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小説「こころ」を読んだ話

昨日本屋で、文豪たちの名作が集められているゾーンを発見した。作品名は勿論知っているが、内容を説明せよと言われると、薄っすらと覚えているか覚えていないか、といったものである。折角図書カードやQUOカードがあり、全て使ってしまおうと思っていた私は、この中から1冊買ってみようと思い立ったのである。

人間失格、坊ちゃん、銀河鉄道の夜。数々の名作が揃っていだが、その中で私の目に留まったのが「こころ」(夏目漱石作)であった。

角川文庫のカバーが洒落ている

文庫本カバーに書かれているあらすじは、以下の通りである。

「自分は寂しい人間だ」「恋は罪悪だ」。断片的な言葉の羅列にとまどいながらも、奇妙な友情で結ばれている「先生」と私。ある日、先生から私に遺書が届いた。「あなただけに私の過去を書きたいのです…」。遺書で初めて明かされる先生の過去とは?エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が克明に描かれた、時代を超えて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。

角川文庫「こころ」(夏目漱石)カバーあらすじより

また、この本には最初に「あらすじ」として全体の内容を上・中・下それぞれ簡単にまとめてあることもあり、大筋の話を頭に入れてから読み進めることも可能だ。私は文学がそんなに得意な方でなかったため、あらすじを最初に立ち読みさせていただいた。

そこで思い出したのだが、夏目漱石の「こころ」と言えば、高校の教科書に登場した記憶がある。「私=先生」と友人の「K」の関係性や、Kの自殺についての考察をしたことがあるようだった。あくまで高校の学習の一環として一部を読んだのである。まだ高校生で若かったことと、定められた正解に向かって先生の手紙を読み進めてしまったため、自分の中の素直な気持ちに従って読んだことはなかった。

また、教科書では「下 先生と遺書」がメインである。その前の「上 先生と私」「中 両親と私」はほとんど読んだことがなく、内容も知らない。「先生」からここまでの遺書を書いてもらう語り手の「私」はどのような関係を築いていたのか、どのような会話をしていてこの遺書をもらうまでにたどり着いたのか。それも気になるなと思った私は、「こころ」を購入し家に持ち帰り、その日の夜に読み始めた。

まさか、熱中しすぎて買った翌日に読み終わるとは思わなかった。

自分の語彙力の無さに苦しみながらではあるが、感想を書いていく。あくまで全て読んだあとに書いているので、ネタバレ有りなのをご容赦いただきたい。

正直、高校生のときに一部だけ読んだときにはわかっていなかった。いや、分かるはずがなかった。はじめから全てを読んだあとに「先生の遺書」を読まないとこの物語はわからない。授業のあのちょっとした一部分だけで分かるはずがないのだ。

今回は「上 先生と私」の内容を引用しながら書いていきたいと思う。

鎌倉の海で、「先生」と主人公の「私」は出会う。「先生」というのは、特にその人が先生だったわけではなく、主人公がただおもむろに発した「先生は?」という言葉だったとは、恥ずかしながら初めて知った。

「先生」でなくてもそう呼びたくなる人はいるものなのだろう、主人公にとって師のように見え、目が離せなくなる、関わりたくなるような人。人を近づけない不思議さを感じつつも、それでも近づかなければならないという使命感で、主人公は先生と積極的に関わっていく。

人との関わりを避けてきた先生にとってみても、それでも近づいて必死に自分のことを知ろうとする主人公は特別な存在であったに違いないと思う。

だから、先生は自分の過去を語る相手として彼を選び、彼に遺書を送ることになったのだろう。

先生ははじめから私をきらっていたのではなかったのである。
(中略)
いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値はないものだからよせという警告を与えたのである。ひとの懐かしみに応じない先生は、ひとを軽蔑するまえに、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

角川文庫「こころ」(夏目漱石)「上 先生と私」P16

自分を遠ざけようとする先生の行動や思いを、先生の遺書を読んで、亡くなったことを知った今だから分かった主人公。先生が亡くなったという前提で、思い出話が進んでいくことになる。

先生がKの墓参りの姿を主人公に見られる、誰の墓へ行ったか妻から聞いたのか、と尋ねるが、主人公はあくまでも先生の行き先として雑司ヶ谷の墓地と聞いただけ。先生はそれで得心したらしい様子だった。先生は主人公に、「友だちの墓がある」とだけ教えてくれる。この友達が、先生にとってどんな友達だったのか、どんな思いで参っているのか、このときの主人公も読者も、まだ知らない。

そのあとも先生を訪問して会話するようになるが、主人公には先生の近づきがたい不思議と、でも近づかなければならないという感じがどちらもあったようである。

主人公は先生のことをこう語っている。

人間を愛しうる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐にはいろうとするものを、手をひろげて抱き締めることのできない人、——これが先生であった。

角川文庫「こころ」(夏目漱石)「上 先生と私」P21

主人公を呼び寄せた先生のどこか不思議な雰囲気、人間すべてを信用していない様子、家の財産のことに異常に敏感なこと、奥さんのことは愛しているが秘密を抱えていること、天罰だから子供はつくらないこと、そしてかの有名な台詞「恋は罪悪ですよ。」など、意味深な発言の数々。

