はじめに この小説は少し長い小説なので、少しでも皆さまに読んで頂きたいということで、期間限定ですが、無料で印刷をして送付します。ご興味がある方は下記のアドレスへ連絡をしてください。 アドレス ta9.wada✖︎gmail.com ✖︎を@に変えてください。 あらすじのようなもの ある男がサーカスに拾われたところから小説が始まる。ある男が見た夢から、19世紀末のヨーロッパの蚕の疫病を経由して、二足歩行のウサギの輸入を通じた明治時代の横浜の貿易商の元老の出会い、さらに2050
【メモ】今日聞いた、外村吉之介(染色家、初代倉敷民芸館館長)が語った制作の教え。「健康で、無駄がなく、真面目で、いばらない」。いわゆる名言の類は好きではないが、これは背骨になる素敵なことばだと思う。
先日、私が見に行ったダンス試演会の途中で興味深い場面があった。 二人一組で15分程度踊っていたダンサーは突如とまって、それまでに行っていた体の動きを言葉にする。「肘を自分の内側に回して、ひねって、戻して、相手の呼吸に合わせて、左足を出して、相手と背中合わせで」と言った具合に、その口調はたどたどしい。 私はその場面を見たときに、カメラで撮った映像のように外から見た体の動きを思い出して、言葉に置き換えてると思った。 が、試演会のあとにダンサーに話を伺ったが、違っていた。
ダンサーの仁田晶凱さんがジャグラーの目黒陽介さんと小説家の山本浩貴さんと組んで行ったダンス公演「processing and tuning」を三鷹へ見に行った。 私は実は一度、この公演を見ている。 一か月前に横浜で試演会を見て、非常に面白かったので見に行ったのだ。 本番は試演会よりも公演のねらいを観客に伝えようとしていて、面白かった。 私が考える公演のねらいを説明するために、記憶している範囲で、全体の構成を列挙する。 以下の通りだ。 ◆全体の構成 ①ボ
先日、煙草関連の会社に勤めている方と話していて、興味深いことを聞いた。 紙巻き煙草と電子煙草の喫煙者の割合は、全国的には紙巻の方が優勢だが、東京になるとその割合が縮まるのだそうだ。さらに、東京でも洗練された人たちが集まる〇〇区では、電子煙草の喫煙者が逆転をするのだと言う。 その方も電子煙草を愛用しているのかと思いきや、さにあらず、紙巻き煙草を愛用している。 「電子タバコでは紙巻と違ってガツンと来ないんですよ」 私は非喫煙者なので、その人が感じる「ガツン」という意味がわ
こんな夢を見た。 大崎駅から少し歩いた森の中に広いアートスペースがある。 これは、B社が運営する現代美術家のSの作品のみを展示する空間なのだ。 コンクリート造りの円盤のような形の建物が半分崖に突き刺さり、外に出ている円周の部分には窓ガラスがない。 観客は靴を脱いで室内に入る。 入ると内部には大きな蓮池が合って、Sは池の前に座り、長い竿のようなものを使って蓮の位置を調整している。池も彼の作品で、公開制作を行なっているのだ。皆、池の周りに座りながら、Sの話を聞いている。
【メモ】芸術が世界を変える点があるとするならば、認識の拡張だけだ。これは目に見えず、時間もかかるが、世界(社会ではない)の原理を広げる。これを行ったのはカフカの小説、セザンヌの絵画。
【メモ】時折、dancyuで紹介していたレシピで焼売やポークソテーなどの「ミニマル料理」を作っている。しみじみ旨い。鶏がらスープやめんつゆを使うと分かりやすく旨くなるがあえて使わない。味が主張するのではなく、自分で味を探しに行く、謙虚な旨さ。旨さのゾーンが広がった感じだ。
ジョナス・メカスという詩人・映像作家がいる。 彼はリトアニアの出身で、ナチスの侵攻とともに収容所に入れられてニューヨークへ避難をする。その後は終生、ニューヨークに居続けた。 彼は言う。 リトアニアの言葉の中に自分の故郷があるのだと、さらに言えば言葉を使うことによって、故郷の過去の人々とつながるのだと。 土地の代わりに言葉がある。 日常的に使っている言葉によって、絶えず故郷とつながっているのだ。 小説家の古井由吉は中年をすぎたころから古代ギリシア語やラテン語を学び
東京国立近代美術館で写真家の中平卓馬(1938年- 2015年)のデビューから最晩年までの作品を網羅する「中平卓馬 火―氾濫」(2024.2.6–4.7)が開催されている。 1960年代後半から中平は「アレ、ブレ、ボケ」という言葉に表される、既存の表現と異なるわざとボケた白黒写真を発表し始め、新時代の写真家として注目される。 同時に彼は批評家としても活動し、雑誌「朝日ジャーナル」などでルポルタージュや批評も精力的に執筆する。展覧会においてもこの時期は、彼が書いた文章が掲