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我慢している人に届け。

こんにちは。くりいです。


我慢しないこと。

僕はこれが自分の人生で大事なキーワードになっている。おそらく僕ら世代の人間は、諸先輩方に「我慢することの大切さ」を教え込まれた気がする。学校からそういう教育を受けてきた。

「耐えろ」「もう少し我慢すれば大丈夫」「忍耐力とは・・・」

そんな言葉を幾度となく聞かされ植えつけられた。昔の日本にはどこか「我慢することの美学」のようなものが存在する。

確かに、時に我慢することというのはのちに大きな道を与えてくれることもある。

「あの時耐えたから今の俺はいるんだ。きつい人がいるときは俺の経験を伝えてあげよう。」

そう思うのも自然なことである。自分の成功体験を伝えることはとても大事だ。だが、そのことに気づくときあなたは何歳になっているのだろうか。僕が思うに、多くの人は歳のいった方が多いのではないだろうか。

僕はそこに違和感を抱く。なぜそこまで我慢しないと成功できない仕組みになっているのだろうか。

おそらくそれは「成功」というものの捉え方が違うからだと思うのだ。世代で区切ることに不満を感じる方がいるかもしれないが、ここでは世代分けでさせてもらう。

僕らより上の世代、つまり40代以降の人は「成功」というものは、結婚して家を買い、いい車を持ち、会社内で出世しお金をたくさんもらい家族を養っていくことだと思う。つまりモノを得るということが「成功」「幸せ」とも言える。それが人生においての幸せであるし、我慢すれば手に入れられるとわかっているから当たり前のように我慢できる。

けど、僕ら世代よりちょっと上や下の世代というのは、それを「成功」と考える人は少ない気がする。少なくとも僕はそうだ。

そもそも「成功」という概念がないといったほうがいいかもしれない。というか僕らの世代というのは、生まれた時からありがたいことにモノが揃っている。家を買う・いい車を買うとかそういうことで、心は満たされないんだ。自分の好きな人たちと過ごしているときが一番幸せを感じるし満たされる。つまり感情を満たすことが、僕らにとっての「幸せ」であると言える。

だから我慢してまで手にいれるモノはいらない。我慢してまで手に入れる関係なんて求めていない。

我慢するという行為は僕らの世代の能力を大きく奪うことにも繋がる気がする。その人に向いていることがあるし、無理に我慢して向いていないところにいなくていいと思う。

我慢せずに思っていることを人に伝えて、助けを求めることは全然恥ずかしいことじゃないし勇気がある人だからできることだ。

だから我慢しなくていい。解放したほうがいい。

そういう若い世代が多いということを上の人たちは知っておくだけでも、声の掛け方が変わるんじゃないだろうか。

今日も素敵な一日を。

くりい


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