引用文からも分かるように、先生の様子を主人公はとても細やかにひとつひとつ見つめている。それが作者の半端ではない語彙の数々によって緻密に、細やかに、書かれている。

あまりにもリアルなので、自分も主人公になってしまったかのようで、先生や奥さんが目の前にいるような気分になった。先生と奥さんの姿が、脳裏に焼き付くレベル。人間ひとりひとりの描写がリアルすぎて、もう知っている人のように思える。

そして、私が一番印象的だった場面として、以下の場面を挙げておきたい。

主人公が大学を卒業する前、ついに先生の過去について教えてほしいと打ち明けるようになる。
「思想・意見・過去をごちゃごちゃに考えてるのではないか、考えを人に隠すようなことはしないが、私の過去を物語るとなると別問題だ」という先生の指摘に対して、主人公が言った言葉がある。この言葉はまさに後々最後まで本書を読んだことに感じることへの予告であるように思う。

 「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです

角川文庫「こころ」(夏目漱石)「上 先生と私」P90

主人公にとっての先生を、「魂の吹き込まれていない人形」という表現する漱石先生の語彙力に感服だが、そう、先生にはあまり「魂」のような燃えるものは感じられない。その昔にとうに捨ててしまったかのようにぼうっとしている。この頃になると時折先生が過去のこととかをぼやきだすのだけど、全ては教えてくれない。それにもやもやしてしまった主人公が言った言葉だった。

まさに、「近づかなければならない」という使命感を先生にぶつけた瞬間だと思う。今までなあなあにしてきたことを、はっきりさせたいと思ったのだろう。

そのあとの会話がこうだ。

 「あなたは大胆だ」
 「ただまじめなんです。まじめに人生から教訓を受けたいのです」
 「私の過去をあばいてもですか」
 あばくという言葉が突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前にすわっているのが、一人の罪人であって、ふだんから尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は青かった。

角川文庫「こころ」(夏目漱石)「上 先生と私」P91

今まで主人公と読者の中で積み上げられた静かに生きる「先生」という枠・イメージが、ここで崩れる。

静かで、寡黙で、厭世的で、魂が無い、でも思想や考えにおいて尊敬できる先生というイメージが、「私の過去をあばいてもですか」というたったその一言で。

目の前の人の「枠」が大きく変わるのを目の当たりにするのは、あまりにも衝撃的な出来事である。個人的には先生が初めて魂で主人公に会話をしている、と思えるほどの衝撃を受けた。今まで感じえなかった先生からの異様な圧力を私も感じた。

 「あなたはほんとうにまじめなんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だからじつはあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬまえにたった一人でいいから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底からまじめですか

角川文庫「こころ」(夏目漱石)「上 先生と私」P91

先生のあまりの圧力に、主人公は声をふるわせてこう答える。

「もし私の命がまじめなものならば、私の今言ったこともまじめです」

角川文庫「こころ」(夏目漱石)「上 先生と私」P91

そのあと、先生は「よろしい」と言って、適当の時機に自分の過去を話すことを主人公に約束した。

主人公が「先生」にとって「たった一人の信用できるひと」になった瞬間だった。

その後無事に大学を卒業して、主人公はしばらく故郷に帰ることになる。病気の父親と、母親と一緒に実家で過ごしながら先生に手紙を出すが、いつものように返事は来ない。

途中で、一度「会って話したい」と先生から連絡をもらうが、父親の病状が芳しくなく、今は東京へ戻れないことを伝える。人生はタイミングが合わないときはとことん合わないものだ。このとき主人公が先生と会って直接話していれば、結果は違ったのだろうか?主人公と話すことで先生は死を回避する未来があったのだろうか?私は、否だと思う。

そして、父親の病状がかなり悪くなったとき、先生から郵便が届く。普通の手紙よりも重い、並みの状袋にも入れていないもの。包み紙を開くと、そこには大量の紙が。それが、先生からの遺書だと分かったのは、父の急変、最期を迎えるかもしれないという畏怖の中、なんとか文字だけを追って、無意味にページをはぐっていって、最後の結末に近い一句を読んだときだった。

主人公は、父の様態が少し落ち着いていることを確認すると、家を飛び出して、東京へ向かう。そして汽車の中で、先生の手紙という名の遺書を開くのであった。

このあと遺書で語られる先生の過去については、ご存じの方も多いので今回は割愛させていただく。私のようにあんまり覚えていない方、まだ読んだことが無い方は、この先は本編を是非ご一読いただきたい。

タイトルの「こころ」についてはいろいろな解釈があるし、正解もあるのかもしれないが、私は主人公が知りたがった先生の過去を通して、先生の「こころ」が最後に明らかにされる・・・という点で「こころ」ということでもあるのかなと思った。

