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今日はnoteを書かない!
と言いながら、今日もnoteを書いていこう。
最近、本当にありがたいことで「スキ」を押してくれる人が増えた。
企画の影響なのか、他の表現者からの流入なのか、それとも僕のnoteがマジで「スキ」だからなのか。
何にせよ、読んでくれてスキしてくれるのは嬉しいことである。
ありがとう。
が、しかし!今日はnoteを書かない。
たくさんの人に読んでもらい、反応をもらえること。
これはいいことであり、嬉しいことである。
だけど一度得た「嬉しい」という感情は、僕に「手放したくない」という感情を植え付ける。
だから「もっとスキしてもらえるように」「このスキ数を維持できるように」と、自分に負荷をかけるようになる。
もちろん「負荷をかける」というのも大切だ。
筋肉は筋繊維に負荷をかけて、破ることで大きくなる。
それは表現も同じで、思考に負荷をかけて壁を破って成長する。
だけど筋肉を大きくするには「休息」も大切なのだ。
破れた筋繊維は睡眠中に修復される。
修復されるから大きくなる。
僕のnoteも、今は「休息」の段階にあると思う。
直近の10日間、時事ニュースを取り上げ、文字数を増やし、人の名前と作品を引用させてもらいと、割と高負荷な表現をしていた。
筋肉痛のようなもの、ここでは「表現痛」とでも言おうか。
それを感じてる。
そういう時って筋トレしちゃいけないのよ。
ならば「表現痛」の時は表現しちゃダメだよね。
筋肉痛でトレーニングはしなくても、マッチョたちは生活をしている。
生活には多少の動きは付きものだ。
移動のために歩き、買い物をすれば荷物を持ち、立ち座りの時は屈伸する。
それと同じで、表現者が表現痛を感じていても、少しはタイピングするし、「このあとどう繋げよう」と考える。
だって表現者にとっては「表現すること」が日常だから。
ただ、このnoteは中身がない。
「筋トレだって休むんだから、noteだって書かなくてもいいだろ」と。
「筋トレと表現って似てるよね」と。
話を逸らしつつ、書かないことを正当化するnoteである。
「書かない」と題し、中身の無い簡単なものを書き、「休みが必要だ!」と言っている。
だけど「やめたい」ってわけじゃない。
僕には翼が無い。
だから地面を蹴ってジャンプしないと飛べないのだ。
「直近の10日間、結構高く飛んだよね。」
そうやって振り返りつつ、さらに高くジャンプできるよう、脚を溜めている。
今日はそんな日だ。
明日はどうなるかわからない。
まだ溜めてるかもしれないし、三段ジャンプの1発目を打ち上げるかもしれない。
明日を楽しみにしつつ、過去のnoteでも漁っといてくださいな。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【過去記事は、このnoteにまとめてます!】
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