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【パルクール体育】器械運動への私のモヤモヤ  ~パルクール体育が生まれたきっかけ~

こんにちは。
夏休みに入ってやっと落ち着くことができ、こうやってnoteも書くことができています。
さて、今日は「なぜ私がパルクール体育を実践しているか」という、私の実践の原点について、「器械運動へのモヤモヤ」という視点からお話してみようかと思います。
ただ、やみくもに器械運動批判をしたいわけではなく、器械運動自体の魅力や有効性を自分なりには大きく感じています。ただ、実践していく上でどうしてもぶつかってしまうモヤモヤがあり、ここで整理しておきたかったのです。
ご興味があれば、どうぞ最後までお読みください。



1.器械運動のモヤモヤ①「100点が決まっている(と子どもが思っている)」

器械運動は、ずいぶん長いこと学校体育の現場で行われてきました。「逆上がり」や「開脚跳び」など、授業で扱われる「技」は子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世代を越えて知られているものが多くあります。その「技」には、その技に繋がる下位の技や、発展的な上位の技も、実に様々な技があり、ちょっと体育をがんばったお父さんお母さんであれば、自分のお子さんがどのようなレベルにいるのかはよくわかると思います。

しかしながら、ここに大きな壁(問題)があると私は感じていました。

みんなが「技」を知っている。ということはつまり、「100点の状態」を知っているわけで、今の目の前の姿が「100点か100点に達していないか」という目で見てしまうというわけです。それは、子ども自身も感じてしまいます。いくら「個人内の伸びが大切」と言っても、同じ技をやっているのであれば、それは優れた姿と自分を比較し、できていない部分に目が行くのも当然。それをきっかけに向上できれば良いものの、それにたどり着くのには相当な工夫と苦労が必要です。(今までの体育授業は、それを解消するするための工夫をどのように行うのかに尽力してきたものが多いように思います。)

つまり、「みんなが技を知っているからこそ、苦手意識や運動嫌いにつながってしまう危険性も大きくある」ということです。

2.器械運動のモヤモヤ②「基準が明確なようでわかりにくい」

先ほどの話と繋がりますが、
器械運動は100点がありながらその100点の姿はボンヤリしていませんか?
膝を伸ばせばいいと言いながら、どのタイミングでどのくらい伸びていればいいのでしょう?
そもそも、なぜ曲がっているのがダメでまっすぐなのが良いのですか?

体操競技であれば、それが一つの採点基準になっているので、優劣をつけるための基準として必要なのかもしません。しかしながら、学校体育で行われるのは「競技」ではありません。

そうです。
器械運動でなんとなく当たり前だと思っている「できる」「できない」は、その基準の決め方が案外と不明瞭なんですよね。

基準が明確にありそうでありながら、わかりにくいのが器械運動のモヤモヤの一つですよね。

3.手段の目的化になってしまっている面がある

器械運動の動きを美しくすることは、器械運動を行う「目的」ですか?
いや、それは「手段」だったはず
です。
体育の「目的」は「体育や保健の見方・考え方を働かせ,課題を見付け,その解決に向けた学習過程を通して,心と体を一体として捉え,生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。」です。(指導要領より)

そう、器械運動を手段として、豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力を育成するのです。ただ、現在、器械運動それ自体を目的としてしまっている面が少なからずあると感じています。

例えば「逆上がり」です。「逆上がりくらいできないとはずかしい」そんな認識が世間一般には少なからず存在しています。つまり、「逆上がりができること」が「目的」になってしまっているわけです。

このように、器械運動は、その長い歴史の中で、手段だったことが目的化されてしまっていることがあるというのが器械運動のモヤモヤの3つ目です。

最後に…

このように、器械運動は、その歴史が長いがゆえにその「当たり前」が生んでしまったモヤモヤがあります。
では、これらはどのように解消できるのでしょう?
その答えになるかもしれないのが「パルクール体育」です。
次回は、そのパルクール体育とはいったいどのようなものかを話していきたいと思います。

では、今日はこのへんで。。。

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