もちろん、色んな人の「こころ」はもちろんある。特に先生の過去の部分とかは先生をだまして裏切った親戚の「こころ」のこと、下宿先の奥さんの「こころ」、そのお嬢さん(妻)の「こころ」、そして自殺してしまう友人Kの「こころ」・・・それぞれの「こころ」の機微や変化、複雑な思いについて書いたものであることには間違いない。

ただ、上・中・下を通して読み終わったあとに「先生」がどのような人間なのか、枠も中身もありありと浮かび上がる、という意味で、先述のように解釈した。

まず「上 先生と私」を読んだことで「先生」の枠が作り上げられる。

先述したように、静かで、寡黙で、厭世的で、魂が無い、でも思想や考えにおいて尊敬できる先生というイメージである。

そのイメージでずっと来ているところに、主人公は先生の過去、つまり先生の思想の核となる「こころ」を知りたいと願うようになる。そして、卒業前の「私の過去をあばいてもですか」の時に、一瞬その枠が崩れて、先生の真の姿が見え、人間のおそろしさが見える。魂が見える瞬間がある。

そのあとは、やはり奥さんと「どっちが先に死ぬだろう」とか厭世的な様子に戻るのである。主人公が故郷に帰ってからの日々は、あくまで主人公とその家族のことが普通に描かれていて、一瞬先生のおそろしさを忘れていた。

父が死ぬかもしれない、という恐怖の中、先生からの手紙が届く。主人公は先生の遺書だと悟り、東京へ向かいながら手紙を読む――。
この遺書で、主人公とのかつての約束を果たして、先生の「こころ」が明らかにされていくのである。

遺書を読んでいると、ふわっとしていた先生のイメージの姿の中に、壮絶な過去と、裏切りと、悔恨と、自分への失望と罪の意識を抱えているという激しい心と記憶がはめこまれていく。主人公の言葉を借りると、「魂の吹き込まれていない人形」に魂が入っていくといったところか。

本当の「先生」の姿が明らかになるのである。
人間らしすぎる先生の「こころ」が明らかにされることによって。

尊敬できる、高尚な感じにもとれる先生の若き頃、あまりにも人間らしい立ち回り方や、競争心や、恋心がゆえのずるい心、ちゃんとした人であろうとする思い(ジブリの最新作の主人公「眞人」も「いい子」であろうとしたように)、そしてエゴ。どんな人でも誰でもどこかにある人間の要素があまりにもまざまざと見せつけられてしまう。残酷すぎるほどに人間が見える。

正直尊敬してる人があまりにも神のような人だとして、でも、実はあまりにも悪い面を見ると、失望してしまうこともある。逆に自分がそんな人間だと知られるのも怖いときがあり、保身に走ることもあるだろう。

それでも先生は主人公を「信用」して全て打ち明けているのである。明治天皇崩御とともに「明治」が終わり、乃木希典のように殉死することを腹に決めたからであろう。

そして、「上 先生と私」で語っていた先生の意味深な言葉の数々も、ここで紐解かれていく。これも主人公の言ったように「過去」と「思想」は切り離せないものだから、先生の経験が語られると、発言の理由も分かってくる。言葉にこころがはまっていくという、壮大すぎるネタバレをされているような気分になる。財産のことは親族の裏切りからきていて、恋愛、奥さんとの関係性に対する発言も、Kを裏切ったという罪からきていることだった。

愛している人と結婚しているし、奥さんも自分を愛しているのに、奥さんがいるからこそ自分の罪を忘れられないことだと思う。奥さんがいると必ずKのことを思い出してしまう。自分は過去に親族に裏切られたからこんなことにはならないと思ったのに。自分も同じことを友人にしてしまって、自殺する原因となってしまったであろう罪を抱えながら生きてきた先生だから、「恋は罪悪ですよ。」と発言していたのだろう。

最後、先生は主人公に全ての過去を伝えて、自分の隠してきた「こころ」を解き放って、満足して死んでいけたのだろうか…。せめてそうであってほしいと願うばかりである。

そして、先生の真の姿を知って主人公がどう思ったのだろうと思ったが、「上 先生と私」は先生が亡くなってから語られていることだから、主人公は変わらずに先生を慕う心を持っているはずだ。それに少し救われる。

友情とか、恋慕とか簡単に言葉にはできない、でも信用し合った人間としての関係性をありのままに書く。そして人間の倫理観、心理に訴えかけるような内容もまざまざと見せつけてくる。

日本人として読んだ方が良い1冊に選ばれるわけが、27歳にしてようやく分かった気がした。完全に小説の中に引きずり込まれてしまった私は、脳味噌が爆発しそうであり、心がつらい。

とりあえず、家族や主人、気の置ける人たちと何気ない話をしたいなと思う。そうしてこころを落ち着かせたら、またもう1回「人間」を見たくなってこの本を手に取ってしまうのだろう。

全然まとまっていなくて猛省している。もう少し自分の考えをまとめられるようになりたいところだが、ここはnoteであり自分の素直な気持ちを出す場所にしたいため、恥ずかしながらこのまま投稿させていただくことにする。

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