愛は本質を捉えて進んでいく〜RIC・ウツ編#11
人生のどん底にいるとき、自分の抱える課題を知った。
相手を深く知ろうとせず、自分自分と行動する私の性質が周りや自分を苦しめている。
そのことに気づいてから、軽やかに生きられるようになった。
周りがよく見えるようになるのと同時に、自分の内側もよく見えるようになった。
自分の人生のテーマもわかった気がする。
すると不思議に、これまでの人生でも私は私のテーマに沿って生きていたんだなと発見することができた。
自分のテーマを知らなくても、人の一生はそれに沿って進行していて、ある日ハッと気がつくこともある。そういうものなのかもしれない。
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霧が晴れたように視界がすっきりして軽やかになった頃、
「これまでのことは、今日この日のためにあったんだな」
そういう理解が訪れる日がありました。
自分はなんのために存在しているのか。
本当には何をしたくて生きているのか。
そういうことが、ストンと腹落ちしたのです。
同時に、生きることと仕事の関係も考えるようになりました。
あるとき、日々の業務をいったん脇に置いて、経営理念についてしっかり考えようと2週間ひとりで過ごし、ドラッカーの一連の著作を読み耽りました。
人生に一本筋が通って、自己を律する軸がはっきりする感覚。
ドラッカーがいう「規律のないところに自由はない。規律のない自由は放縦であって、やがて無秩序へと堕落する。あるいは時を置かずして独裁へと堕落する」
その意味がわかった気がしました。
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自分自身の本質を見る目は誰にでも、いつでも備わっています。
本質を見抜く目は、生まれたときから備わっている愛する力からくるものだからです。
人生は本質を捉えて進みますが、それに意識的に気づくかは人それぞれです。
私みたいに、ずいぶん時間が経ってから気がつくかもしれません。
でも気づかなくても、進むべきところへ進んでいます。
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