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「風が強い日」ってワクワクするよね

世の中興奮することってたくさんあるけど、一番興奮するのは「風が強い日」だよね!

間違いないね✨

これだけで「サンドウィッチマンのネタの入りじゃん!」とわかった人は、今度語らいましょう。

「風が強い日」ってなんかいい。

家の中にいると「ビュー」という風の音が窓を叩き、「割れてしまうのでは?」と不安になるのだが、外に出るとなんだかワクワクする。

雨が降りそうなジメッとした風ではなく、快晴の中での強風。

カラッとした風が好みである。

その風が体を吹き付けるたびに、僕はこの世に存在してるんだなと感じる。

子どもの頃、たまに「自分の体は機械であり、本当の自分は体の中にあるコックピットから体を操縦している」という感覚に陥っていた。

そしてそのカラクリは誰もがそうであり、家族と交わす「おはよう」や、友だちと遊ぶ「触れあい」は、表面の機械同士が混じり合ってるに過ぎず、中身にいる僕は一人ぼっちである。

そんな風に感じていた。

ただ、そこから何十年か生きてきて、痛みも喜びも、いろんなものを自分自身で感じてきて「僕は僕だ」という感覚は心得ている。

それを再認識するのが「風の強い日」だ。

肌に当たる風は僕の肌に沿ってながれ、決して僕の中には入ってこない。

地球にオゾン層があり、それが地球の空気と宇宙の真空を分けているように、僕も僕自身と外の空気は肌によって区切られている。

もし僕の体が機械であるなら、体の中に風が入りこみ、自分自身に触れてくるはず。

その様はものすごく気持ちが悪く、おぞましいだろう。

しかしそんな不快感は感じていない。

むしろ自分自身の存在が確認できて気持ちがいい。

こうやって言葉にしてみると変な人だなと思う。

風が肌に当たらずとも、自分が自分であることは認識できるし、それが当たり前だろ?

当たり前を当たり前と思えることは才能である。

だが、当たり前を再認識し、言葉にできるのも才能である。

その才能を少しおもしろがってくれると、世界は少し楽しく見える。

僕はあなたにそんな視点をお届けしたい。

今日も風が吹いている。

丁度いい文字数の風である。

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