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「ガツン」という感覚

 先日、煙草関連の会社に勤めている方と話していて、興味深いことを聞いた。
 紙巻き煙草と電子煙草の喫煙者の割合は、全国的には紙巻の方が優勢だが、東京になるとその割合が縮まるのだそうだ。さらに、東京でも洗練された人たちが集まる〇〇区では、電子煙草の喫煙者が逆転をするのだと言う。
 その方も電子煙草を愛用しているのかと思いきや、さにあらず、紙巻き煙草を愛用している。
「電子タバコでは紙巻と違ってガツンと来ないんですよ」
 私は非喫煙者なので、その人が感じる「ガツン」という意味がわからない。曖昧に返事をしていると、その人は続けて言った。
「ほら、たまに外国のビールを飲むとアルコール度数が低いと薄く、軽く感じる時があるでしょう、あれと同じですよ」
 私は酒なら飲むので、これなら何となくわかる。
 確かに薄いビールだと飲んだ気がしない。
「まぁ、その『ガツン』というところが有害なところなんですよね」そう言ってその人は笑った。
 そのまま別の話に流れてしまったが、その会話の内容を振り返ってみると「ガツン」と言う感覚は不思議なものだと思う。
 「ガツン」と言う感覚の中には、アルコールやニコチンなど有害な物質を含んでおり、肉体的にそれを欲するというのもあるのだろう。
 だが、それだけではない。
「ガツン」という魅力は、嗜好品や賭け事だけではなく、一般的な価値を持っていると思う。
 刺激的な映画がヒットしたり、毒舌や本音を売りにしたタレントが人気者になるのも、人々が「ガツン」を欲しているからではないか。
 私もあまり健全な日常感覚に近い作品を見るとものたりない気分になる。
 つまり、「ガツン」という感覚は日常の揺さぶりの感覚だと思うのだ。そして、その強弱は日常から非日常へのジャンプ力の強弱だ。
だから、「ガツン」があまり強すぎると多くの人はついていけないし、作品などの場合はかえって反感を買う。だが、かといって弱すぎても物足りなく感じられる。
 ヒットをしている刺激的な作品や人気の毒舌タレントはそのバランスのとりかたが上手い。
 冒頭の話に戻る。
 今後は全国的に電子煙草のシェアが広がっていくのだろうし、健康の側面からみて、良いことだと思う。
 ただ、乱暴な感想であるが、いま電子煙草の喫煙者が多い地域とシステムによる管理が進んでいる地域はリンクしているように思える。
 そして、今後は電子煙草のような擬似「ガツン」とする感覚が主流になるような気がするのだ。
 擬似「ガツン」が与えるものは、個人がリスクとリターンを判断する非日常ではなく、それはシステムにコントロールされた非日常である。

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