無能という現実をどう捉えるかで「変える」か「変えない」かが決まる
Xにグサッとくるマンガがあった。
パレートの法則と呼ばれる「2:6:2」の話。
このマンガで言うならば、上の2が優秀、真ん中の6が普通、下の2が無能というように、人の集まりを割合で抽象化する。
僕のnoteで言うと、2割が僕のnoteに毎回反応してくれて、6割が読んでくれるけど反応が無い人、残りの2割が僕のことが嫌いな人という感じだろうか。
以前「僕は無能だ」という話を書いたが、まさに僕が下2の人間だった。
無能は自分のことばかり。
しかも「目先の利益」しか目に入っていない。
だから「言われたこと」しかやらないし、「飲み会って意味なくない?」と参加しない。
それは「自分に課された課題はこれだけだから」という理由であり、「それ以外は人の仕事」、少なくとも「自分の仕事」とは思っていない。
「わかるわ~」という考え方だ。
だってやる必要がないから僕に仕事を振らないでしょと。
なんなら「僕がやったら手間取り迷惑をかけるから」という理由かもしれない。
だとしたら手を出さないのが妥当だ。
こういう考え方は「チー牛回」で書いたな。
ここでも書いた通り「自分勝手」なのである。
手伝って、足手まといになって、恥ずかしい思いをするくらいなら、何もしないことを選ぶ。
しかしそれはそれで「無能」だったり「チー牛」だったりと、良くない印象を抱かれる。
短期的な得を選んだ結果、長期的な損を掴まされる。
一度付いた「無能」というレッテルは、挽回の機会を奪っていく。
「”失敗”を悪として遠ざけるような環境にした社会が悪い」
そうやって無敵の人が生まれていく。
なんだか怖いところまで想像しちゃったね。
一旦落ち着いて、通常ルートに戻ろうか。
会社や組織にとって下2の存在は「触りたくないもの」のように感じた。
そういう事実があると仮定して、結局のところ「自分がどうしたいか」だと思う。
周りから疎まれることを「屈辱」と感じるなら、取るべき行動は二つ。
その場を去るか、気持ちを入れ替えて場に適応するか。
転職のCMがわんさかある現代、「場を変える」ことは選択肢の一つとして持っとくのもアリ。
それを「逃げ」と捉えるなら、自分自身を変えるしかない。
とにかく今が屈辱なら何かしらを変えなきゃいけない。
逆に「屈辱ともなんとも思わない」なら変える必要は無い。
仕事を振られないで1日過ごすことに疑問を持たないのなら、「何もしなくても給料がもらえる」という夢の生活が待っている。
全く詳しくないが、会社って社員を辞めさせられないらしい。
欧米の「この仕事をする」という契約に対して、日本は「うちの会社に所属する」という契約だからのようだ。
だから「この仕事、もういらないから解雇」ってのが欧米はやりやすい(仕事内容で契約するから)。
対して日本は「所属契約」だから、仕事が無くなっても別のところに異動させるしかない。
軽く調べた感じ、これが「クビになりにくい仕組み」のよう。
だから「所属」している限りは給料が入り続ける。
「なんでこんなことしてるんだろ」と思わない人にとって、この環境ほど楽なものは無いだろう。
まぁ、僕はこれが無理なタイプの無能である。
「これ、僕がやる意味無くね?」と思ったら、その場にいるだけでストレスだ。
だから僕を辞めさせたいなら「何もさせない」のが効果的。
noteでネタにしたアルバイトの話は、僕の進学が絡んでの退職だった。
だから「何もさせない」は、まだ体験したことがない。
無能で下2の僕は、社会で生き残れるだろうか。
とりあえず6に入れるよう頑張ろう。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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