仕事を1年も続けずに辞めた理由。
こんにちは。くりいです。
今日は「僕が仕事を1年も続けずに辞めた理由について」書いていこうと思います。今仕事をしていて悩んでいる人やこれから仕事をしていく人たちに届くと嬉しいです。
ノンフィクション
就職活動をし始めたのは、2018年1月からだった。インターンも入れるのであれば、2017年8月だろうか。
建築系の会社は内定が出るのがとても早いことで知られているが、やはり周りの友人にも決まっている人がたくさんいた。決まる時期なんていつでもいいのになぜか焦ってしまう。
「周りに内定が出ているのに自分はまだだ。早く決めて自由になりたい。」
今振り返ると、こう考えてしまったことがいけなかったと思う。さっさと内定決めて、卒業研究に取りかかりながらバイトもして、飲みに行ったり旅行に行ったりしたい。そんな目先のことしか考えていなかった。
めちゃくちゃやりたい仕事ではないが、好きな気持ちはあったし給料はとてもいいし、やっていけば慣れるだろう。そんな気持ちがあったと思う。
そして2018年2月末。就活して初の面接に行った会社から内定をいただいた。大学1年生からコンペの表彰式を見に行ったりしていたし、先輩もいるし、たくさん行った現場見学の中でここの会社が1番いいと思ったので即決した。
「ここにしよう。これで就活は終わり。」
なんだかんだ周りでも内定が出たのは早い方だったと思う。やっとそわそわした感情から解放される。そう思っていた。
けど、そんなんじゃいけない。これから就活をしていく人たちに伝えたいのは、急がないことだ。
自分がやりたいことは何かを深く追求して考え抜くこと。決まった期間の間に会社を決めて就職するという流れに乗っからなくていいと思う。休学をして一度社会を見にいくことだって一つの手だと思う。世界にはいろんなことをしている人がたくさん存在する。
僕はものすごく狭い価値観で就活をしていたと思う。建築学科卒業の人の就職先はここですみたいなグラフやプレゼンを見せられ、そのレールに乗っかることがいいことだと思い込んでいたのかもしれない。
そんな急いで内定を決めた僕は2020年2月末に会社を辞めた。
入社する前からきついとわかっていた。それは仕事の内容というよりも精神面で。どこの会社でも行われると思うのだが、会社とはこういうものだ・社会とはこういうものだという泊まり込みの研修がある。学生気分を消し去るための教育だ。ある意味過激派宗教団体のようなところもあるだろう。
「なにこれ。やばい、染まりたくない。」
強くそう思っていた。当時はとりあえずやってる風にして流していた。流せないで真剣に受け止めてしまった子は、その時点で脱落していた。精神力がどれほどなのかというふるいにかけられている気がした。
そんな組織というものを研修によって知っていく。その頃から、「いつか辞めるだろう」と思い始めていた。この組織に染まらずとも戦い抜ける術を身につけるために朝早く起きて勉強していた。
しかしそれもできなくなる日々を迎えることになる。
研修が終わり現場に配属されてからだ。研修期間中も朝4時半とかに起きることは珍しくなかったし余裕だった。定時に上がれていたからだ。ただ配属されてからは違う。残業は当たり前。そもそも定時に上がれるようになっていない。それが現場の宿命である。
まだ僕はマシな方だった。同期には毎日終電の子だっていた。そうやって自分のための時間は減っていき、勉強時間よりも睡眠時間が大事になっていた。
次の日休みの日は飲みに行き、仕事の愚痴を言い合いストレス発散をする。休みの日は、買い物に行って値段を気にせず買う。そしてまた月曜日がやってくる。
気づいたら僕は一番なりたくない人間になっていた。よくいるサラリーマンに。
現場先の先輩にはしっかり教育していただいた。先輩方は自分が新入社員の時に学んだことを教えてくれる。現場監督とはこうあるべきだ。こう考えるべきだ。それは違うなど。仕事をしていく上で多くのことを学ばせていただいた。とても感謝している。
けど、それを全部受け止めることはできなかった。
反感することも増えた。「現場監督はこうあるべきだという前に、僕という人間はこうだから。その考え方は違うと思う。こういうことじゃないんですか。」なんていうこともあった。きっと今までそんな後輩はいなかったのだろう。「こいつマジかよ」みたいな目になっていた。あの時はすみませんでした。でも納得できないことに「YES」とは言えません。
そんなせわしない日々を過ごして体調を崩しやすくなっていた。体力というよりもストレスが大きかったと思う。実際に同期でも先輩社員でも、うつ病のようになってしまう人もいた。毎日頭痛が止まない日々を過ごしていた時もある。もしかしたら僕もそんな感じだったのかもしれない。仕事をするにつれてなりたくない人間になっていたのは気づいていたし、人格も少しずつ変わっている気がした。
「僕は元の自分が好きだ。」
そう思い始めた。そして元の自分とはどんな環境にいたからそうだったのか考えた。楽しそうに生きている人たちの周りにいる時、僕は自分の居場所を持つことができていたし、僕自身もワクワク楽しく生きていたと思う。
でも今はどうだろう。働かされてる感のある人たちの周りにいる。よく言う言葉だが、その会社にいる先輩の姿が未来の自分である。もっと自分の意思を持って生きていきたいと心の中で思っていた。
そんな葛藤していた中、高校の仲間から連絡がくる。
「CMのエキストラ足りないから遊びがてらこない?」
外の仕事を見れる絶好のチャンスだと思い、快く承諾した。ただ撮影時間のスタートが日曜日の18時から都内ということで少し悩んだ。次の日も朝が早い、睡眠時間が削られる。でもこんな経験できるのなんて滅多にないし、友人にも会いたいから行ってみようと決めた。
そこには目を輝かせながら楽しそうに働いている人たちがいた。
いい作品を作るために努力している人たちを間近で見て、別の世界で生きているんじゃないかと思った。やらされている感がなく、自分の意思で動く。そういう人の集まりが、心踊る作品を生むのだろう。
それに比べて自分はどうだろうか。仕事が作業と化してしまって気持ちが入っていない。心ここに在らず状態だ。もっと自分らしく生きていける環境があるはずだ。モタモタしているともう抜けられなくなる。
「辞めよう。」
そしてその次の週に会社に辞めたいということを伝えた。強い意思があったので会社の方からは快く送り出された、と思っている。一部の人間からは逃げたと思われていることだろう。でも自分自身の気持ちからは逃げていないから、外野からどう思われようがどうだっていい。
「ここからどう生きるかは自分次第。やるしかない。」
そんな感じで僕は会社を1年も経たずに辞めた。不幸中の幸い、新型コロナウイルスが猛威を振るう前に就職することができた。この話の続きはまた今度ゆっくり書いてみようと思う。
くりい
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?