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大矢のカンガルー 7

第7章 去っていった人々


思い返してみれば、当時テレビ業界はまさに破竹の勢いで成長の一途を辿り、活気に満ち溢れていた。カラーテレビがほぼ完全に普及した昭和50年以降、マスメディアの主導権を掌握したテレビ業界は、絶大な広告効果で多くの大手企業をスポンサーに巻き込み、膨れる資本力で本格的な情報化社会の幕開けを華々しく演出し続けていた。

日々目眩く向上するビデオ収録技術に加えて、世の視聴者達が次々とテレビに寄せる要求の膨らみに追われ、業界全体はいつも右往左往していた。言ってみれば業界全体が発展途上にあったわけで、技術的にも労務的にもスタンダードというものが構築されておらず、そこで働く者やそれを管理する側もモラルをうんぬんするレベルに達していなかったのだ。

制作スタッフは休日返上は当り前、週に一度や二度の徹夜勤務も覚悟しなければならない。労働基準法など遠い世界の話で、福利厚生はおろか残業手当という概念すら無かった。

制作現場で、アシスタント達は公然と『兵隊』『奴隷』と呼ばれる。それでも、多くの若者達がこの業界に群がった。加熱し続ける受験戦争時代にあって、没個性の波から何とか抜け出そうとする大卒者たちは、テレビ局や大手制作プロダクションの採用試験に押し掛け、ラジオ、新聞、出版、映画、舞台、興業など、周辺の業界からも沢山の若い人材がゴールドラッシュさながら未来を求めて殺到した。

しかし、根拠の無い選民意識に突き動かされた多くの人々は、やみくもに運と僅かな才能と持久力を信じ、やがてこの苛烈な生き残り競争に巻き込まれた不運を思い知るのである。

ここで出会い、交流を持った人物が次々と姿を消してゆく。ある日突然プロデューサーに呼ばれ、そのまま肩を落として制作室を去ってゆく契約スタッフの淋しそうな後ろ姿を正治は何人見ただろうか。

体力や精神力が持続せず、意外な消え方をする人物も少なくない。昨日まで快活で陽気だった先輩のアシスタント・ディレクターが、僅かな仮払金を持って買い出しに出掛けたまま姿を眩ましてしまう…

「本番には足がもげても来い!」「テレビマンは親の死に目に会えると思うなっ!」と、口癖のように言っていたディレクターが、ある日出勤途中の駅の公衆電話から、「息が苦しくて、これ以上一歩も会社に近づけない」との言葉を残し、そのまま退社してしまう...

ストレスのはけ口を博打に求め、家族もろとも夜逃げしてしまったプロデューサーもいた。

嫌な話はまとめてしてしまおう。

実際に逝ってしまった人もいる。実は正治はこの業界に入って僅か1年半の間に、身の回りだけで3人もの人の死に目に会っている。


収録現場に手伝いに行っても、まだ何をどう手伝ったら良いのか右も左も分からなかった頃、周囲に怒鳴られながら右往左往する正治を事あるごとにかばい、目をかけてくれた『マルさん』と呼ばれる中年の美術スタッフがいた。

「川ちゃん、怒られても慌てちゃ駄目だよ。現場ってのはよ、落着いてじっくり見てりゃ、次に何やんなきゃなんないか、ちゃあんと見えてくんだからよ」低い小さな声と、しわの寄った優しい小さな目で囁いてくれるのだ。

ある日、収録現場の昼休み、スタジオでスタッフに弁当を配り、お茶を注いで回っている正治の目の端に、彼が針金を手に持って強度を確かめる様に引っ張りながら、いそいそと奥の小道具部屋に入っていくのが見えた。そのままなかなか出てこないので、昼食はどうするのか聞きに正治は同僚のアシスタントと様子を見に行った。重い引き戸を開けると、暗い小道具部屋の隅で、彼は棚の梁に針金を渡し、首を吊ってぶら下がっていた。

