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23歳最後の日

色々あったなぁ。

23歳初っ端から、人生かけて大好きな生きがいのアイドルが解散直後の幕開け。心にぽっかり大きな穴が空いて、言葉でうまく表せない感情のまま突入していた。


職場でふざけて椅子を引かれてお尻を打撲した。
おふざけとはいえ、あの時の衝撃を私は今でも覚えている。笑っておどけて、ふざけて椅子を引いた人に罪悪感を与えないようにただその一心で気を遣い続けた自分、あまりにも優しすぎる。その後痛みに耐えられず人生初の整骨院。私は悪くないのに「すいません、定時で上がらせてもらいます、すいません」と急いで定時で上がって整骨院に向かったのを覚えている。私は悪くないのに。
病院に行ったことを本人に伝えたけどなんだかんだお金が返ってくるわけでもなかった。自腹で3.4000円無駄にした。痛みもすぐなくなるわけじゃないし、2.3週間は体育座りはできないし、寝る時も体勢キツくて、椅子から立ったり座ったりするだけでも激痛なのに、誰も理解してくれず、仕事は私に負荷がかかっていた。私は悪くないのになぁ。


少し経ったある日、インスタでワクワクする出会いがあった。同じベースの趣味を持った、一度も直接話したことはないけど認知しあっていた高校の同級生(異性)とDMをしていた。なんだかんだDMは続いて、1ヶ月ほど経ち、ご飯に行ったり、遊びに行く仲になれた。遊びに行った日には順番を間違えてしまったな。そこから崩れて、とにかくよくわからない関係になっていった。片思い、しんどかったなぁ。


車をぶつけられた。完全に0.100、というか私の車を他の社員が私有地で走行中にぶつけた事故。2日ほど代車生活であったが、すぐに治り、バンパーも交換してもらえた。そんなに被害はなかったけど、少しはブルーな気持ちになれたもんだ。



半月板を損傷した。日々の蓄積と仕事の負荷、痩せたい気持ちからのランニング、趣味のベース(5キロ近い)をぴょんぴょんしながらやっていたからそのせいだろう。格闘家かよ、というケガではあるが、無茶苦茶痛くて1メートル先も100メートルに感じるしなかなか耐え難い日々だった。人生初のMRIを撮ったり、新鮮だったものの、パニック症を持つ私にとって撮影前は不安要素しかなかった。


摂食障害の悪化。ひどい時には朝出勤前から、夜仕事が終わってから、コンビニに寄ってはしごまでして、胃にものを詰め込む一心で食べ物を爆買いして行く日々だった。甘いもの、スナック菓子、ホットスナック、とにかく食べたいものを1000円から3000円ほど使い込んで胃に押し詰めていた。幸せでもあり、その何倍も精神を蝕んだ。おかげで7キロ増えた。同時に下剤も使うと、心はすり減る一方だった。よくわからないメンタルケアのチャットと話していたけど、私は何も変わらなかった。


人生で初めて告白をするも、振られる。
曖昧な関係に嫌気がさした私は、その人を好きになって8ヶ月後に好きだと伝えた。全然振られたけどこれを機に会わなくなるのは寂しいと言われて連絡はとり続けている。うーん。


他にも熱がでたり、体調が長くおかしかったり、中耳炎、耳管開放症、蕁麻疹が出たり、細々と格闘する日々ではあった。


そんな中、今の好きな人に出会う。
振られた元好きな人と映画に行く約束をした。私は行ったことも存在も知らなかったが、その人がよく行くというショッピングモールで見ることになっていた。前日にドタキャンされた私は当日そのショッピングモールで1人で映画を見ることを決意。その映画の後にフラッと立ち寄った楽器屋さんで出会ったお兄さんに一目惚れをした。出会ってしまった。トントンすぎて自分でもよくわかっていないが、どうやら私はそのお兄さんともう連絡先を交換していて、2人で出掛けたこともあるらしい(魂が抜けている)



そんなこんなで、すごく落ち気味な1年、23歳を過ごしたが、なんだかんだ、少しずつ取り戻す以上によくなっている。

私の厄年はもう終わるんだ。
誕生日を迎える7月1日がワクワクして心が躍っている。期待しすぎるのもよくないよな、と思いつつ、私はワクワクする気持ちを心に宿したまま、こうして記事を書き終えた。

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