傲慢で強欲で人間嫌いで性格クッソ悪いHSPでもいいじゃん
HSPは、幸せの閾値が低いと聞く。
幸せの基準にこだわらず、常にありがとうを大切にする。
感受性が強いゆえ小さな事にもよく反応し、感動しやすい。
ご飯が美味しい、空の色が綺麗、何気ないお喋りが楽しい、植物や生き物を見て「彼らも頑張って生きてるんだなあ」とふと涙するなど…そんな大多数の人が見逃しがちな、日常のささやかな幸せを大切にする人が多い。
もちろんその部分は長所だし、HSPには自身の感性を大切にしてほしい。
当たり前の事を当たり前だと奢らない、質素倹約、自然体で謙虚な人たちがいるからこそ、社会はあたたかくなる。
だけど、社会にはいろいろな人間がいるように、HSPもまたひとくくりにはできない。
上記のような日常のささやかな幸せというものに、魅力を感じないHSPも当然いる。
菩薩のようなHSPもいるなら、餓鬼のようなHSPもいるのだ。
ぼくみたいなね。
HSPを『神の使徒』とか語んのやめーや
ご飯を食べるのならもっと旨いもの食べたいし食べ続けたい。どうせ働くならもっと稼ぎたいし出世したい。
モテまくりたい。有名に金持ちになって自分を世界に知らしめたいし認められたい。
人間として社会で生きる以上、大小はあれど欲求が生まれる事、欲望をもつのはいたって自然な事。HSPしかり。
だけどHSPがそういう事を話すと、
「HSPはそんな強欲で世俗的な存在じゃない!!」と叩かれやすい。
noteでも他でもHSPについて語られてるものを見てると、繊細さんの次元を超えて神話的に変な曲解・美化されてる感じがする。
「HSPは特別な使命をもって生まれた存在」的な。
「やさしい🌱思いやりが深い💓謙虚✨ナチュラル🍀尊い自己犠牲の精神🌈生きとし生けるもの全ての幸せと世界平和を願う🌏️」みたいな、
「ぼくがおもうさいきょうのHSP」像に辟易してる当事者も多いんじゃないかと思う。
少数派ゆえの特性が注目されるのは分かるが、結局ただの人間にすぎないんだし、なにも特別視されたり神格化するような存在ではない。
過剰に讃えたり自画自賛してる人たちは、「トクベツなわたしたち」に酔いしれてる感がして気持ち悪い。
キリストかブッダの弟子にでもなったつもりなのか?
当事者の一人としては、そういうHSP語りが非常にむず痒く感じる。
そういうスピ解釈じゃなくて、もっと現実的に医学的な方向でHSPを語ってくれないものかと。
せっかく心理学も多様化しているのだから、それらを研究して精神学精神治療の分野に応用していってほしいなあと。
話逸れたけど、言いたいのはHSPに変なイメージづけすんのはやめてくれという事。
そしてそういう概念化したHSPの姿に縛られて、自分を見失わないようにしたい事。
巷のHSP像に振り回されないように
HSPは周りの目を気にしがちで、周囲の期待に応えよう理想の自分になろうと頑張りがち。
ぼくも現在進行形でそうなんだけど、そういう頑張りをし続けると自分の本質を見失って苦しくなる。
理想と現実のギャップ、こうあらねばというプレッシャーが重なって、解離的になっていく。
「自分はHSPなんだ!」と知って、ほっとした人も多いと思う。
生きづらさの原因が分かった、HSPという特性のせいなんだ、じゃあもっと調べてみよう、もっと理解する事で生きやすくなっていけるかも!と。
だけどHSPを意識すればするほどHSPに縛られて、ジレンマに悩む人も多いかと思う。
「HSPの概念に当てはまってない自分は、自称するべきではない?」
「自分はこんなに良い人じゃないよ」
「優しくない自分はHSPじゃないのかな」
「HSP同士の同調圧力辛いな…」
「もっと良いHSPにならなきゃ」
傲慢で強欲で人間嫌いなのが本来の自分なのに、
無理に「謙虚で無欲でやさしいHSP」になろうとして疲れきってしまう。
生きやすくなる為のツールによって、生きづらくなっちゃうのは本末転倒だよね。
そうなってしまった時は、一旦HSPから離れよう。
「HSPにはこんな長所がある!」という宣伝?は、「HSPのあるべき姿」「これらを兼ね備えてこそHSP」という解釈に飛躍してしまう。
とくにネットは大げさな表現を好むから、それを見た人たちにHSPへの過大イメージが植えつけられる。
そして気にしいなHSPは、「みんながおもうさいきょうのHSP」像に振り回されて、自分を見失ってしまう。
まずはそういう概念HSPと自分自身を切り離す事。
HSP全員が同じ人格、ましてや聖人君子ばかりなんてあり得ない事なんだから。
概念テンプレに感化トレースされないように。
そしてできるだけ、HSPから距離をとる。
noteでもコミュニティでも、とくにインフルエンサー的存在やその信者、スピ系は影響力も圧も強いから、シャットアウトが賢明。
同じく本やネットからも距離をおこう。
自分一人の場所で、静かに修行洞で瞑想する僧侶になったイメージで、自分に問いかけてみよう。
「HSP関係なく、自分はどうありたい?」
「どんな自分が一番落ち着く?生きやすくいられる?」
本来の自分自身と対話していこう。
自分との対話を行う癖をつける事で、外部からの雑音に影響されづらくなるし、すぐに自分軸に戻れるようになる。
HSPが生きやすくなるには、HSPに囚われすぎずにいる事が大切だと思います。
アイデンティティのひとつと思っても、それこそが自分のすべてだと思いこまないように。
とくにこのネット社会、「HSP」とググる事をやめるだけでも、だいぶ気が楽になる。
傲慢で強欲で人間嫌いでも、HSPはHSPだ
巷のHSP像に振り回されず、自分だけを見つめよう。
「さいきょうのHSP」に当てはまらずともHSPで生きづらいなら、HSPなのだから。
優しくないHSPがいてもいいじゃないか。
欲深いHSP、結構じゃないか。
人間嫌いなHSP、面白いじゃん。
いろんな人間がいてこそ、世の中は楽しくなる。
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