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私がわたしである理由14

[ 前回の話… ]


八、予期せぬ再会(2)


「で、どうだったい?伊東君との傍受作業は」潤治よりも1時間程遅く帰宅した甲一郎がコートと帽子を脱ぎながら尋ねた。
「ええ、一応サイパン、テニアン、グァム方面と思える通信傍受はいくつか出来ました。まあ殆どが基地の通信士同士の会話です…物資とか整備状況とかも結構だらだら話してますよ。それほど重要な情報はなさそうですが、結構雑談も多くて、あちらは余裕ですねえ」
「いやいや、それはどうでもいいんだ。ある程度情報が掴めるってえ事実さえありゃあいいんだからな。それよりよ、伊東君はどんな感じだったんだ?」
「いや、技師としては僕から見ても相当優秀ですよ。試験室の他の技師の方も感心してました。通信機器については特に詳しい様ですね。それに、彼は面会室でも少し話した様に、基本反戦論者なんです。それ程深く付き合った訳じゃないんですけど…」

潤治は目黒の旅館で伊東の出兵を見送った経緯と、その時に伊東と交わした会話について、甲一郎に説明した。

「いっそ僕のことについても少し話しておこうかと思ったんですけど、あそこの試験室は思ったよりも人の出入りが多くて、なかなか落ち着いて話が出来る感じじゃなかったんですよ。出来れば伊東さんをここに連れてくることは出来ないですかねえ…」
「そうか、まあ山辺の野郎も嫌がらせのつもりで折角手懐けた前任を新兵と入れ替えてきたんだろうが、こっちにとっちゃかえって好都合だったってことだな。ただし、伊東君も初年兵じゃあ当面外出させるのは難しいだろう。今は研究所の兵舎なんだろう?」
「はい、そうらしいです。今日も送迎のトラックでそっちに帰るって言ってました」
「そうか…こっちもゆっくり構えてる時間は無えからなあ…ま、明日俺が何とか算段してみるしかねえか」
「何とかなりますか?」
「うーん…」
甲一郎は暫く腕を組んで考えを巡らせると、話を続けた。

「よし…潤さん、明日お前さんがあっちの世界から持ってきた、こう薄っぺたくて鍵盤のいっぱい付いた何とかいう機械、持ってけるかい?」
「ああ、パソコンですか?」
「おう、それそれ。俺が古い鞄やるからよ。そん中に書類やら資料やらに紛れ込ませて持ってってくれねえか。俺あ正雄から予め聞いてたから心算こころづもりが出来てたが、いきなり70年以上も未来からやってきたって言ってもよ、そう易々と信じられるもんじゃねえ。だがよ、あれを見たら、信じざるを得ねえだろ」
「でも…海軍省にあんなもの持ち込んで大丈夫なんですか?持ち物を検査されるとか、金属探知機とかはこの時代にもあるでしょう?」
「金属探知機?何だそりゃ?地雷探知のやつか?そんな大仰なもんいちいち使うかよ。今日だって何にもされなかったろ?そうだ、身分証受け取ったかい?」
「あ、はい。今日仕事終わりで兵曹殿から頂きました」
「怪しまれたら、それ見せりゃあ一発だ。問題無えよ。その代わり、そのパソコンとやらは俺がいいって言うまで絶対鞄から出すんじゃねえぞ。何とか明日、俺たちだけになれる機会を作ってやるからよ」
「あ、はい。分かりました」


翌朝、潤治は甲一郎から言われた通り古い皮鞄に適当に選んだ書類や書籍の隙間にノートパソコンと小さなハードディスクを忍ばせて登省した。伊東は既に試験室で同部屋の技術兵に超短波通信機の細かい部品構造について説明を受けていた。

