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日本で最初の経済対策

日本で最初の経済対策は、古事記に記載がある。

第十六代・仁徳天皇は、あるとき、高い山にお上りになり周囲を見渡すと、夕餉時なのに家々から炊事の煙が立ち上っていないことに気が付きました。見かねた帝は3年の間、税の徴収を取りやめました。
その間、宮殿を修理することもできず、雨漏りを器で受け止めるような状態でした。
しばらく経ち、再び国中を見渡すと、そこには煙が満ちていました。これを見て、ふたたび税をとるようになりました。

竹田恒泰著「現代語 古事記」をもとに著者が記述

「民のかまど」の逸話である。
また同じ仁徳天皇は、日本書紀ではこのように仰せている。

いま百姓が貧しければ、朕も貧しい。百姓が富めば、朕も富む。百姓が富み朕が貧しいということは、未だない。

前掲著にある、日本書紀の記述
なお「朕」とは天皇のみが使えれる一人称である

なお日本書紀によると、税の取り立てを止めた3年後、無事に煙が立ち上っているのを確認した後も、さらに3年間減税を続けたという。課税が再開されたときには、すっかり豊かになった民が率先して力を合わせて新しい宮殿を建設したということだ。

仁徳天皇の治世は諸説あるが4世紀頃だから、実に1700年も前のことである。その時代に、減税という経済対策を施している。わが国には、こんな伝統があるのだ。

何とかして今の財務官僚に聞かせたい歴史である。






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