正治たちはすぐに周囲のスタッフを呼び、彼を引き降ろしたが、既に息も脈も無かった。間もなく救急車が駆けつけたものの、蘇生することはなかった。もちろん、現場は暫し騒然となり、警察の検証なども行われたが、やがて支障のない範疇で予定の収録が進められていった。その後、遺書らしきものも見付からず、彼が何故、わざわざ現場で自らの命を絶ったのか、教えてくれる者は誰もいなかった。


また、今の制作室に勤務するようになり、番組の企画という仕事に本格的に取り組みだした頃のことである。スタジオやロケなど外回りの仕事よりも、デスクで企画書を書く時間が増えていた。

正治のいる企画部の島にある空いたデスクをよく借りる、疋田という放送作家がいた。年齢は40前後だろうか、いつもジャケットにネクタイを締めた、きちんとした身なりの真面目そうな人で、大抵午前中にひょっこり現われると、礼儀正しく「ここのデスク、ちょっと使わせて頂いてもいいですか?」と、必ず声を掛けてくる。

「どうぞ…」
了解を得ると彼は手際よく鞄の中から資料を出し、原稿用紙を用意すると、黙々とペンを走らせる。時折資料に目を通し、煙草をふかしながら中空を見つめ、また書き始める…誰に話しかけるでもなく、寡黙な1、2時間の作業を終えると、そそくさと机の上を片付け「どうも、ありがとう。」と一言残し、書き上げた原稿を他の制作スタッフに渡して帰ってしまう。

その日、彼はいつものようにひょっこり現われ、いつものように「このデスクお借りしていいですか?」と、正治に声を掛けた。
「あ、お早うございます。どうぞ。空いてます」

いつものように手早く準備を整えると、原稿に向ったが、どうも様子がいつもとは違う。しきりに目頭を押さえたり、首を回したりを繰り返していて、原稿に集中できない様子だった。

30分も経っただろうか、珍しく斜向かいの正治に声を掛けてきた。
「あのお…ちょっといいですか?」
「はいっ。お茶でもお持ちしましょうか?」
「いや、そういうんじゃなくて…ちょっと昨夜徹夜してさ、どうにも眠気がとれないんだよね」
「だったら、少し休まれたらどうですか?午前中なら応接のソファー空いてますよ」
「いや、ここでいいんだ。ちょっと仮眠するから、30分経ったら声かけて起こして貰えないかな?」
「いいんですか?あっちに毛布でも用意しましょうか?」
「いや、いいんですいいんです、このまんまで。それよりそちらの仕事のお邪魔じゃないかな?」
「全然構いませんよ。どうせ午前中はここで企画書書きですから」
「そお?じゃ、お願いします」

彼はそう言うとデスクの上に両腕を置き、その上に顔を俯せて仮眠の姿勢に入り、暫く頭の位置を右や左に動かして適切なポジションを探っていたが、そのうち眠りに落ちたようだった。

「疋田さん大丈夫?どっか具合悪いの?」隣の島の鈴子がそっと正治に尋ねた。
「いや、徹夜明けだから、30分だけ仮眠するんだって」
「あらそう…作家さんも大変ねえ…」
「でもさ、原稿用紙とペンだけで食ってるなんて、格好いいなあ…」
「川村君も頑張って」
「そうだ、はやくこれ仕上げなきゃ…」

正治が暫く企画書に没頭していると、再び鈴子が話しかけてきた。
「ねえ…疋田さん、確か30分経ったら起こすのよねえ?」
「あ、いけね。もう過ぎてるわ。疋田さん、疋田さんっ。すいません、30分過ぎちゃいましたけど…疋田さんっ!」