「お早うございます」潤治が部屋に入ると、2人揃って敬礼する。
「お、お早うございますっ!ご苦労様ですっ」
「お早うございます、川出さん。いやあ、伊東技兵には本当に驚かされますわ。新兵から整流器の電圧精度幅を質問されるとは夢にも思いませんでした。いくら高専出でも民間の電気技師がここまで電信技術の知識があるとは…昨日技術少尉殿とも話してたんですが、こりゃあえらい掘り出しもんを見付けたかも知れないって…」班の上等技術兵が笑顔で報告する。

「そうですか。僕はそっち方面はからきしですが、手際が良いんで助かってます。今日も1日ここを使わせて頂きますが、宜しくお願いします」
「兵曹殿から伺っております。先程2人で準備は進めておきましたので、どうぞこちらを使って下さい。伊東技兵、分かったかな?アンテナの方位調整だけは気を付けてくれよ」
「はっ、う、承りました」
「では、自分は失礼します。何かありましたらお声掛けください」上等技術兵はそう言い残すと試験室を出て行った。

「伊東さん、凄いんだね君は」
「いやあ、凄いのはこ、この通信機ですよ。け、研究所の方も、凄いですけど、や、やっぱり軍の中枢は違います。こ、ここまで、検波精度の高い通信機、触るのは、は、初めてですよ。ぼ、僕はラジオ世代ですから、実のところ。昨日は、ほ、本当に興奮しましたっ」
伊東は嬉しさを隠し切れない様子だった。

潤治と伊東は昨日に続いて通信機での傍受作業に取り掛かる。部屋には別の技術兵と技官が他の通信機の試験をしていた。潤治と伊東が幾つかの周波数帯で敵軍の南方基地間の通信が規則的に時間を置いて行われていることを突き止め始めた頃、甲一郎が試験室に顔を出した。

「おう、やってるな」
「あ、ど、どうもっ。ご、ご苦労様ですっ!」伊東がヘッドホンを外して立ち上がろうとするのを甲一郎が留める。
「まあまあ、そのままでいいから。それより、2人とも、ちょいといいかい?」
「何でしょうか?」潤治は甲一郎がまた何か良い策を見付けたのであろうと察した。

「潤さんも伊東君も、今日はその作業、深夜も残ってやってくれねえかな?さっき日枝中佐にも相談したんだけどよ、敵さんの夜の間の動向も探って貰いてえんだよ。通常の通信士は一応交代で傍受はやってるが、こっちの受信機の方が高性能なんだろ?」
「え、ええ…あ、あの…そ、それは、そうなんですけど…じ、自分は、て、定時で、目黒の兵舎の方に、戻らなければ、ならない、こ、ことに、なっているのですが…」伊東は甲一郎のいきなりの申し出に困惑している様だった。

「それはもう中佐の方から研究所の方の許可を貰っといたからよ。今、山辺にも話して、一応納得させといた。ま、例の通り渋々だがな。その内、山辺の方からも話があるだろう。そういうことだから、今夜はこっちで一晩過ごして貰うことになる。分かったかい?」
「はっ、か、畏まりましたっ」
「そういうことで、夜は俺も一緒に付き合うからよ。また顔出すからな。潤さんも宜しく頼むぜ」
「はい。分かりました」
甲一郎は手早く話を済ませると部屋を出て行った。


夜の10時を少し回った頃には、潤治と伊東が傍受作業を続ける試験室のある特務通信技術班の部屋から夜勤の技官や技術兵の姿は消えていた。班長の山辺は部屋の鍵を省内の警備兵に預け、1時間に一度は異常がないか見回りをするように言い付け、早々に退省していた。

見回りの警備兵が部屋から退出すると、2人の背後から甲一郎がそっと声を掛けた。
「もう暫くは誰も戻って来ねえだろう…よし、作業を止めていいぜ。潤さん話を始めようか」
「え?ど、どうされたんですか?な、何か、大事な、お、お話が、あるんでしたら、自分は、せ、席を外しましょうか?」伊東は作業の中断の理由が理解できず、自分はどうするべきなのか戸惑い、席を外そうとする。
「いやいや、そのまま俺たちの話を聞いてくれればいいんだ。ちょいと話難いことだからよ、3人だけで話せる機会を作ったんだよ。第一、あんたがいなきゃ、この部屋は使えねえだろ?」甲一郎が嗜める。
「あ、そ、そうでした…な、な、何のお話でしょうか?」伊東は再び椅子に座り直す。
「おい、潤さん…」甲一郎に促され、潤治が話を切り出した。

