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グループに向かないのなら、最初から入らない方がいい

今回言いたい事はタイトルそのまんま。
グループに入る事に向かない性格や特性を持ち、それを自覚しているのなら、最初から入らない、入る事を期待しない方が精神衛生的にずっと良いって事。

そもそもグループというのは、根本的に合う合わないがあるんです。
適合してやっていける人間と、やっていけない人間がいる訳。

これは発達障害持ちも同じ。
ASDでも同じ。

人間関係に困難を抱えがちなASDでも、グループに入る事ができるASDもいます。
むしろグループの中に入ってこそ輝く人もいる。

でも当然、できないASDもいる。
健常者でもグループ行動に向かない人がいるようにね。

ぼくはASDで、基本的に人間関係に困難を抱える特性を持っています。
それと同時に、グループに入る事ができない性格です。
子供の頃から、そして今も、何をやっても結局は一人になってしまう、ならざるをえない人間です。

人は変われる、という言葉があるけど、ぼくは変われないものは一生変われないと思ってる。
これはもうどうしようもない。

だってこれまでの人生で、グループに入って馴染む努力をたくさんしてきても、結局一人になっちゃってたんだから。

人生25も過ぎりゃ、自分の向き不向き、できるできないは分かってくると思う。
「できないものにはもう手を出さない」という選択も、人生において必要。

「今度こそは上手くやれる」なんて期待して挑戦しない方が、傷つかずに済む事もあります。
ぼくにとっては「グループに入る事」がそれです。

「グループに向かない人」は、もう諦めろ

自分に一番合う人間関係を築こう

これまで何度もグループに入っては孤立し入っては孤立しを繰り返してきた人。

そういう人は、グループに入る事をもう諦めて、「ソロ(一人)で過ごす」、「1対1の人間関係を作る」方向にシフトした方が楽だよ。

これは健常者、発達障害者問わず言える事だけど、
人間関係においても「自分に合う」生き方をした方が充実します。

グループに入ろうとしても結局一人になってしまうってのは、要は「グループに向いていない」って事だから。もう根本的に。
「一人で過ごす」事が圧倒的に向いているのなら、そっちの方向で生きた方が負担も苦痛も少ないし、人生の充実度も高くなる。

グループに入ろうとして挫折してきたASDの人たちは、たぶん相当試行錯誤して努力してきたんだと思う。
孤立してしまった原因を自分なりに分析して、対策をたてて、新たな人間関係の中で「今度こそはできる」と挑戦しては結局一人になるの繰り返しだったんじゃない?

無理。
諦メロン。

もうやめよう。その努力は。
無理だし、無駄だし、傷つくだけだよ。

「グループに入る」って事は、できない人にはもうとことんできないんです。
これは健常者でもASDでも同じ。

悔しいかもしれないけど、こればかりはどうしようもない事。

でもそれは、「グループでワイワイできる適正がなかった」というだけだから、何も君が人間的に劣っているとかいう訳じゃ決してない。

だから、安心して諦めちゃってOK。

「グループに入れるか」は、「グループ適正があるかないか」で決まる

ぼくは学生時代までずっと健常者の枠組みの中にいたんだけど、発達障害が分かり、「いつも孤立してしまう原因」は「発達障害(その中でもASD)の特性」にあったんだと考えました。

ならば、「同じ発達障害で、同じASDで、同じく人間関係に困難を抱えがちな人たちとなら、仲良くグループを作れる」と考えたんだけど、

そんな事ないんだよね。

同じ性格だからといって分かり合える訳ではないのと同じで、同じASD持ちだからといって、相手が自分と全く同じ困難を抱えてる訳じゃない。

つまり、「グループに入る」事が困難なくできるASDもいる訳です。

「自分がグループに入れないのはASDの特性のせいだ…」と考えて悲観してしまう人も多いかもしれないけど、
それはASDのせいではなく、たまたまあなたに「グループ適正がなかった」だけです。

でも先ほども言ったけど、これは健常者ASD持ち関係なく、人それぞれの性格や性質によるものだから、
適正がないから人間的に問題があるという訳じゃあない。

ぼくの話をすると、
ぼくはデイケアや事業所を通して、同じ発達障害の人たちと関わる機会が増えました。
同じ特性を持つ同士仲良くなろうと意気込んだものの、でもどの場所でも、グループ関係を築こうとしては挫折し、結局一人というパターン。
「自分もASDで人付き合いが苦手で」という人たちとグループになっても、結局他の皆だけが仲良くなって自分はぼっち、という状況でした。

「同じASDのはずなのに何でこうも違うんだ」、
「自分はASDの輪の中でも孤立するのか……」となって自信喪失しました。
(同じASDだからといって特性の出方や性格は違うし、仲良くなれる訳じゃないし、グループ適正のありなしは人それぞれ違う)

話しやすい人たち数人と話すようになってその人たちの輪に入ろうとしても、いつまでたっても輪の中心に入っていけず、ぼくを除く皆がどんどん仲良くなっていき、
次第に遠巻きにされるようになってようやく察して身を引く、の繰り返し。

懲りずに挑戦しては挫折して、もういい加減懲りるべきのところでまた挑戦しちゃって、結局傷つく。
その繰り返しは人生の無駄でしかないし、自分を傷つけるだけだから、もうきっぱりと見切りをつけて生きた方がいい。

最初は寂しくても、そのうち楽になるはず

グループに入ろう馴染もうとして、何度やってもできないできなかった人。
とくに女性。
女性は年齢関係なくグループを作る傾向にあるから、余計に苦しいかもしれない。

でも、人は自分に合った生き方には、自然と慣れるし、居心地良く過ごせるもの。

合わない事をして傷つく事を繰り返すよりも、「グループに入る事に挑戦する」事からはもう見切りをつけて決別して、
自分に合った生き方や人間関係を築いていった方がいい。

仲良くなれそうな人たちができても、その人たちのグループには入らない。
「入れそうかな」「入れたらいいな」という期待ははなからしない。持たない。

一人で過ごす事を選んだ最初のうちは寂しいし、悔しいと思う。
「一人が快適だ」と慣れてきても、仲良しグループを見て羨ましくなって、「やっぱりもう一度」となる事も多いと思う。

偉そうな事を言ってるぼくもぶっちゃけ、その現在進行形。
克服したつもりでも、仲良い人たちを見ると、どうしても「自分も」と再熱しちゃうんだよね。
「自分には一人が向いているという事に納得して、決意したはずなのに……」と、嫌気が差す事も多い。

でも、最初はモヤモヤを抱えたままでいい。
その思いは時間と自分が解決してくれるはずだから。

ぼく個人の、改めての戒めも込めて。


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