鈴子が疋田のデスクに近付いて、ポンポンと背中を叩いた。
「疋田さん、30分経ちましたよ。疋田さんっ!」肩に手を掛けて少し揺すったが、疋田の反応は全く無かった。

「ひーきーたーさーん…」耳元に顔を近付けて小声で呼んでみた鈴子が、困惑した表情で正治に囁いた。

「ちょっとお…疋田さん、息、してないみたいなんだけど…」
「うっそお…脅かさないでよお…」そう言うと、正治は疋田に近付いて肩を揺すってみた。
「ちょっと、疋田さん。疋田さんっ、疋田さんっ、大丈夫ですかっ?」やはり、全く反応が無い…
「…やべえ…ちょっとこれ、おかしいな…」
「どうする…?」
「ちょっとさ、すぐに下の診療室に電話して誰かに来てもらった方がいいよ」
「そうよね。すぐ呼ぶわ。」鈴子がすぐに電話に飛び付いた。

こういう場合はやたらに動かさない方がいいと聞いていたので、正治はそれ以上疋田には手を触れずに、呼びかけだけを続けた。やがて局の診療室から来た看護師が様子を見て、表情をこわばらせた。
「すみません、すぐに仰向けに寝かせて下さいっ!救急車も呼んでくださいっ!」

正治を含め周囲のスタッフ数人が、彼を床の上に寝かせると、看護師は疋田の衣服をゆるめて心臓マッサージを行いながら言った。
「心肺が停止してます。どんな状況だったんですか?」

正治と鈴子が経緯を説明していると、警備員に付き添われて救急隊員が駆けつけ、疋田はストレッチャーに乗せられ運ばれていった。彼に原稿を依頼した制作チームのスタッフが一人付き添ったが、病院に着いた時には既に死亡しており、変死として正治達は警察からの事情聴取を受けることとなった。

その後の検屍で、疋田の死因は心不全、つまり突然死であったことが知らされた。彼が人生の最期を迎えたこのデスクは、その後も空席とされ、小さな花瓶に花が置かれるようになった。

今でも、深夜や早朝、正治は一人この制作室で企画書制作に没頭していると、時折斜向かいのその席から、自分の鉛筆の音に重なって疋田のペンの音が聞こえてくるような気がする。


民放テレビ業界の就業時間は概ね朝10時から夕方6時が定時で、通常の業界と比べ始業が1時間遅い。事務職や営業職のスタッフは、基本的にこの10時始業を守っているが、制作スタッフは業務時間が不定期なので、朝に収録や編集作業が無い限り、慣例的に始業はさらに遅くなる。若手のアシスタントでさえ午前中に出勤すれば何とか格好が付くという風潮で、日常的に朝寝坊が許され、ラッシュアワーも経験する必要がなく、夜更かし人生が満喫できる、何となくお得で気楽でやくざな職業という印象があるのは否めない。

実際、この業界で働く人々は、こういったことをどこか特権のように思っている節もあり、昼食前後に気怠そうに悠々と出勤してくることが、慣例のようになっている。そういった風潮の中で、正治のように毎朝早く出勤してくる者は僅かである。

同じこのテレビ局のタワービルに、正治と同じ時間に毎朝早く出勤してくる人物が一人いた。いつも品の良い明るい色のジャケットにカラフルな色みのネクタイやアスコットタイを締めた、いかにも育ちの良い派手慣れしている背の高い中年で、通用口やエレベーターの前で一緒になることが多かった。

彼はテレコープの2階下、8階でエレベーターを降りる。この8階は事業部、つまりテレビ局主宰のコンサートやイヴェントを企画制作するセクションである。当初顔を合わせ始めた頃は、年格好から見ても明らかに管理職で、業界の大先輩といった風貌の彼に、挨拶を交すくらいが精いっぱいで、とても怖れ多くて正治の方から声を掛けることなど出来なかった。

エレベーターの中で最初に声を掛けてきたのは彼の方からだった。
「いつも早いね。部署はどこですか?」
「あ、テレコープの制作室です」
「ああ、野口ちゃんのとこね。なんでいつもこんなに早いの?収録?」
「いえ、あの、企画部なもんで、企画書書くの朝の方がいいんです」
「そう…なかなかいい心掛けですね。そういうの、続けたほうがいいよ」
「はいっ」
「じゃあ、頑張ってね」
「はいっ。有り難うございます。ご苦労様です」