「あの、伊藤さん。前に僕が目黒の旅館で話した、8月にこの戦争が終わるっていうのは、僕や軍の上層部の予想ではなくて…本当に事実なんです。8月15日、実際に戦争は終結します。日本は無条件降伏するんです。敗戦です。これは事実なんです」
「え?…ど、どういうこと、ですか?じ、事実って…そ、そ、それは、こ、国家同士で、もう…と、取り決められてる、っていう、こ、ことなんですか?」
「そういうことじゃあねえよ。もしそうなら、敵さんも無駄に大金遣って空襲なんざする訳ねえだろ?とっくに戦争も終わってるさ。いいかい、俺も最初はなかなか信じられなかったんだけどよ、この潤さんはよ、70年以上も未来からこの時代にやって来た人なんだよ」
「…は、はは…み、未来からって…はは…そんな…」当然のことながら伊東は何かの冗談だと思ったのだろう。緊張の表情を緩ませる。

「おい、潤さん。いいぜ、あれを見せてやんな。話が早えだろ」
甲一郎に言われ、潤治は足元に置いた鞄から持ち込んだノートパソコンを出した。

「な、何ですか?そ、それは…」目の前に置かれた見たこともない薄いコンパクトな電子機器が瞬時に立ち上げられ、モニターに映し出された画像に伊東は目を見開く。

「コンピュ…いや、電子式の計算機を発展させたものです。僕がこの時代に飛ばされた時に偶然持ち歩いていたものです。ここには大量の情報が記憶されています…いいですか…」
潤治はパソコンを使って、まず70年後の世界、日本の詳細を説明し始める。勿論伊東の興味に沿って真空管から半導体、集積回路の発達によってどのような技術が実現していったか、それによって人々の生活がどのように変化したかについても概略を説明した。そして、潤治が資料と画像を使って最後に説明したのは、甲一郎と正雄に語ったことと同様に、今現在から終戦に向かっての経緯だった。
伊東はただ黙って潤治の言葉に耳を傾けていた…

「伊東君よ、どうだい?信じて貰えるかい?」潤治の話を受け、暫く黙って思考を巡らせている様子の伊東に甲一郎が声を掛ける。
「…あ、あの…そ、それで…の、野瀬さんと、川出さんは、じ、自分に、な、な、何をして欲しいんですか?…」

潤治と甲一郎は伊東の言葉に思わず顔を見合わせた。
「じゃあ、伊東さん…僕たちのこと信じてくれたんですか?」潤治が尋ねる。
「は、はい。こ、これを見たら、し、信じないわけには、いきません…」伊東はそう言いながら潤治のパソコンを指差した。
「そうかい。それさえ分かってくれりゃあ話は早え。いいかい、俺たちゃ敗戦を何とかしようとか、なるべく早くケリをつけちまおうとか、そんな大それたことは考えてねえんだ。ただ、何とか身の回りのものたちだけでも無駄に死なせたくねえと思ってるだけだ。取り敢えず、さっきも見た通り潤さんの記録によれば、月が明けて9日の夜中に東京がとんでもねえ規模の空襲にやられるらしい。下町の殆どが焼け野原になって何万人も死人が出るってえ話だ。俺たちはよ、周りの知り合いに何とかそれを伝えてやりてえだけなんだ」
「で、でも…そんなこと…う、迂闊に、民間人に、し、知らせても、いいんでしょうか?そ、それに、信じる人も、す、す、少ないんじゃないですか?」
「そこだ。根も葉もねえことを下手に騒ぎ立てりゃ、騒擾罪そうじょうざいにもなり兼ねねえ。そこで伊東君の力をちょいと借りてえんだよ。その、空襲の情報をよ、潤さんと伊東君が傍受したってえ事にでっち上げられねえか?それをよ軍の上層部に報告するんだ。無論そらあ機密扱いになるだろうが、上の連中は真偽を確かめるの、意見をすり合わせるの、多少手間あ掛かるだろう。大々的に避難告知したってよ、大騒動になるだけだからな。で、その間に傍受に関わった軍属がこっそり身内に情報を流しちまうって筋書きだ。ま、傍受に関わった軍属ってえのは俺のことだがよ。後でお叱りぐれえは受けるだろうが、まあ、大した罪にはならねえだろう」

