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江戸の名富士塚跡から覗き見る富士

「東京、びっくり富士見ポイント」記事一覧

高級マンションになった目黒元富士

 さて前回の目黒駅近くのポイントは、最寄り目黒駅なのに住所は品川区でした。今回のポイントは最寄りの代官山駅は渋谷区ですが、紹介ポイントは目黒区、しかしながらほぼ渋谷区との境界上というまたまたややこしい場所です。

 東急東横線代官山駅を降りて旧山手通りに向かいます。山手通り向かい側の代官山ヒルサイドテラスの左端に細い道がありますので入ります。入り口にお地蔵さんがあるのでそれを目印に。細い道を進んでいくと右側に旧朝倉家住宅の入り口があります。その奥から道は右へ坂を下っていきますが、奥の突き当たりは巨大なマンションの敷地です。
 このマンションは賃貸マンションで月額100万円などという目の飛び出るような高級ぶりですが、明治の初めには岩倉具視の別邸がありました。その後東武鉄道を作った根津嘉一郎の邸宅となり、今も土地とマンションの所有はご子孫のようです。
 さらに遡って江戸時代には、江戸一の富士塚といわれた目黒元富士がありました。富士塚とは、江戸時代に江戸を中心に富士山信仰が高まるにつれ、困難な富士登山の代わりに富士山のミニチュアを地元に作り、ここに登って富士山を拝もう、と造られた人工の小山です。ミニチュアと言っても例えばこの元富士は高さ12メートルもあり、富士山から運んだ溶岩で飾られていました。

 「元」とつくのは、この富士塚が1812年に造られた際には「丸旦山」とも呼ばれていたのですが、1819年にすぐ近くに大きな富士塚ができ、これと区別するためにこちらを「元」としたものです。
 富士塚は戦前までありましたが、1939年の根津邸改築の際に破壊されました。元富士にあった石碑などは、現在池尻大橋駅近くの上目黒氷川神社に移設されています。マンション脇に「富士信仰と元富士」「目黒元富士跡」との解説板があります。

 富士塚が築かれるぐらいなのでさぞかし富士がよく見えたのでしょう。降っていく坂は目切坂と言いますが、富士見坂とも呼ばれ、「関東の富士見100景 東京富士見坂」に指定され、表示板があります。しかし今は坂の脇の敷地に木が生い茂り、とても富士は見えそうにないです。
 ところが先ほどのマンション脇の元富士解説板あたりに立つと、マンション横の敷地樹林に少し隙間があり、なんとか富士が見えます。敷地境の柵の土台に立たないと見えないと思います。

 撮影が冬ですので、夏になって葉がしげると見えなくなる可能性があります。しかしこの写真では、富士山の頂上部分がほぼ全て見えますね。マンションの住人の方はさぞ富士山がきれいに見えることでしょう。ああ、うらやましい。
 坂を下っていくと中目黒駅に出ることもできます。

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