

歩は激怒した。傍からはむっとした程度にしか見えないが確かに激怒していた。マジカル・マジック・マリカのブルーレイ・ディスクを鑑賞する至福の時を邪魔した罪は重い。何を動揺していたのだろう。不審者が現れたときの対処法など小学一年生でも知っているではないか。そう、ダブルワンオー(110)。国家権力に助けを求めればいいのだ。そう頷いた歩が自慢の最新型スマート・フォン「ク・コロセX」を手に取り緊急通報のボタンをタップする。

歩は高揚していた。軽々しく虹谷マリカを名乗ったこのコスプレ女に制裁を加えられるのだ。いつもは苦痛にしか感じられない呼び出し音が鳴るまでの沈黙が、こうも待ち遠しくなるとは。テレビに映し出されているのが本来存在しないはずのシーンであることなど、今の彼にとっては些末なことに過ぎなかった。

自称虹谷マリカの電波女が部屋に侵入して困っています。

だが何かがおかしい。いつまで待っても呼び出し音が鳴り始めないではないか。

「スマホかあ」

背後からの声にすくみ上る。思わず引き寄せた手にはもう何もなかった。

「キミくらいの歳の子でも持ってるなんて、科学の進歩ってすごいね」

振り返ると「ク・コロセX」が彼女に弄ばれているではないか。

く、ころ……いや、殺さないで。

敵の手に堕ちた相棒の画面がむなしく光り、消えた。

「でも、魔法だってすごいのよ。キミだって知っているでしょ」

そう言って立てた彼女の指先が鈍い光を発し始める。でも、そんなことより歩は彼女の表情に釘付けになっていた。おそらく、何千回も見てきた、慈愛に満ちた微笑み。

「困っている人を助けることができる」

それは、姿かたちだけを真似たコスプレ女にできるものではなかった。

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