空手をやっていたことがある
小さい頃、具体的に言うと、幼稚園の年中か年長あたりから中学3年の受験期に入るまでの約10年ほど「空手」をやっていた。
「空手」を知らない人はいるのだろうか?
少なくとも僕は「空手をやってる」と言って「何それ?」と言われたことはない。
それくらい知られている武道だと思っている。
だけどネットの世界というものは広く、「空手」という言葉をこのnoteで知ったという人もいるのだろうから簡単に言うと、「空手」は打撃の武術。
突き技や蹴り技という「攻撃」に加え、払いや受けという「防御」を基本とし、それらが組み合わさったものを「型」、実践形式でやることを「組手」と言う。
なんとなーく聞いたことのある単語が並んでいるのではないだろうか。
まぁこのnoteでは「僕が空手をやっていた」ということだけ知ってくれればいい。
今日話したいのは「なぜ、僕が空手をしていたのか」である。
結論を言うと、気の弱い僕を見かねた母が「強くなれ」ということでやらされていただけである。
僕のnoteを読んでいると節々に出ている「ネガティブ」感情。
今でこそ「ネガティブでもいいっしょ」と、変なポジティブを持つようになったが、小さい頃はビビりであり、喧嘩に発展しそうな”じゃれ合い”が得意な子ではなかった。
母は自分の子が負けっぱなしなのを見ていられない人なのだろう。
「喧嘩はするな。だけど自分を守れるくらいの強さは持て。」
そんなことを言われた気がするが、僕としては「強くなったら争いが絶えないでしょ」と思っていた。
だから空手に行くのは嫌だったし、連れて行かれた体育館では怖い先生がたくさんいた。
「武道の先生」をまんまイメージしてもらえればいいと思う。
しかもおじいちゃん世代ね。
「もっと腰を入れろ」とお尻を叩かれ、それにビビって涙目になると「男なんだから泣くな」とまた叩かれる。
まぁ赤くなるような強い叩きではなく、「頑張れよ」という鼓舞の叩きである。
その叩きが力強い人ってたまにいるでしょ?
そんな感じ。
そんなことをやりながら、黒帯は取った。
と言ってもそんなにすごいことではない。
続けていれば誰でも取れる。
弱いくせに歴だけあって、高いレベルを持ってる人がゲームにいるでしょ。
それが僕。
結果的に強くなったのかはよくわからない。
最後に喧嘩したのは小5の時だし、その時は確か腹を蹴られまくって泣いた気がする。
なんかね、ダメなんだよね。
殴った自分の拳が痛いのも嫌だし、殴られた相手の「いたっ」って表情も見たくない。
だけど小学生という情緒の手綱を握れていない時期だから、しばしば喧嘩はしてしまう。
それで相手を泣かせることができたとしても、あとで先生に怒られる。
勝っても負けても、喧嘩をして得られるものは何もない。
戦った時点で負けなのである。
「強くなったら争いが絶えないでしょ」という僕の考えは、間違っていなかった。
半端に空手を習っているからと、相手をおちょくり殴り合っても互いに損である。
「殴り合いの喧嘩は小5が最後」と言ったが、それも1年でたった1回の喧嘩であり、血気盛んな気の強い子にはならなかった。
が、「意味がなかった」とは思わない。
noteでも書いているような「日本史」に興味が持てたのは、日本の武道である「空手」をやっていたからである。
それが取っ掛かりとして歴史に興味が持てた。
そして僕は「体を動かす」ということが好きである。
この運動に護身術要素もプラスして学べる空手は、知識としておもしろかったし、ミットを回し蹴りした時の音は最高であった。
もう空手には7年ほど関わっていない。
だけど今後、「体を動かす」となったら武道は選択の有力候補に入るだろう。
「合気道」は割と興味がある。
無理矢理入会させたという母の行動はウザかったけれど、まぁ楽しかったので水に流せる。
「自分を守る」とか「気が強くなる」とかは生涯の鍛錬だから「できた」とは言えないけれど、技はなんとなく覚えているので身のためになっている。
何が言いたかったのか。
特にない。
「空手やってたことがあるんよね」という、ただの過去話である。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【あとがき】
空手はやっていたけど「瓦割り」はやったことがない。
先生曰く、「瓦を割れてもなんの役にも立たないよ」とのこと。
なので「瓦割れるの?」というコメントはここで割らせていただくね。
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