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無関心の恐怖・・・駅では親切に

コラム411:無関心の恐怖・・・駅では親切に


 愛の反対は、憎しみではなく、無関心である、と誰かが言ったような気がする。マザー・テレサも、日本にはこころの貧しい人が多いと言っていた。

 特に公共の場での無関心は、恐ろしい。以前、エスカレータにスニーカーの靴紐が引っかかってしまい、上部で動けなくなっていた若い男性に出会った。すぐに他の方が駅員さんを呼びに行ってくれて、私は、人がいなくなるのを待って、緊急停止ボタンを押したのだった。男性は大変な恐怖だったろう。ことなきを得て、よかった。

 だが、そのトラブルの間、彼のために動いたのはたった二人だった。見向きもしない人々が多くいたのちに、二人が到着した形だ。急いでいるのかもしれない、コミュニケーションが苦手なのかもしれない。だが、足をエスカレータに挟まれるかもしれない人を見捨てるとは、恐ろしいことだ。

 自分に美徳があるとは思わない。通り過ぎたら、一生後悔しそうだから立ち止まるからである。今でも、30年前の品川駅で倒れているスーツの男性を助けなかったことを後悔している。酔っ払いだと思ってしまったのだ。だが、後から考えると、昼間であったし、倒れ方も不自然だった。命に関わることだったかもしれない。悔やまれる。

 無関心、という疫病が、日本をむしばんでいる。

悲しい。

以上

クララ

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