「ただ、問題なのはこの録音機なんですよ。内容はもう考えてありますけど、傍受の記録が残せなかった状況を作って貰いたいんです。出来れば自然な感じで」付け加えたのは潤治だ。
「か、簡単です。こ、故障させれば、いいんです。こ、このマグネト録音機は、この収音部品が、こ、故障しやすいんです。ちょ、ちょっとした、調整で、しゅ、収音出来なくなります。し、自然に、位置ずれしたように、すれば…」
「そうかい、気付かれねえように上手く出来るかい?」
「え、ええ、か、簡単なことです」
「おっと、そろそろまた見回りが来る頃だ。じゃあ、警備兵が引き上げたらよろしく頼んだぜ」
「わ、分かりました…」


翌朝、甲一郎と潤治と伊東は班長の山辺中尉と共に日枝中佐の部屋にいた。
「こら、ほんまやろな…」甲一郎の報告書に目を通した日枝はそう尋ねて、翻訳者の潤治の顔に視線を向けた。
「はい、確かにその文面通りの内容でした」

潤治が伊東の助けを借りて傍受したとされる南方方面の米空軍基地同士の通信では、3月9日までに合計およそ200万ガロンの燃料が各空軍基地に支給されるとの内容だった。さらに敵通信士同士の会話では3月9日の夜、各基地から一斉に東京に向けて爆撃機が出撃する旨を語っていたとされていた。

「山辺中尉、200万ガロンちゅうと、敵さんのB29爆撃機で何機分なんや?」
「はっ、一機およそ7000ガロンと聞き及んでおりますので、ざっと300機程分かと…」
「一晩に300機か…そら、えらいこっちゃ…で、傍受の際の記録の方は、あかんかったんか?」
「はっ、申し訳有りませんっ。録音を確認しましたが、磁気録音機の故障がありまして…伊東、そうだったな?」
「はっ、あ、あの…しゅ、収音部の接触異常がありまして…ろく、録音できておりませんでした」
「別の技官にも調べさせましたが、長時間の駆動で接触にずれが生じることが良くあるそうであります」山辺が補足する。
「そうか…こら、聞き違いでは済まされんぞ。確かなんやろな。敵の情報撹乱ちゅうこともあるやろ」
「あの、実際に私が聞いた話の内容ですと、きちんとした定期的な基地間の報告ではなくて、兵士同士が任務の愚痴をこぼし合っている様な会話内容でしたので、敵の撹乱とはとても思えません。ここ暫くは大変忙しくなるので、お互い身体には気を付けようとか、そんな気楽な雰囲気でしたので、信ぴょう性は高いと思います。これはあくまでも私見ですが…」潤治が報告内容に説明を加えた。
「分かった。これは直ぐに上に上げんとあかん。伊東技兵と川出君はご苦労やったな。おい、山辺中尉」
「はっ」
「2人に仮眠所を用意してやれ。2人は暫く休んで、引き続き今夜も傍受作業を継続してくれ。野瀬さんは少し残ってくれるか?儂と一緒に上層部に行って貰うよって」
「はい、承知しました」

つづく...



この小説では、さる7月7日に急逝されたイラストレーターのTAIZO デラ・スミス氏に表紙イラストを提供して頂いております。

本編掲載中は氏のイラストを使わせて頂くことと致します。

TAIZO氏のProfile 作品紹介は…






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