希死念慮

私が生きてるだけで皆んなに経済的に迷惑がかかる。死にたい。「高学歴で有名会社で働いて稼ぐはずだったのに」と号泣する私に彼氏は「大丈夫だって」「働けるようになるって」と言ったような気がする。「働けなくてもいいよ」とは言わなかった。当たり前だ。

本当に治らない(厳密にいうと治るのがめちゃくちゃ遅い)老化と追いかけっこだと知ったら彼の心は冷めるだろうか。そうなる前に幸せに笑い合い将来を思い描いている今決行した方が良いのではないか。病気の母も私への仕送りのため会社の幽霊部員を辞められない。年金も携帯料金も父に払ってもらっている。

しかもそれらを自活できないストレスから散財してしまう。祖母に電話で「お金は大事なんよ」と言われたら「うん!」と小学生のような見栄を張る。33歳にもなって何をやっているのだろう。

この身体さえ動けばと思うがいざ動いたらそれはそれで長すぎるブランクによる茨の道が待っている。私はそれを頑張りたくない。むしろ“今までよく生き延びたで賞与”が欲しい。死ぬまで平凡に生きられる額でいいから。とにかく、働けない病弱な人間に月5万数千円(障害年金のこと。しかも更新期限付き)でどうしろと?

気分が良くなるたび「これは軽躁転だから気をつけないと」などと一生思わないといけない原因を作った医者はのうのうと生きて。私は毎日今日もなんとか生きた、楽になりたいな、などと思い涙している。

心から笑った後ほど反動でしにたくなる。「…とはいえ無職で30過ぎてノンキャリアで体調回復の見込みもないんだよな」と現実に引き戻される。周りの人はどんどん前へ進んでいくのに。正直周りの人にさほど興味はないけど。だってもう違う世界の人達だから。


見てきた世界が違う。外で働いたり旅行をしたりサークル活動をしたひととと、まぶたの裏の模様や窓枠が瞳に焼き付くまで毎日何年も見てきた私では次元が違う。もう無理なんだよな。もう無理。でも死ぬ行程を考えようにも薬の副作用で頭がぼーっとして考えられない。


最近はそんなことを考えながら予定を機械的に必死にこなしている。多分予定をやらなかったら気が狂うと思うから。


春がきたらまた30年分のフラッシュバックか〜ASDの宿命とはいえきついなぁ。服装も毎日変わる気温に合わせるのだけで出かける前に疲れてしまうし。どれだけ入念に準備しても2回は家に取りに戻るし。ガス欠を起こして出かける時間になってる時計を見つめてフリーズしてしまう時もあるし。なんかあらゆるタンクが壊れてるんだろうなっていうのは分かる。ただ対策がわからない。

人にアドバイスはできるし、私なんて死んでもいいんだと言ってる人を見て「意外と外から見れば緊急性も辛さも伝わらないしただただ面倒くさい人なんだな」(※個人の感想)と思うのに、自分のことは心の真ん中にでーんといすわる重石をどうしていいのかわからない。下手に動かすと下から何か出てきそうでもあるし。


疲れたからこの辺で。

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