エレベーターの中だけで時折交される短い会話だったが、数回の話の中で、彼は臼井(うすい)という名で、局内のイヴェント企画制作の管理者であり、いつも始業前にオフィスに来て、誰にも邪魔されない朝の時間に企画制作の資料チェックをすることを日課にしているということだった。この業界では珍しく紳士的で穏やかな物腰で、いつもにこやかに正治と接してくれる。

いつの頃からか、白井から時折内線電話で連絡が入り、呼び出されるようになった。大概は彼の企画の相談で、部署にあまり若い人材がいない為、正治の意見を聞きたいとの申し出だった。もちろん、制作本部長の野口には事前に了解が取られていた。

彼の部署を訪ねた時はいつも小さな応接室に通され、外部のプロダクションやら興業屋から提案されたコンサートやイヴェントの企画書を幾つか見せられる。当時、スポンサー絡みのイヴェントといえば、販売店の店頭催事や福引やくじ引きなど顧客サービス催事に毛が生えたようなものが精々だったが、テレビメディアの発達に伴い、大手企業の広告費は年々膨れ上がり、様々な大型コンサートやフェスティバル、スポーツ・イヴェントなど、新たな大規模なプロモーションイヴェントが求められ始めていた。

正治が臼井から見せられた企画書は、こういったものの幾つかだったが、興業の世界はまだまだ古い体質から抜けきれておらず、どれも仕掛けの大掛かりさをことさら誇張するようなものばかりで、肝心の中味について言えば、どこか垢抜けないものが多かった。何れにしろ、事業部の企画に関しては、正治にはスタッフとしての責任は全く無いわけで、第三者として思いつくまま様々な感想を言うことが出来たし、正治の存在を臼井は大いに気に入ってくれているようだった。正治にしても、他の部署とは言え自分の感性が役立つことが嬉しかったし、大きな自信にもなった。

そんなことが3ヶ月ばかり続いただろうか、ある日突然正治は本部長の野口に呼ばれた。
「おう、インテリ、お前え、その後事業部の臼井とはちょいちょい会ってたか?」
「はい。朝、よくエレベーターでお会いしますけど…」
「あいつ、昨夜、死んだぞ」
「えっ?」
「昨夜、倒れてよ。そのまんま死んじまった…」
「でも、昨日の朝、俺会いましたよ」
「だから、夜急に倒れたんだよ。くも膜下出血だってよ。病院に運ばれたけど、そのまんま死んじまったんだよ」
「どこで倒れたんですか?」
「自宅らしいな。明日、通夜に行くからよ、お前えも一緒に来い。行けるか?」
「はい。大丈夫です」
「じゃ、明日夕方に出るからな。ちゃんと身体空けとけよ。喪服で来いよ」
「はい…分かりました…」

突然のことで、にわかに信じられなかったが、訪れた通夜の祭壇に黒縁に飾られた臼井の笑顔の写真と、打ちひしがれた家族の表情を見て、彼が本当に逝ってしまったことを実感した。

そして次の日から、毎朝正治は誰もいないエレベーターに一人きりで乗ることとなった。しかし、臼井の葬儀が終わって数日経った頃から…実は、奇妙なことが起こり始めた。早朝や深夜、正治がいつものように誰もいないタワービルのエレベーターに一人で乗っていると、何故か8階で必ずエレベーターが停まり、いったん扉を開くのだ。もちろん正治は、一日の勤務中に幾度となくこのエレベータで登ったり下りたりを繰り返す訳だが、同乗者がいたりエレベーターホールに人が待っていたりする時には、全く何の異常もないのだ。

はじめのうちは、多少気味が悪かったが、不思議とそれほど恐いという感覚は覚えなかった。今では、一人きりの時、当り前のようにエレベーターが8階で停まり、扉を開くと、正治は軽く頭を下げ「お疲れさま…」と呟いて、心の中で手を合わせることが習慣になってしまった。

第8章につづく...

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